episode5_5

 鈍い音が喉の奥で鳴る。

 

 ——この話、またもや動物が登場してきている。動物には罪がないのに。


「本当にこれを、わたしが書いた?」


 また疑念が胸に沸く。自分で書いたアイデアノート。その構成。主人公サキがどんどん欲深くなっていく、その流れには沿っている。でも——。


 ——気に入らない奴を『生贄』にする展開だったんだけどな。人間の前に動物で試す。それは話の流れとしてはありかもしれないけど、でも……な。読んでてどっと疲れちゃった。


 意識が画面の中に吸い込まれ、物語に没入していたせいだろうか。何かが覆いかぶさっているような、そんな重圧も全身に感じる。一旦画面から顔を離し、椅子の背もたれに体重を預けた。う〜んと背中を伸ばし、肩を上下させた後で、冷え切ったコーヒーを口に含む。酷く苦味を感じ、思わず眉間をひそめそのまま目を瞑った。


 ——冷静に考えてみよう。


 ゆっくり瞼を持ち上げ、パソコン画面に視線を戻す。白く光る世界。細かな文字が横並びに続いている。信じられない気持ちは拭い去れない。でも、自分で設定した通りのストーリー展開ではある。ただ、動物が出てくるかどうかの違いだけなのだ。『ウサ吉』の三文字を自然に探し、「ごめん、ウサ吉。酷いことして」と呟いた。


「ウサ吉に罪はないのにね」と。


 その後で主人公サキの心の動きを考える。人間を生贄にする前に動物で、というのは理解できる。物語の登場人物的にはありなのだ。いや、むしろその方が自然な流れに思える。人間を生贄にというのは、殺人と同義。だからまずは、動物。それも購入することのできる動物で試す——。


「書きながら思いついて、そうしたってこと、だよねぇ……」


 動物を犠牲にする件、そこに違和感がある。本当に自分がこれを書いたのか、という疑念と違和感の正体は、きっとそこなのだ。動物には罪がない。物語の中で酷い仕打ちに遭うのは決まって悪い奴。今までそう思って書いてきた。でも——。


 自分で書いたと納得するしかないような気がした。確かにそういうことは良くある。登場人物の心情を思い描きながら書き進めて、「ここでこれってどうなんだろう?」と悩み、内容を追加したり削除すること。でも、生贄に動物を使おうという考えはこの作品を書くまでなかった。


『episode3』まではもう公開し、PV数も伸びている。非公開であれば修正は可能だと、もう一度『episode4』からの流れを反芻はんすうする。


 主人公サキは、恋敵のペット『ハナ』を生贄に差し出し、その効果を知った。望み通り、クリスマスイブに恋人と甘い夜を過ごせたのだ。そこで主人公サキは、欲望を増幅させ、自宅で飼っている金魚『マリン』を次の生贄に選び美しさを手に入れる。「たかが金魚でこの効果」と思ったサキは、安い金魚を購入し、十匹まとめて生贄にする。が、効果が得られず、今度はウサギを購入。『ウサ吉』と名前を与え可愛がり、一週間飼育したのち、生贄に差し出した。その効果は金魚『マリン』よりも高かった。『ウサギは哺乳類だからだ』と気づいたサキは、いよいよ人間を生贄に選ぶ。


 主人公サキの心情を考えると自然な流れだと思う。引っかかりは、やはり動物というところだけなのだ。


「う〜ん」と鼻の奥で音を鳴らし、椅子にもたれて目を閉じた。


 ——流れとしてはいいんだよ。流れとしては。でも胸が痛い。動物に罪はないんだって。でも、流れとしては、いいんだよなぁ……。無意識で書き進めている自分。無意識で書いているということは、そこには自分の潜在意識が少なからずあるってことだよね。あああ、これはあれかもしれない。物語とは言え、動物に酷い仕打ちをする自分を認めたくない自分がいるって、そういうこと。それを認めたくないから違和感を感じてる。


「うん」と今度は声に出し、目を開く。

 白く光る画面。

 網膜に映る『ウサ吉』の三文字。


「流れ的にはいいんだよ。ごめん、ウサ吉。本当に、ごめん」


 それに——。


 新作投稿した『公衆電話の太郎くん』は、今まで見たこともないようなPV数だった。


 無意識下で書き進めたこの物語。『episode3』まで公開した読者の反応はいい。こんなことは今までなかった。


「でも、もう少し、寝かせてそれから。それから公開ボタンを押せばいいよね。今はその続きをどうするかってことだよ」


 誰もいない部屋で、自分を納得させるように独り言を言った後で、ふと壁時計を見る。そういえば朝軽く食べただけで、あれから何も食べていない。白いクロスの壁、木でできた丸いフレームの壁時計は四時を過ぎていた。


「うそっ! もうそんな時間?!」


 確か『episode6』を読む前は二時過ぎだった。あれからまた二時間も経ってしまったのか。珍しく誤字もなく、順調に読み進めていたはずなのに。不思議なくらい時間の進みが速い。


「なんか食べるか……」と、椅子から立ち上がろうとしたところで、もう一度座り直した。その動きに合わせ、お尻の下でキィと小さな音が鳴る。


 ——お腹減ってないもんな。だったら、続きを書き進めた方がいいよね。だって、もう夕方なんだし。それに続きを楽しみにしていますって、マヤ魔界さん言ってくれたし。


 小説を書いていると時間の感覚がなくなる。

 それは良くあることだ。

 別に食べなくても死ぬわけじゃない。


「続き、楽しみにしていますって、嬉しいし」と言葉に出し、「さぁこの続きだ!」と意気込んだところで、気がついた。


 ——やばい。この先が全く思いつかない。


 とりあえず編集画面に戻り、新規エピソードを作成する。タイトルを『episode7』とつけ、真っ白な画面を見つめながらキーボードの上に手を浮かべた。書く準備はできている。タイピングは速いほうだ。でも、書き始めの文章が浮かばない。


 ——簡単じゃん。次の生贄はタカユキだって。あああ、でもどうやって?


 アイデアノートを開き、この先の展開を確認する。目を閉じて妄想力を発揮しようとしてみても、どうしてもここから先の文章が思いつかない。最初の一文、そこさえ決まれば書き進めれるような気がしているのに。


 ——いや、流れとしては、恋人のタカユキを生贄にすればいいだけだって。簡単じゃん。今度は憎い人間が生贄なんだし、動物じゃないんだし。でも、どうやって? そこ……そこそこそこ!


 全くいい文章が浮かばず苛立ちながら、「ああああ〜」と画面に向かって声をぶつけると、そのまま「あああ〜」と文字が自分に返ってきそうな気がした。無駄なエネルギーを使ってしまった。


「はあ〜」と息を吐き、顔をキーボードから持ち上げた。自然と机の上、人形に意識が向く。思わず——。


「太郎くん、この先どうやって書けばいいと思う?」と、語りかける。瞬間。ずうぅんと部屋の気圧が低くなった気がした。


 身体に纏わり付く嫌悪。

 粘着質の液体の中に身体が埋まっているような錯覚。

 おかしい。

 どうしたというのだろうか。

 身体が固まって身動きが取れない。

 脇から冷たい汗が肌を伝って流れ落ちていく。

 意識がどこか別の場所へ吸い寄せられていく。


 どこか、ここではない別の、どこか——。


「や、だなぁ……」と絞り出すように声を出し、顔を動かそうと必死に力む。が、首は動かない。ぐぐぐっと力を入れて身体をなんとか捻ると、ふっと一気に圧が抜け椅子から転げ落ちた。


「な、なんだったの……?」


 ずっと同じ体制で椅子に座っていたから、身体が凝り固まっていたのかもしれない。それに、集中して物語に入り込んでいた。そういえばさっきも身体の疲れを感じたはずだ。全身にのしかかるような重力を感じていた。


「ちょっと脳味噌を休憩かな、これは」


 コーヒーを淹れ直して仕切り直しだと立ち上がった。キッチンに向かおうとして、白い洋服ダンスに視線が流れる。


 白い壁、白い洋服ダンス。

 白、白、白。

 おかしい。

 わたしの視界に入るはずの色がない。


「え?」


 赤色。

 赤い、金魚。

 ぷくぷくと太った、まあるい金魚。

 オランダ獅子頭の金ちゃん。


 金ちゃんが泳いでいるはずの金魚鉢を凝視する。


 そこに、赤色はなかった——。


 




 


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