第126話 吉津音村
side京藤千歳
吉津音村の歴史は長い。その昔、この村は十三軒の家が軒を連ねるどこにでもある小さな集落だった。
ある時、千と呼ばれた家に一人の娘が生まれた。この娘はすくすくと元気に成長し、十になるころには周辺の集落で最も美しい娘だと言われたという。この娘はよく両親の手伝いで山に入っていたが、ある日山中で行方が分からなくなった。
集落の人々が総出で探したが娘は見つからず、みな悲しみに暮れた。しかし娘が行方不明になってから半年が経った頃、山からキツネが一匹下りてきた。そのキツネは一足の草履を咥えていた。それは紛れもなく行方不明になった娘のものだった。
集落の人々は山に帰ろうとするキツネを追いかけて山に入った。するとキツネが帰った先で、足を怪我して動けなくなった娘がいた。
「神様に祈ったらこのキツネさんが来てくれたのです。キツネさんはこの寝床に連れてきてくれて、食事も分けてくださいました」
娘はそう言いながらそのキツネの背を撫でた。集落の人々は娘を助けてくれたキツネと神に感謝するために社を建てた。この社に祀られた一柱の神が後にお稲荷様と呼ばれるようになった。そしてキツネはその神の眷属だと考えられるようになったという。
そして娘は神に愛された者として神から色守の名を受けてこの社に住まい、神と集落の人々の橋渡しをしていたという。そしてこの娘が産んだ子どもたちが代々この社を守ることとなった。
そのうちに他の地にも素晴らしき神の話を伝えようという話になって社を分けるようになったというけれど、それは社が完成して数百年が経った後の話だ。
十二の家の人々はこれを受けて色守の家を守ることに力を尽そうと決めた。神に守られた集落。それを存続することはこの集落に住まう者にとっては大きな意味があった。
これによって元々協力して生活していた集落の様相が変化した。より専門的な分業を行うようになり、色守の家の者と神、キツネ様のために十二の家が付き従うような主従関係に近いものが完成した。
一は農業、二は統治、三は政治、四は運送、五は菓子、六は数学、七は医学、八は服飾、九は薬学、十は商売、百は食事、万は文学。それぞれが見出した専門性が色守の家の者を助け、時折途絶えたり形を変えたりしながら現代まで続いている。
それぞれが職を担うことによって一つの家も欠落を許さず、十二の家には優劣がないことを示そうとしたのだという。本当にそれのおかげなのかは分からないけれど、今もその十二の家を継ぐ者がいる。
この十二の家に守られ、十二の家と混血しながら続いてきた色守の家が石竹、京藤、常盤、山吹の家を分けたのは数百年前のこと。色守の家の血を継ぐ者が急増した。これから反対に色守の者が断絶の一途を辿ることになることを懸念した当時の色守の長が家を五つに分けた。
その判断は正しかったという。血が濃くなり過ぎたのか、色守の人間は幼くして亡くなることが多くなった。時折分家から養子を受けながら色守をどうにか存続させ、神との関わりを保ち続けた。
そしてそんな状況になって初めて、色守の家の者はいつしか数の家と呼称が変わった十二の家の者との結婚を強制されることがなくなった。しきたりでがんじがらめになっていた村が解放されていった。
村が自由になってしばらくすると、眷属様の来訪が途絶えた。それによって村からは数の家以外の人間が一人、また一人と去って行った。そして遂には、数の家からも村を出ていく者が現れた。
私が世話係の任に就いたころ、またかつてのしきたりを復活させるべきかと議論が持ち上がった。数の家からの提案は無下にはできない。けれどまた自由を失ったこの村に未来はあるのかと私は疑問に思った。
のらりくらりとその議題を避けて、その間にも一人二人と村人がいなくなった。人口減少に伴って隣の街との合併の話も出たけれど、街の住民はこの村の風習に対する明らかな嫌悪感を抱いている。そのおかげでその話は頓挫した。けれどその間にも人口の減少は止まらない。
表向きにも裏向きにもギリギリ。そんなときだった。サクラが村にやってきた。伝え聞くものと反対に、私たちがサクラの傷の手当てをし、食事やお風呂を与えた。どこか運命的な出会いだと思わなかったわけではない。
私たちは必死だった。必死にサクラを引き留めて、サクラにこの村の命運を託した。こんな重大なことをサクラには伝えていない。歴史だけ、サクラやキツネ様がどうしてこの村で信仰されるようになったかだけを伝えた。
私たちはずるい。それをお稲荷様なら見抜いているだろうと思いながら、いつお稲荷様がこの村を去ってしまうかとハラハラし続けながら。今日もこうして神事を行って、信仰心だけでも嘘がないことを示し続けることしかできない。
サクラのことも、本当の家族のように思っている。その思いが強くなれば強くなるほど、言いだしづらくなっているのもまた事実だ。
だけどいつか、サクラがここに来てくれて本当に嬉しかったのだと、村としても、私個人としても心からそう思っていることを伝えたい。
「吉津音村の繁栄と、お稲荷様の御加護、眷属様であるサクラのご尽力に。献杯」
琥珀が掲げた盃。琥珀が口を付けて、次は私。御空、助六、トヨ爺と全員に回っていく。盃の契り。この儀式のときほど胸の苦しみを感じるときはない。
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