第2話 西国から来た皇子アイマン

――大和言葉!?


 言葉の通じぬ異国、渤海ぼっかいで母国の大和言葉を耳にするとは。

 ルナイはあんぐりと口を開けた。あまりにも呆けた表情をしている自分に気づき、あわてて騎兵に返答する。


「そうとも俺は大和人やまとびとだ、」正確にはルナイは大和人ではなく蝦夷えみしであったが、それは伏せておく。言う必要がないからだ。「あんた、どうして大和言葉を知っている?」


 初めて目にする金髪に鎧をまとった男が完璧な母国語を話せば、その存在は物の怪もののけにすら思えてくる。


「あなたの後ろにいる先生に教えてもらったんだ」

 騎兵はルナイの背後を指さした。


 ルナイが振り返ると、いつの間に来たのか彼の真後まうしろに老人が立っている。しかも鼻息がかかるほどの間近さだ。毛ほどの気配を感じさせることなく、どうやって近づいたのか。この老人まで物の怪じみて見える。


案内話者あないわしゃのチャムスじゃ。そなた、案内話者が入り用じゃろう?」

 チャムスは陽気な細い目をさらに細めた。


 案内話者とは、いわゆるガイド兼通訳のことである。

 浦泊のような規模の大きな貿易港には、そういった言語に巧みな者がたむろっている。言葉が通じなくては取引がスムーズに進まないからだ。

 案内話者は商売の匂いを嗅ぎつけると、巧みに言葉の通じぬ者らの間にすべり込んできて話をまとめる、触媒のような存在だった。


「俺、その騎兵に聞きたいことがある」

 ルナイは命の恩人である金髪の兵士を指さした。

「私も大和人に用がある」、と金髪の騎兵。

「どうやらご両人のご要望が一致したようじゃな」

 商売のタネが生じて、案内話者のチャムス老人はホッホと満足げに笑った。


 ◇


 その日の晩、浦泊ラウネトマリの波止場近くの宿屋に隣接した宴会棟で、ルナイと金色の髪をした男は落ち合った。


 晩飯でも食べながら話し合えば、初対面の異国の者同士の会話もスムーズに運ぶであろうと、人情の機微を知り尽くしたチャムス老人の計らいである。


 甲冑を脱いだ金髪の男は、昼間見た印象よりも若い。

 今年二十八を数えるルナイよりも年下であることは間違いない、せいぜいいって二十歳ぐらいか。


 金髪の男はアイマンと名乗った。大柄な従者一名を連れている。

 ルナイは従者の顔に見覚えがあった、警備騎兵の中でもひときわ異彩をはなっていた熊のような大男だ。


 彼らが通された小部屋は、にぎやかな宴会棟の奥まった場所に位置していた。

 扉こそないものの北面を壁に、廊下へ通ずる残る三方を小綺麗なすだれに囲まれて、外から宴席は見えない造りになっている。

 密室でもなく開放的すぎもしない。初めて会った者たちが会話を交わすにはうってつけの場であった。

 室内の灯りとして、白い薄紙を貼っただけの素朴な小提灯が並ぶ。提灯は浦泊の名産品だ。


 老人チャムスは円卓の東西に配置された椅子にルナイとアイマンを座らせ、自らは南側の椅子に席を占めた。熊のごとき従者はアイマンの背後に立ち、警護を務める。


 円卓につくと食事が運ばれるのも待たず、性急にアイマンが話を切り出した。よほど大和人と話がしたかったとみえる。


「ルナイさん、あなたは不老不死の仙薬を知っていますか?」

「不老不死?」

 ルナイは面食らった。開口一番何を言うかと思えば、いきなり荒唐無稽な話である。


「あなたの国にあるのでしょう?」

 とまどうルナイに、アイマンはなおも詰め寄る。

「彼はいったい何の話をしている」

 ルナイは返答に窮し、間を取り持つ案内話者のチャムスに助けを求めた。


「若者はせっかちでいけない。説明が必要じゃろうのう。アイマン殿がいう不老不死の仙薬とは、秦の始皇帝が徐福という老人に命じた想像上の薬じゃよ。今からかれこれ千年も昔のことじゃて。不老不死の仙薬が蓬莱ほうらい、つまり大和にあるといって、徐福は三千人の子どもと技術者らを連れ、海を渡ったという。仙薬を探しに行ったはずの徐福は、大和に住みよい土地を見出すとそこで王になって帰ってこなかったというがな。その逸話に尾ひれがついた噂となり、はるばる砂漠を渡り、遠く離れたアイマン殿の国に伝わったんじゃろう、千年もの長き時をかけてじゃ」


 老人チャムスは身振り手振りを交え、ときおり美酒うまざけを口にしながら、アイマンとの出会いを語った。アイマンは大和への渡航に備えて、複数の言語に堪能なチャムスを師と仰ぎ、二年ががりで大和言葉を習得したのだそうだ。


「アイマンの国……それはいずこに?」

 もの珍しい金色の髪をした風体から見て、渤海周辺でないことは確かである。ルナイは興味を惹かれた。

「太陽が沈むところ。とう天竺てんじくよりも、さらに先の遠く離れた西方です」

 アイマンは漠然としたことを言う。


「ウマイヤ国の国王アブドゥル・ラフマーン一世陛下が、アイマン様のお父上であらせられます」

 アイマンの背後に控えていた熊のような従者が補足した。


 驚いたことに従者まで大和言葉を話す。従者はみずからをアッドブと名乗った。ウマイヤの言葉で「熊」の意だそうだ。

 見た目そのままの名だと、ルナイは心のうちで苦笑した。


「国王の皇子みこか。それがどうして渤海の警備騎兵などしている?」

 ルナイの疑問はつきなかった。

 銀色に輝く立派な鎧は王族の証としても、馬賊と渡り合う危険な騎兵職に身を置く意味が分からない。


「一つは私には軍を指揮した経験があること。実戦経験豊富な指揮官はどこでも引く手あまたでしょう。この能力を活かさない手はありません。二つめの理由は……金がない。大和へ渡る旅費がないってことですよ」


 アイマンが語るには、ウマイヤ国を発ったときは総勢三十名からなる立派な遠征隊だったが、不老不死の仙薬を求め、東へ向かう旅の途中でたびたび馬賊の襲撃にあったそうだ。


 長旅を続けるうち潤沢であった資金は奪われ、賊と闘った兵士は命を落とし、またある者は病を得て倒れ、一人減り二人減りするうちに最初の三十名はとうとうアイマンと従者アッドブの二名を残すのみとなってしまったという。


 金髪の皇子アイマンらの苦難の旅を聞き、いたましく思う気持ちを抑えることができず、ルナイは口を開いた。

「そんな苦労をして大和へ渡っても、不老不死の仙薬なんて……」

 チャムス老人が卓の下でルナイの足を蹴り、眼で合図を送ってきた。商売の邪魔をするなという意味だろう。


 ルナイを足蹴りで黙らせておいて、チャムスは素知らぬ顔で話を進めた。

「アイマン殿のお話を伺ったところで、さて次はルナイ殿の要件を伺いましょうか」


「私に用事がおありだとか?」

 アイマンは興味津々のようすで、ルナイを見つめた。

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