渤海の刀工 ~理想の刀剣を求めて~

柴田 恭太朗

第1話 渤海へ渡った刀鍛冶ルナイ

 ――まつろわぬたみ蝦夷えみし

 東国に住まう彼らのことを、母国ではそう呼んだ。


 ここ異国の地、渤海ぼっかいへと単身船で渡ってきた若者がいる。歳の頃は二十半ばを過ぎたぐらいか。

 名をルナイといった。彼は鍛え上げたしなやかな体をもつ蝦夷えみしである。


 毛皮のふちどりがついた上下に、兵士つわもののように幅広の太刀を腰へいているが、戦士ではない。


 双腕の筋肉もたくましく盛り上がっていたけれども、日に焼けた顔の中で好奇心に輝く人の良さげな眼つきは、いたって柔和である。彼のたれ目がそう感じさせるのであろう。


 蝦夷の若者ルナイの生業なりわいは刀鍛冶であった。元来、彼の村において刀鍛冶は世襲であり、生まれ落ちた村から生涯離れることのない職業である。

 その鍛冶職人が母国を離れ、海を隔てた大陸へと渡ってきたのは特別な理由があった。


――『国を切りひらく新しき刀を造れ』

 それが蝦夷の若きおさ、アテルイから受けためいである。


 津軽の十三湊とさみなとって西へ航海すること五日。たどり着いたところは、浦泊ラウネトマリ港。

 渤海の中央に位置する大きな貿易港で、行き交う人々の人種もさまざまだ。


 渤海人はもとより、西から来た目の細いキタイ人に唐人、南の新羅しらぎ人と顔つきも身にまとう衣装もまちまち。せわしなく人が行き交う色彩にあふれた港町であった。


 たいていの港町には併設された市場がある。ここ浦泊も例外ではない。

 市場の細い道は両脇に赤い屋根の露店が立ち並び、店の主は前を通る客に向けてさかんに声をかける。それが数百からなる市場全体の店で行われるから、たいへんにぎやかであった。


 ルナイは珍しい品々に目を奪われ、南方の珍しい果物や唐から渡って来た貴重な磁器を見て回る。言葉がわからぬから、気になるものがあっても買い求めることはできない。それでも見て歩くだけで心が弾む。


 突然、彼の行く手から男の怒鳴り声、女の悲鳴が上がった。

 それまで市場をそぞろ歩いていた群衆が、いっせいにルナイの方へ向かって駆けだしてくる。追って来る何者かから逃げているのか、みな必死の形相である。


 逃げる群衆の背後から現れたのは十余騎の疾駆する馬。それに騎乗するむさ苦しい男どもが奇声をあげ、手にした蛮刀を振り回している。

 彼らは行く手の邪魔になる者を問答無用で切り伏せ、路面に倒れ伏した者は馬のひづめで蹂躙しながら突進してくる。


――馬賊!


 ルナイは十三湊を出る際に、浦泊の街を襲うキタイ馬賊の話をさんざん聞かされていた。港に着いた早々、悪名高き馬賊にお目にかかるとは運が悪い。

 思いを巡らす間もなく、先頭を行く馬賊がルナイの姿を見つけると、鋭く残忍に輝く剣を頭上に振り上げ、奇声とともに切りかかってきた。


 ルナイは腰の太刀を抜く間もあらばこそ、後ろに飛びのいて賊の刃をかわす。

 しかし着地した場所が悪かった、店先に置かれた水がめに足を取られ、したたかに石畳へ尻もちをつく。


 地に転倒したルナイをくみしやすしと見たのか、一度は通り過ぎた先頭の馬賊が馬の首を返し、ひづめの音を高らかに響かせ戻って来た。あるいはルナイの大ぶりの太刀に目をとめ、これを奪い盗ろうという腹づもりかもしれない。


 馬賊の男は身を覆った砂塵よけのマントを跳ね上げ、血に濡れた剣の切っ先をルナイの太刀に向ける。男は太刀について何ごとかを問うたが、あいにくルナイは言葉がわからない。やはり馬賊の目的は太刀のようだ。


 太刀のつかを握りしめ押し黙ったままのルナイに、男はしびれを切らし剣を頭上へ振り上げる。必殺の気合もろともルナイの頭蓋めがけて剣を振り下ろした瞬間、


 馬賊の腕が宙を飛んだ。

 腕の後を追いかけて数条の鮮血がほとばしる。


 蛮刀を握りしめたままの二の腕から先が空を飛び、石畳に落ちて二転三転していった。


 馬賊がルナイに気を取られている隙に、追ってきた警備騎兵が背後から刀を振るい腕を切り落としたのだ。騎兵の姿が目に入っていたはずのルナイですら理解が追いつかぬ、一瞬の出来事であった。


 腕ごと得物えものを失った馬賊は、すぐさま馬の腹を蹴ってその場を離脱する。背後からの次撃を恐れたのだろう。


 ルナイは命が救われたことよりも、人を斬った剣の鮮やかな切れ味に驚いた。そのままゆっくりと彼の命を救った者の姿を見上げる。


 それは兜から金色の髪をなびかせ、陽光を受けて不思議にきらめく銀の鎧を身に着けた若い警備騎兵だった。


 駆け付けたのはその金髪の騎兵だけではない。馬賊を追って警備騎兵の一団が迫りつつあった。


 片腕を失った馬賊は残る腕で馬の手綱を引き絞り、後続のならず者に向けて大音声の号令を発した。どうやら彼が賊の頭目とみえる。


 リーダーからの下命でキタイ馬賊は各々の馬にムチを当てた。激しくムチ打たれた馬たちは石畳を踏み鳴らし、魔のような速さで市場通りを駆け抜けていく。


 最後尾しんがりの者が馬を走らせながら店先ののぼりや商品を崩し、後を追う警備騎兵の前に障害物を残していった。

 襲撃になれた馬賊たちは、逃走もまた手慣れたものだ。


 追撃をあきらめた警備騎兵らが手にした刀をさやに収め、馬の首をそろえて陣形を整えはじめた。


 荒らされた市場を復旧するのは彼らの仕事ではない。馬賊が去った今、現場の混乱はそのままに、騎兵の詰め所である浦泊ラウネトマリ砦へ引き上げようというのだろう。


 好奇心に駆られたルナイは騎兵の集団に近寄ってゆく。先ほど一撃のもとに賊の腕を切り落とした騎兵の刀剣を間近に観察したいと思ったからだ。


 太刀を腰に佩いたまま近づいてくるルナイを警戒して、熊のごとき巨体の騎兵が一度は収めた刀をふたたびさやから抜き払う。


 騎兵団の一名が手をあげて仲間を制した。

 先ほどの金髪の騎兵である。二十騎ほどいる騎兵の中で金色の髪を持つものは彼ただ一人であった。また銀に輝く鎧を身に着けているのもまた彼一人、身長は高くないが異様に目立つ風体だ。


 その騎兵が兜からあふれる金色の髪を風になびかせながら、馬を進めてルナイの元へやってくる。顔の見える距離で停止した。先ほど受けた印象よりさらに若い。


 若き金髪の騎兵は、ルナイにこう尋ねた。

「あなたは大和人やまとびとか?」


 あろうことか金色の髪をした騎兵が発した言葉は、流暢な大和言葉やまとことばであった。

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