第3話 国を拓く剣、ここにあり

「俺の話というのは、アイマン。君が持っているその剣のことだ」


 ルナイは騎兵が携えている剣を目で示した。昼間、馬賊の腕を一撃のもとに切り落とした、あの恐ろしい切れ味の刀剣である。


「その刀を俺に見せてくれないか?」

 ルナイは、なにげなくアイマンの剣へと手を伸ばした。


 その瞬間、従者のアッドブが素早く反応し腰の刀に手をやる。体の重心を落とした隙のない臨戦姿勢。ルナイがこれ以上手を伸ばして主人のアイマンに触れようものなら、即座に切り捨てる。アッドブのビリビリとしびれるような気魄きはくが伝わってきた。


「待て待て、誤解しないでくれ」ルナイはあわてて手を引っ込める。「俺は刀工、刀鍛冶だ。主君の命を受けて、渤海へ新しい刀を求めてやってきたのだ。アイマンの刀がどんな造りになっているか知りたい、それだけだ。別に剣を盗もうとか、危害を加えようってわけじゃないから誤解しないでくれ」


 ルナイは、他意がないことを証明するように両手を広げてみせた。たれ目をさらに柔和にゆるめてほほ笑む。ルナイの剣の腕はさほどでもないが、彼のたれ目は人の警戒心を緩める最大の武器である。この人懐っこい目で切り抜けてきた窮地を数えれば片手では足りぬ。


 アイマンとアッドブの主従が互いに顔を見合わせ、納得した様子でアイマンが剣を鞘のままルナイに差し出して言った。


「ウマイヤの言葉で刀のことをシャムシールと呼びます。特に私のシャムシールはダマスカスこうでできていて、ものすごく切れますから触れるときは気を付けてください。簡単に指が落ちますよ」


 アイマンの剣は三日月のように刀身がった、半月刀シャムシールである。鞘から抜いて灯火にかざしてみると、刀身の表面には雲のようにフワフワと形の定まらぬ、不思議な渦紋様が浮かび上がっていた。


 刀工のルナイは一瞥しただけで、薄く研がれたやいばの切れ味がわかった。うかつに触れれば指が落ちるというのも、決して誇張ではなさそうだ。

 薄い刃でありながら、激しい戦闘の後だというのに刃こぼれひとつ残していない。


「このはがねはダマスカス鋼というのか」

 ルナイは初めて見る珍しいはがねに感嘆した。

「そうです。丈夫でよく切れ、そして錆びることがありません。それに……。そうですね、あなたの剣を見せてください」


 アイマンはルナイの剣を求め、大ぶりの太刀が手渡されると正面に構えた。ルナイの太刀は幅広く直線状のシンプルな形状をしている。いわゆる古代から使われてきた両刃直刀である。


「長い。そして重すぎます。これでは馬上で剣を振るうことは無理でしょう?」

「馬上で? 馬なら剣よりも弓を使うだろう」、ルナイはいぶかった。


 そもそも蝦夷は弓矢をよくする民である。ルナイの国では、馬上からの戦いは剣を使わず、離れた距離から矢を射かけるのが一般的な戦法であった。

 しかもこの当時は、大和人にせよ蝦夷にせよ、戦に用いる刀は重い両刃の直刀で、突き刺すか叩き斬るか、いずれかの攻撃法しか選べなかった。


「弓は弓隊に任せればいいのです。足の速い馬があるなら、騎兵が敵部隊へ迅速に押し寄せ、すれ違いざまに切り伏せる。それで一気に片がつくじゃないですか、」

 アイマンはルナイの長い太刀に目をやり「とはいえ、この重い剣ではとうてい無理な戦術ですね」と首を左右に振った。


「そうだろう? そこでアイマン皇子、あんたに頼みがある。この俺にダマスカス鋼の造り方を教えてくれないか? 俺は新しい刀を造りたいんだ。国を切りひらく刀だ」

 ルナイは若きおさアテルイの言葉をそのまま引用し、そして頭を下げた。


 アイマンとアッドブの主従は、ルナイの依頼にふたたび顔を見合わせる。

「残念ですが、ルナイさん。私は刀の専門家ではありません」

「すまん、俺がどうかしていた。あんたたちは刀剣の使い手であって、刀工ではないのだからな」

 そう上手い具合に事は運ばない。ルナイは頭を掻いた。


「まあ慌てないでください。あなたますよ、ルナイさん」、アイマンが笑みを浮かべた「従者アッドブは元刀鍛冶です。私のこの剣も彼が鍛えし半月刀シャムシール。アッドブは刀のことなら何でも知っています」


「なんと!」、ルナイの顔が輝いた「どこまで俺は運がいいんだ。アラハバキの神のお導きか!」

「あなたはシャムシールを造れる刀工を欲している。一方、私は大和へ渡って不老不死の仙薬を探したい。どうやらお互いの利害が一致したようですね」


 喜ぶルナイとアイマンに、いままで一歩下がって控えていたアッドブが口をはさんだ。

「ちょっと待っていただけますか。俺は刀鍛冶がイヤで、血を吐くような長い訓練の末にようやく兵士ムカーティラになったのです。再び鍛冶屋に戻る気など、さらさらありません。そもそもチャムス先生は不老不死の仙薬などないと、そのようにおっしゃっているではありませんか。もはや大和へ渡る意味がないのでは? そろそろ旅費もたまりますし、帰国の途につく潮時ですぞ」


 皇子アイマンと従者アッドブは、そこからウマイヤの言葉で言い争いを始めてしまった。一介の兵卒が皇子にたてつくなど、尋常なことではない。それほどアッドブの意思は堅固だった。


 ウマイヤ人らに蚊帳の外へと追いやられた形のルナイとチャムス老人は、互いに顔を見合わせ苦笑した。折よく運ばれてきた宴席料理に、これ幸いと箸をつける。


「ときにルナイ殿」

 すでに酒が回っているのか、チャムス老人の顔はほんのり赤く染まっていた。

「はい」

「あなたは大和人やまとびとではなく、蝦夷えみしですな?」

 言葉の不意打ちを喰らって、肉をつまんでいたルナイが一瞬固まる。すでに案内話者チャムスは、ルナイの出自を見抜いていたのだ。


「どうしてわかった? ご老人」

 ルナイは言い訳をしなかった。この老人に隠しごとは通用しないであろう。

「その蝦夷刀えみしとうですじゃ。昼間、馬賊が狙っておりましたじゃろう」

「この刀? 狙う価値なんてまったくないぜ。宝飾品でもなんでもない、俺が鍛えたただの実用品だからな」

「そこがいいんじゃて。蝦夷刀は馬賊の祭事に祀られる神格化された宝の刀。権力の象徴となる特別な価値を持ってい……ぐふっ」

 上機嫌で語っていたチャムスが、突然くぐもった声をあげた。と、同時に彼の口から血があふれだす。


 チャムスのやせた胸の中央から、残忍にきらめく刃の先端が飛び出していた。

外からすだれを通して突き出された凶刃が、背後から老人の体を貫いたのだ。


 チャムスの体から剣が引き抜かれ、老人の体が力なく床に崩れ落ちる。


「チャムス老!」

「先生!!」

 ルナイとアイマン、それにアッドブが叫んだ。


 それを合図にしたかのように、部屋と廊下を隔てていた三方の簾が一斉に切り落とされた。


 部屋の提灯に照らされ、廊下の暗がりに浮かび上がったのは、はたして昼間の馬賊たちの姿であった。

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