青空 (頼まれた夕日)

帆尊歩

第1話 青空


「おばあちゃん、科学省から山下さんが」

「お通しして」


「先生、お加減はいかがですか」

「別にお加減もなにも」

「最新の延命技術を使えば」

「こんな赤い世界でこれ以上生きてどうするの、百も生きれば十分よ」

「今日はその事でご報告が」

「日本の提言が通りそうなの?」

「はい、根回しも済みました。来週の環境世界大会で通せます。そうすれば青い空が、先生の夢が」

「そんな。稼働したとしても、何年かかると思っているの」

「一応科学省では、三百年と」

「いえ、私の試算では、良くて五百年」

「でも、大いなる一歩には違いありません」


科学省の次官、山下は、私の最後の弟子だ。

私が大学を退官する直前に新入生として入ってきた。

あれから四十年。

環境の世界では権威と言われた私と、新入生。

そこには何の利害もない関係性が築けていた。


世界は赤い、と言うのは常識だった。

でもあたしは、おばあちゃんから、世界は青かったと聴いたことがある。

九十年も前の話だ。

「空は青かったのよ」

「おばあちゃんは、青い空を見たことがあるの」

「おばあちゃんもない」

「なーんだ」とあたしは言った。

そんな当時でさえ、五十年も前の話をする方もする方だが、真に受ける方も真に受ける方だ。

「先生、なんで世界は赤いんですか」若い山下はあたしに聴いてきた。

「光は白いのよ、ところが大気汚染で、その塵にあたって、散乱してしまう。で散乱しにくい赤い光だけが地表に届いて、世界は赤くなっているの。ちなみに、大昔は塵が今より少なくて空は青かったのよ」

「いつの話ですか」

「五百年くらい前かな。ようは大気汚染よ」

「青い空か。見てみたいな」

「ちなみに昔は赤くなるのは、日暮れのほんの少しの時間だったらしいわよ。だから赤い夕日は美しいって思われていた」

「夕日が美しい?あり得ませんね、赤い世界は様々な弊害をもたらしたというのに」

世界の権威と新入生の会話だ。


確かにあの時のあたしは全てに絶望していた。

青い空。

おばあちゃんから言われて、環境の世界に入った。

でも四十年やって世界の権威と言われながら、世界は何も変えられなかった。

諦めと絶望の中、退官を目前にしてこんな孫のような学生とおとぎ話をする。

なぜ何も進まなかったのか、様々な大人の事情。

抵抗勢力。

コスト。

国家間の格差。

事情の違い。

そんな物が全て分かっているのに孫のような学生と夢を語る。

それは、おばあちゃんとの約束があったからかもしれない。


「砂羽ちゃん。おばあちゃん、青い空が見てみたいな」

「分かった。あたし、おばあちゃんのために、空を青くするね」

「おばあちゃんの夕日の頼み、聞いてくれるのかい、ありがとう」


うかつにもそんな事を山下に話してしまった。

いずれ現実を山下は知る、そうすればそんな事が夢物語だと言うことが分かるはずだ。

ところが山下はぶれずにここまで来た。

次から次に降りかかる問題を一つ一つ解決していった。

山下が失脚しては意味がない。

泥は全てあたしがかぶった。

権威と呼ばれた実績を棒に振りそうになった事も、一度や二度ではない。

どれだけ世間に叩かれようと。

おばあちゃんとの約束を果たすため。

山下に全てを託すため。


「先生、お疲れですか?」

「そうね。少し疲れちゃったかしら」

「では先生。私はこれで。でも一つ言わせてください。

五百年後、世界の空が青くなるのは、先生のおかげです。これでおばあちゃんとの約束が果たせますね」

「でも、あたしは、青い空を見ることはない」

「それは僕もそうです。でも夢を見ることは出来る。目をつぶれば想像も出来る。

神様はどんなことでも夢の中ではかなえてくれるんです」

「そうね、そうかもしれない」


山下が帰った後あたしは書斎の椅子で目をつぶる。

なんだか疲れた。

青い空か。

みんな知らないけれど、雲は白いのよ。

そして白い光の中では、海の青さのせいで空は青い。

今は赤の波長しか届かないから赤いけれど。

素敵でしょうね。

白い砂浜。

青い海と空。

白い雲。

ああ本当だ。

この書斎の窓の外だって赤一色なのに、想像の中の世界は青。

なんて素敵なんでしょう。

五百年後が楽しみだわ。

やっと眠くなってきた。

では今度は夢の中で、青い空を見ることにしましょう。

おばあちゃん、約束果たせるよ。



「おばあちゃん。そろそろ、夕食の時間よ。あら、久々に山下さんが来て嬉しかったのはわかるけど。疲れちゃった?

おばあちゃん。

えっ。おあばちゃん!

おばあちゃん。おばあちゃん」



五百五十年後


「久しぶりの海,気持ち良いね」

「ああ」

「ねえ。せっかくだから夕日も見て帰ろうよ」

「そうだね。赤い夕日綺麗だからね、俺赤い夕日綺麗だから大好きなんだ」

「あたしも。でも知ってる」

「何を」

「五百年くらい前は、世界は夕日に染まった真っ赤な世界だったらしいよ」

「なんで青くなっちゃったんだ。ずっと夕日を見ることが出来るなんて、素晴らしいじゃないか」

「ほんとに、夕日の世界って素敵よね」




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青空 (頼まれた夕日) 帆尊歩 @hosonayumu

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