episode6_2

 結局敬太からのLINEは、アパートに帰宅した今も来ていない。年末だし仕事が忙しいのかもしれない。それは理解できるけれど、スタンプくらいは欲しかった。


 思った以上に金ちゃんを失った悲しみは深い。

 自分のせいだから余計だ。

 金ちゃんが死んだのは、すぐに気づけなかったわたしのせいだ。

 昨日の夜、金ちゃんの亡骸を実家の庭に埋葬した。


 アパートの駐車場、その隅にとも考えた。でも、いつ引っ越すか分からない場所に埋めるよりも、実家の庭に埋めてあげたかった。干からびた金ちゃんをそっとティッシュに包み、外に出るとすっかり夜だった。


 白くて重たい世界。


 走り始めてすぐに、スタッドレスタイヤで良かったと思った。ちょうど先週ガソスタで変えてもらったばかりだ。


 一年に数回しかない雪の日。

 車出勤である以上、冬用タイヤは必需品。

 もったいないけれど、仕方ない。

 ケチらずに、今年も変えて良かったと思った。


 実家に帰ると、母はわたしの顔を見るなり「こんな時間にそれも雪の中、どうしたの?」と、聞いた。金魚が死んで埋葬しに来た旨を伝えると、「それはかわいそうだったね」と、母は言った。「一緒に埋めてあげようね」とも。


 暗い中、懐中電灯を照らして庭の雪をかき分け、赤い花を咲かせる椿の下に、金ちゃんを埋葬した。その後で、母は金ちゃんに手を合わせてくれた。金魚なのに、と母は一度も言わなかった。


 母のそういうところが好きだ。

 母の正義は良くも悪くも一貫している。


 母の正義を押し付けられる生活。耐えられなくなって実家から逃げ出したくせに、こういう時は母を頼ってしまう。


 結局そのまま昨日は、実家に泊まった。「危ないから泊まっていきなさい」と母は言ったし、わたしもそのつもりで準備をしていた。雪の中、また時間をかけてアパートに戻るのは危険だと思った。それになんとなく、実家に居たかった。


 金ちゃんを殺してしまったのはわたし。

 その事実を抱え、部屋でひとり、悶々と考えるのが辛かった。

 それに母は、生き物や植物を慈しむ心を持っている。

 金ちゃんの死を同じ気持ちで弔ってくれる気がした。


 そういえば、久しぶりに会った母は、綺麗に歳をとっていた。


 二十七歳でわたしを産んだから、今年で六十歳。白髪染めをしない母の髪は中途半端な時期を過ぎ、美しい銀色になっていた。長きに渡る無添加で無農薬な生活が、艶のある銀髪を作ったのかもしれない。品の良いショートカットにシルバーヘアーが素敵に見えた。


 金ちゃんを庭に埋葬し家に入ると、玄関には毎年恒例のクリスマスのしつらえがあった。靴箱の上には、美しい青色の布、林檎に立てた蜜蝋の蝋燭、白い妖精と、三人の賢者。妖精と賢者の人形は、母の手作り。キリスト教ではないけれど、そういう幼稚園にわたしを通わせていた頃、作ったものだ。壁には母が庭木を選定し、くるりと巻いただけの簡単なリースが掛けられていた。そのせいか、檜のような森の香りが薄暗い玄関に漂っていた。


 ——クリスマスの匂いだ。懐かしい。


 実家には、五年前に家を出てからお正月とお盆に顔を出すだけになっている。

 クリスマスの時期に実家に来たのは久しぶりだった。


 ——お母さんひとりなのに、毎年飾ってたんだ。


「残り物だけどいい?」と、母が出してくれた夕飯は、白菜だけを煮た鍋だった。口に入れるとすぐに溶けてしまうほど柔らかくて、その優しい甘みに心が救われた。でも、救われた分だけ、すぐに胸が痛んだ。


 ——お母さん、ごめんなさい。わたし、お母さんに言えないことがいっぱいあります。


 母はいつでも自分の中に、正しさを持っている。

 わたしとは違う。


 わたしに夕飯を出した後、言葉少なめに会話を交わした母は、いつものように愛用の椅子に座り、読書灯をつけて本を読んでいた。最低限の明るさの部屋で、読書灯の優しい光に照らされる母の姿を、わたしは視界の隅でずっと見ていた。


 ひとりきりの母の生活。

 わたしが思うよりも、母は幸せな生き方をしているのかもしれない。

 ある意味、自分の信じる道をぶれることなく突き進んで生きている。


 その様子を見て、また心の中で呟いた。


 ——お母さん、ごめんなさい。わたし、お母さんに言えないことが、いっぱいあります。


 母のこだわりや正しさは、時にわたしを苦しめる。

 それは子供の頃に苦しんだのとは、また違う苦しみだ。

 だから、家を出たかった。

 

 


 それにしても——。

 敬太だ。

 ベッドに腰掛け、テレビもつけずにスマホを見つめる。


「全然LINEこない……。既読もついてない」


 敬太からの連絡は未だにない。それどころか、既読すらついていない。もう夜の十一時だというのに。まだ仕事をしているのだろうか。いつもはスタンプくらいは返してくれるのに。


「はぁ〜」と長い溜息を吐くと金魚鉢に自然と目がいった。金魚鉢は水を捨て、同じ場所に置いてある。片付けてしまうと、金ちゃんの存在を忘れてしまう気がしたからだ。それと、自分の罪も。


 金ちゃんはもういない。

 わたしのせいで死んでしまった。

 わたしがパソコンにかじりついていたから。

 わたしが物語の世界に入り込み過ぎていたから。


 金ちゃんを殺したのは、わたしだ。


「はぁ〜」と、もう一度溜息をつき、スマホを手に持ったままベッドに寝転んだ。天井の茶色い染みがどことなく金ちゃんの姿に重なる。ころっと丸くて尾鰭がひらひらしているような、あの、染み。


 ——あそこが尻尾ならば、頭はあそこだよね……。


 そう思って見てみると、頭の上が少しぼこぼこっとして見える。脳裏に金ちゃんの泳ぐ姿が浮かんだ。赤い尾鰭をひらひら揺らし、ぷくぷくと丸い金魚の金ちゃんは、もういない。


「金ちゃん……。ごめんね、本当に、ごめんね……」


 敬太の嫁が飼っていた愛犬ロンが死んで、敬太がわたしの家に来るのを喜んだ罰かもしれない。それに、自分が書いた小説の内容。金魚を生贄になんて書いたから、その罰かもしれない。動物には罪がない。そう思っているくせに、無意識下とはいえ、『生贄に』なんて書いてしまった。


 ——そのせいで金ちゃんが死んだとしたら……。


「わたし、最低だよ」


 声が漏れ、瞳が濡れる。あんなお話、書くんじゃなかった。それに、宮下さんにも話すんじゃなかった。たかが金魚なんて、そんな風に金ちゃんのことを言われたくなかった。


 ——どれもこれも、自分の軽率な行為が招いた結果だよね……。


 缶ビール片手にネットで見つけた人形を買い、『公衆電話の太郎くん』を思いつき書き始めた。書きながら『生贄に』と、罪なき動物をネタにして、それでこうなった。宮下さんに話をして、金ちゃんのことを「たかが金魚でしょ」と言わせてしまった。宮下さんなら「たかが金魚でしょ」と言いそうなくらい、知っていたのに。


「もう、書くのやめようかな……」


 結局、『episode6』から先はまだ一文字も書けていない。金ちゃんの干からびた亡骸を見つけてから、パソコンは閉じたままだ。『episode3』までは公開しているけれど、そっとフェードアウトしても誰も気づかないかもしれない。


「マヤさんだけは、気にしてくれるかな……」


『続きを楽しみにしています』と言ってくれたマヤ魔界さんだけは、気にかけてくれるかもしれない。どうして公開するのをやめてしまったのかと、心配してくれるかもしれない。会ったこともない、話したこともない、そんなネットで繋がっているだけの人だけど、きっと、心配をかけてしまう。そんな気がする。


 ——マヤさんの近況ノートにコメントで書こうかな。『公衆電話の太郎くん』、ちょっと色々あって書くのをやめました、って。でも、そうしたらきっと、大丈夫? ってなるよね。なんかあったって思うよね。わたしならそう思うもん。でも、きっと突っ込んで聞くことはないよね。だって、言いたくないことを聞き出さなくても良いもんね。そういう、ちょうど良い関係性な気がするもんね。うん……。そうなんだけど……。


 いきなり近況ノートに、そんな重めのコメントを貰ったマヤさんはどう思うだろうか。わたしが思っているほど、マヤさんにとってわたしの存在は小さいかもしれない。何百人といるマヤさんのフォロワーのひとり。心が通い合ってる気がするのは、わたしの思い込み。マヤさんにとっては大多数の中のひとりに過ぎないとしたら——。


「そんなコメント貰ったら嫌だよね……」


 かといって、マヤさんは『続きを楽しみにしています』と、わざわざ書き込みに来てくれた。その作品を何も言わずに消すことには躊躇ためらいがある。


「まだ決めなくていいよね……」


 ——小説のことは、今は横に置いておいてだよ。


 死なせてしまった金魚、オランダ獅子頭の金ちゃんに「ごめんなさい」と祈りながら、ベッドに寝転んだわたしの意識はだんだん薄くなっていった。




 



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