episode4_1

「じゃ、美咲。また連絡するわ。そうそう、また床で寝てただろ? 二度寝するならベッドでな〜」


 わたしの髪の毛をぐしゃぐしゃっと撫でまわし、敬太がアパートから外に出て駐車場に向かっていく。その黒くて大きな背中をドアの隙間から見送りながら、外の景色を見た。鼻先がみるみる冷えていくほど外気温は低く、世界は昨日までとは色彩を変えている。色とりどりの駐車場の車たちはぼやけ、夜中のうちに降り積もった雪が辺り一面を白くしたようだ。重たい灰色の空がその様子をよりモノクロームな世界に仕上げている。


 思わず、「はぁ〜」と白い息を吐く。その後で冷たい空気が肺に流れ込み、ぶるっと身体を縮めた。


 朝が来て、敬太はいつも通り家へと帰る。昼までには家に帰宅。わたしの家に泊まる時の敬太の中の決め事なのだ。


「寒いから、もうドア閉めろよー」


 アパートの二階。階段を降りる間際にこちらを振り向き、いつものように微笑みながら敬太は右手をあげた。白い息が敬太の顔に霞をかける。手に握っている車のキーがじゃらっと音を出し、わたしはドアの隙間から「うん」と微笑み返した。


 黒いダウンコートが視界から消え、カンカンと階段を降りる薄っぺらい金属音が遠ざかっていく。その音が聞こえなくなったと同時に、わたしは部屋のドアを閉めた。


「さむっ」と、小さく声に出し両方の腕を摩りながら短い廊下を進む。部屋のドアを開けると、付けっ放しにしていたエアコンの暖かい風とともに、敬太の匂いがした。どことなく気配がまだ残っている部屋のベッドに腰を下ろす。そして、床に目をやる。


 ——結局また、床で寝てしまった。身体が重たくて強張っているのはそのせいだよね。


 敬太がうちで泊まる時は大体最後、わたしが床で寝ている気がする。シングルベッドは二人で寝るには手狭い。それに敬太は高校時代インターハイに出た強豪校のバスケ部。身体のサイズも普通の男性と比べて大きい。


 ——美咲、また床で寝てたの?

 ——床の方が落ち着くんだよね。

 ——へぇ〜、美咲って、変わってるな。


 敬太が爆睡モードに入ると、わたしの存在を綺麗さっぱり忘れてしまう。ベッドの中の自分のエリアを拡大し、最後にわたしは床に落ちるか、自分で床に移動する。最初こそ敬太の背中に必死にくっついて、なんとか寝ようとしていたけれど、今では自分用に敷布団的なもの、掛け布団的なものを用意している。


 何度か考えた。

 大きなベッドに買い換えるべきなのかと。

 でもその踏ん切りはなかなかつかない。


「二度寝するならベッドでな、って……」


 敬太と付き合っていて、もやもやする気持ち、言いたい言葉は沢山あるはずなのに、伝えようとすると言葉がうまく出てこない。曖昧にしているうちに敬太の雰囲気に流されて、言いたいことを飲み込む癖はなかなか治らない。


 ——それは実家のお母さんに対してもだし。


 頭の中では言いたいことがいっぱいあるはずなのに、母親の考えに反論してはねじ伏せられてきた子供時代。自分の考えが一番正しいと思っている母に従い生きることは辛かったはずなのに、その感覚が当たり前になり過ぎていて、なかなか自分の思ったことを言えないでいる。


 それにしても——。

 昨日は変な感じだった。


 敬太と夕飯を食べ、映画を見ながらビールを飲んで、なんとなくベッドに行ってからの記憶がない。そんなに飲んだ気もしないのに。もちろん敬太はいつものようにビールをあるだけ飲み干して、爆睡モードに突入した。わたしは小説を書き進めようと、飲む量を調整したはずなのに——。


 ——でもその前日は、深夜に公衆電話を探しに出かけて寝不足だったんだし、自分で思っている以上に、相当眠たかったってことなのかも?


 腑に落ちない感覚は寝不足のせい。そういうことだとベッドにばさっと倒れ込み、背中を預けた。所々茶色い染みが模様を描く白いクロスの天井が見える。築二十五年の木造二階建てアパートのこの天井の上にも、白い雪が積もっているはずだ。暖かいはずの部屋なのに、どことなく底冷えするような気がするのは、敬太という一人の人間がこの部屋から消えたからだろうか。


 時刻は十一時を廻ったところ。二度寝をするには遅すぎるし、かと言って、どこかに出かける用事もない。と天井を見ながら思ったところで、「そうだった!」と飛び起きた。


「小説を書き進める予定だったんだ」と、独り言ちて、パソコンデスクに向かう。


 コンテストはもう始まっている。

 開始からもう二週間も過ぎている。

 

 応募参加作品数はもう何千作品と並んでいるのに、わたしはいまだに新作投稿できていない。それどころか、書き進めてもいない。


 パソコンデスクは元は実家で使っていた学習机で、それに付随した椅子は古く、座るとキィっと小さな音を出した。ノートパソコンを開け、起動ボタンを押したところで、黒っぽい物体が視界の隅に入り込んでくる。


 男の子の人形だ。

 デスクの隅に、ちょこんと座ってこちらをじっと見つめている。

 先週、インターネットで購入した男の子の人形。

 昨日、この人形を見つけた敬太は、「なんだか気持ち悪い」と言った。


 ——なんでこんなん買うの? 誰かの手作りでしょ、それ。そんなのって、なんか気持ち悪くない? それに、俺たちのこと見られてるみたいで気分が萎えるわ。


 昨日の昼にわたしのベッドの上に寝っ転がった敬太は、この人形を見つけてそう言った。これからお楽しみの時間、いざ、というまさにその瞬間のことだ。


「可愛いと思わない?」など、言えるはずもなく、「ちょっとね」と言いながら座卓から抱き上げて、クローゼットに仕舞ったはずだったけれど——。


 ——でも、いま目の前にあるしな……。


 記憶違いかもしれない。パソコンデスクは部屋の隅に置いてあるし、敬太はこのデスクには興味がないから、昨日のわたしは取り敢えずこのデスクの隅に置いたのかもしれない。


「可愛いのにね」と、今更そんなことを言って人形の頭を撫でると、きぃぃんと耳鳴りがした。雪雲のせいで気圧がおかしくなっているのかもしれない。こめかみを指で押さえ、目を閉じると、まだ眠気が脳内に残っている気がした。小説を書き進めるのは、コーヒーを用意して、目をもう少し覚ましてからの方がいい気がする。


 目を開けて椅子から立ち上がろうと机に手をついたところで、パソコン画面に視線が動いた。


 小説サイトの自分のページ。右上に小さく着いているベルマーク。そこに通知を知らせる赤い丸がついている。新作を出していないから、過去作に誰かが応援ボタンを押してくれたのかもしれない。それとも別の通知だろうか。


 ——いま新作ラッシュだからなぁ。


 フォローしている作者さんが新作を書いた、その通知。ここ最近はコンテスト用に投稿される新作ラッシュで、ベルマークに赤色が着いていても別に珍しいことじゃない。


「わたしも今日は書くぞ」と、言いながらマウスで矢印をベルマークに寄せ、クリックすると、思っていた通り、オレンジ色の新作マークと横文字のタイトルが小さな升目に納められ、ずらりと縦に並んだ。とりあえず、目で追って読んでいく。


「あ、キリンさんもう一作出したんだ。短編エッセイかぁ。とりあえずフォローボタンを後で押しにいきますね。あ、海原さんも出したっぽい。すごいなぁ、これって四作品目くらいだよね?」


 フォローしている作者さんの新作通知に、「すごいなぁ」と言いながらスクロールして見ていくと、オレンジ色の新作通知ではなく、ピンクのハートマークがいくつか出てきた。ピンクのハートマーク、それはわたしの書いたお話への応援ボタン。


 ここ最近、新作は書いていないし、過去作に応援が入ったのかと顔を画面に近づけて目を細める。


[♡エピソードに応援 5時間前 マヤ魔界さん episode3-公衆電話の太郎くん]


「へ?」と素っ頓狂な声が出る。目をぱちくりさせて、もう一度画面を見た。確かにエピソードに応援とある。応援してくれたのは、数少ない執筆仲間のマヤ魔界さんだ。急いでその小さな升目をクリックすると、信じられないことが起こった。


 公開した覚えのない新作ホラー小説、『公衆電話の太郎くん』が既に公開されていて、三話まで更新されている。


「うそでしょ?!」



 




 






 

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