第一章 『公衆電話の太郎くん』

episode1_1

 ほんの出来心のつもりだった。


 ふと思いつき、愛用のアイデアノートに書いた都市伝説。それをちょっと試してみようと思っただけの些細な出来心。


 WEB小説のコンテスト用に書く新作。自分が創作した都市伝説のお話をこれから書き進めるにあたって、よりリアルな描写ができるように、公衆電話を探して、手触りを確認して、都市伝説の設定そのままそっくりの方法で電話をかけただけだと思っていた。それなのに——。



 あれは一時間ほど前のことだ。



 公衆電話は思っていた以上に全然見つからなかった。一番最初に思い付いたのは近所にある小さな駅だ。設定通り、深夜二時を待ってから車で近所の駅に行ってみた。でも、近所の無人駅には公衆電話はなかった。


 次に向かったのが、その駅の踏切を越えた先にあるコンビニだった。昔からあるコンビニ。その外に置いてあるのを見たような気がしていたからだ。ほとんど車が停まっていないコンビニの駐車場に入り、車のスピードを落として車内から探すと、公衆電話はあった。壁際の、それも端っこ。喫煙所のそばにある公衆電話はグレーだった。


 公衆電話の設定を緑色にしなければ良かったと思った。

 緑の方がグレーよりも都市伝説ぽいなんてどうして思ってしまったのか。


 今からでも設定をグレーにしようかとも考えたけれど、顔がくたびれたおじさんが煙草をふかしているのが見えて、そこの公衆電話で試すのはやめようと思った。おじさんの吐く白い靄が煙草の煙なのか、白い息なのかわからなかった。わたしはコンビニの駐車場をそのままスルーして車道に出た。


 駐車場で車を停めて一歩でも外に出たら、おじさんの吐いたあの白い浮遊物を吸い込んでしまうと思った。そんな想像をしたら気持ち悪くなって、思わず肩を竦め、ハンドルを回しながら「うえっ」と声に出した。その声と共に出たわたしの息も白かった。近所のコンビニに行くくらいじゃ、車の中は暖まらない。


 十二月半ば。それも深夜二時。外気温は三度だと車の温度計が教えてくれて、そりゃ寒いはずだと思った。雪が降るような夜でないだけましだと思ったけれど、また緑の公衆電話を探さなきゃいけない。ぐるぐる思いつく辺りを車で走り、ようやく車内が暖まってきた頃に小学校の近く、小さな川にほど近い四ツ辻で緑の公衆電話を見つけた。


 ガラスケースの中、寒々しい蛍光灯に照らされた緑の公衆電話。氷漬けされたような公衆電話は思った以上に不気味な緑色で、やっぱりグレーよりこっちだなと思った。


 道路の脇に車を止めて車外に出ると、わたしの吐いた息が風のない夜空に舞う。少し間を置いて、冷たい空気が肺に入り込むとそれはそれで気持ちいい感触で、そこでわたしはもう十分目的は達成したと喜んだ。


 この描写を書こう、冬の寒い空気感が上手く書けるといいな、そんなことを思いながら公衆電話の入っている電話ボックスの扉を開け、中に入ると、いつかの誰かが吸ったのか、少し煙草の匂いがして思わず息を止めた。煙草の匂い、つまり、誰かが吐いた息に混じった誰かの微細な細胞が電話ボックスの内側にくっついているということだ。そんな微細な汚い細胞が見える気がして、正直嫌だった。でも——。


 本当ならばすぐにでも外に出てしまいたいけれど、真夜中にやっと見つけた緑の公衆電話。自分が作った都市伝説を生々しく書きたくてやって来たんだと気を取り直し、コートのポケットから自分が書いた都市伝説のメモを取り出す。悴む指で紙を広げ、今から行う内容を確認した。


【公衆電話の太郎くん呼び出し方法】


①緑色の公衆電話に深夜二時から四時までの間に行く。

②受話器を持ち、自分が生まれた年号の十円玉を公衆電話に入れる。

③自分の携帯電話に電話。四回コールを鳴らす。

④受話器を置き、携帯電話の電源を切って帰宅。


 ここまでを何とかやり遂げると、やってみなくては分からない感触を体感できたと嬉しく思った。


 冬の深夜、受話器は氷のように冷たく、持つ手が震える。公衆電話は受話器を耳に当てると、お金を入れてなくても発信音がツーっと聞こえる。それに受話器の冷たさが耳に伝わって思わず「ひょっ」と変な声が出る。あとは、公衆電話の数字ボタンはスマホのボタンをタップするよりもパソコンのキーボードを叩くよりも力がいる。それに、自分のスマホが深夜の静かな電話ボックス内で鳴り響くと心臓が飛び出そうになる。煙草の匂いなのかなんなのか、変な匂いがするのが感じ悪い、などだ。


 体感したことを書けば、よりリアリティ溢れる文章になるかもしれない。これはやはり、やってみなくては分からないことだったと、あの時は嬉しかったはずなのに——。




 自分の目を疑うような事態が、いま起きている。電源を切ったはずのスマホに着信。通知画面は公衆電話になっている。こんなこと起こるわけないと思うけれど、現に目の前のわたしのスマホは公衆電話からの着信を受けている。


 自作した都市伝説、それをメモした紙の【公衆電話の太郎くん呼び出し方法】に書いた『⑤しばらくすると電源の入っていない携帯電話に公衆電話から電話がかかってくる』が、いままさに目の前で起きている。


 信じられない気持ちで自分のスマホを見る。


 何とかしなくては、きっと良くないことが起きると動物的本能が警告音を出し心臓が飛び跳ねているのがわかる。きゅぃんと耳鳴りがするような気がして、小刻みに頭を振り、何回目のコールで出なきゃいけなかったのかと、自分の書いた都市伝説を必死に思い出している。三回、四回、そうだ、四回以内だったと思った瞬間、反射的に指が通話ボタンを押した。


 ザザッザッ……ザザザッ……


 電波状況が悪い時に聞こえる音とは気配が違う雑音が、スマホの小さな受話口から聞こえている。次のアクションをしなくてはと思うけれど、スマホを持つ右手が震え、動かない。左手で右手を支え恐る恐る耳に当てると、雑音はぷつりと消え、わたしが次にやるべきことを待っているのか、煩いくらいの静寂が耳朶に流れ込んでくる。


 鼓膜が破れ、わたしの魂が受話口から吸い込まれていってしまいそうな、そんな妄想が沸く。急いで次に言わなくてはいけないことを口に出そうとするけれど、唇がもつれてうまく言葉にならない。自分の部屋。冷蔵庫のような気温が歯をガタガタと震わせているのも良くないのか、カチカチと小刻みに歯が鳴り、その音をスマホの送話口が拾ったのか、耳元でもガチガチと濁った音が聞こえてくる。


 ——ダメだ、言わなくちゃ、ダメだ……。


 顎を一度大きく開き、息を吸い込んでからゆっくりと吐き出して、震える身体から絞り出すように言葉を吐いた。


「太郎くん太郎くん……、ようこそわたしの家へ……」


【公衆電話の太郎くん呼び出し方法】、その⑥のセリフが震える音となって送話口に吸い込まれていく。


 ザザッ……ザザザザザザッ……


 またあの雑音が聞こえ、ひっと息を小さく吸い込み呼吸を止めた。歯を食いしばると自分の出すガチガチという振動音が雑音の奥で微かに聞こえる。奥歯を噛みしめ、【公衆電話の太郎くん呼び出し方法】その⑦が本当に起きるのかと、その時を待つけれど、本当は⑦なんて来て欲しくないと願った。この公衆電話からの電話も、全部全部夢であって欲しいと思った。


 ——悪い夢。


 きっと家に帰って疲れて寝てしまったんだ。そうじゃなきゃ、こんなに身体が重たくて、身動きひとつ取れないなんておかしいに決まってる。そう、思っていたけれど——。


 部屋の空気が急に湿り気を帯び始め、ごごごぉっという地鳴りのような重低音を響かせたかと思うと、その⑦、『太郎くんが返事をして、用意していた男の子の人形に入り込みます』が目の前で実現化した。


 わたしが用意した体長二十五センチほどの男の子の人形は、「みぃ〜さっきちゃん、遊びましょ〜」と、驚くほどあどけない声を出して、ガタゴトっと、机の上で揺れたのだ。




 



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