第131話 初めての蕎麦

side紺野サクラ



 呼ばれるがままにその人の元に向かって話をして、また次の人に呼ばれたら移動して、と繰り返していると人知れず腹の虫が悲鳴を上げた。話をしていると食べ損ねてしまうけど、絶えず呼ばれてしまうから食べる時間がない。


 空腹のせいで少しふらふらするけれど、琥珀さんたちが何も食べずに頑張っているのを見ているとボクだけわがままは言えない。



「サクラさん」



 また呼ばれて振り向くと、トモアキさんが手を振っていた。お腹が空いていて元気が出なくても、トモアキさんと話せると思ったら少し元気が出た。



「トモアキさん! どうしましたか?」


「サクラさんと一緒にお蕎麦が食べたいと思いまして。どうですか?」



 グゥゥゥ……


 トモアキさんの悪戯っぽい笑みに、ボクのお腹の虫は素直に返事をした。トモアキさんはそれに肩を震わせて笑うと、ボクにそばつゆが入った器と割り箸を渡してくれた。



「薬味もいろいろありますから、好きなものを食べてくださいね」


「はい」



 とは言ったものの、蕎麦を食べたことがなくて食べ方が分からない。ネギと揚げ玉と海苔は研究所でつけうどんを食べた時にも使っていたけど、蕎麦の時も同じように食べて良いのだろうか。


 トモアキさんがざるから蕎麦を持ち上げるのを真似して持ち上げる。うどんよりは拾いやすいけれど、逆に取れすぎて器に入らなそうだ。少し手間取っている間に、トモアキさんはそばつゆにネギと海苔を入れた。



「他のは使わないのですか?」


「今はこれだけで良いです。わさびは食べられないですけど、他の揚げ玉とか大根おろしとかくるみつゆは順番に使います。一度に食べる楽しみもありますけど、それぞれにも良さがありますからね」


「なるほど」



 分からないなら真似をしよう。そう思って、ボクもまずはネギと海苔を入れてみた。うどんと同じように啜って食べるようだったから、恐る恐る啜ってみた。


 口の中に広がる苦みと甘みが混ざったような深い風味をつゆの甘みとしょっぱさがまとめてくれる。そこにネギの少しピリリとした辛味が乗っかる。それを包み込むように海苔の穏やかな香りがやってきた。


 うどんよりは癖のある味。だけどこの苦みと甘みのバランスが美味しい。どんどん食べたくなってしまう。



「美味しかったみたいで何よりです」



 トモアキさんに微笑まれて、顔に出ていたのかと恥ずかしくなる。器に顔を隠すと、トモアキさんはボクのしっぽを指差した。



「こっちも嬉しそうに揺れてますよ」



 言われてようやくしっぽをブンブン振っていたことに気が付いた。恥ずかしいけれど、しっぽの動きは止まらない。どうしようかと思っていると、トモアキさんは自分の器に揚げ玉を入れ始めた。



「サクラさんも、次は揚げ玉で食べてみますか?」


「はい!」



 止まらないものは仕方がない。目の前の美味しいものに集中してやる。ボクも器に揚げ玉を入れて、そこにもう一度蕎麦をつけて口に運んだ。



「おいひい……」



 今度は蕎麦の風味を揚げ玉の油分が包み込んで、少し重みが加わった味になる。ボクが大好きだった揚げ玉のサクサクした食感も楽しくて、やっぱりどんどん食べたくなってしまう。



「蕎麦ってどんどん食べられる気がしてくるから不思議ですよね」


「はい。一緒に食べるもので味が変わるのも楽しいです」


「それは良かったです。じゃあ、次は大根おろしで食べてみませんか?」


「食べます!」



 大根おろしを入れて蕎麦を食べると、ネギとはまた違うピリッとした辛味が癖になる。それに大根の部位によっては甘みがすっきりした味にしてくれて、やっぱりどんどん食べたくなる。



「大根も気に入ってくれたみたいですね」


「はい! どちらかといえば甘い方が好きです」


「僕も同じです。あ、次はくるみつゆを入れてみましょうか」


「はい、食べたいです!」



 くるみの風味と甘みと苦みが蕎麦によく合う。それからくるみのザクザク、とろとろした食感が面白い。くるみは山の中にっていたものをこっそり食べたこともあったし、彩葉さんが好きだったから小さい頃からよく食べていた。


 今度うどんを食べるときにもこのつゆで食べたら美味しそうだな、なんて思いながら懐かしい風味を堪能する。彩葉さんも弟たちも、みんな元気かな。


 つい研究所での暮らしを思い出して、ちょっとだけ寂しくなった。父さんは彩葉さんが一緒にいてくれるから大丈夫だと思う。だけどご飯をちゃんと食べているかとかお風呂に入っているかとか、色々と心配になる。



「サクラさん? 美味しくなかったですか?」



 ボクの顔を覗き込んできたトモアキさんの眉は下がっていて、心配を掛けてしまったと気が付いた。ボクは慌てて首を振ったけれど、トモアキさんはまだ不安そうにしている。



「もちろん美味しいです。なんなら、これが一番好きです。ただ、ちょっと家族が懐かしくなって」



 トモアキさんはホッと息を吐いた。それからいつもの微笑みを浮かべると、ボクの口元についていたらしい、くるみつゆを拭ってくれた。



「サクラさんの家族ですか?」


「はい。くるみが大好きな人がいて、元気にしているかなって思ったんです」


「そうなんですね。サクラさんの家族のお話、もっと聞いてみたいです」


「サクラさん!」



 トモアキさんの言葉にボクが嬉しくなって父さんや彩葉さんの話をしようと思ったところで、向こうの方にいた誰かに呼ばれてしまった。



「サクラさん、また聞かせてくださいね?」


「はい! あの、蕎麦のこと教えてくれてありがとうございました。また一緒にご飯食べましょうね!」



 笑って頷いてくれたトモアキさんに元気をもらって、ボクは呼ばれた方に走った。


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