第124話 炬燵とみかん
真っ白な世界で目が覚めた。見覚えのある場所だから呑気に欠伸をしていると、ふわりと金木犀の香りが漂ってきた。ボクは姿勢を正して香りを纏う、真っ白なワンピースを着たお稲荷様の方に向き直った。
「こんにちは、サクラ」
「こんにちは。どうかしたのですか?」
お稲荷様はニコリと微笑むと、ボクの目の前に炬燵とみかんをポンッと出現させた。
「ゆっくりお炬燵に当たりながらお話しましょう」
炬燵に当たるお稲荷様はボクを手招く。おずおずとボクも炬燵に当たると、ポカポカと温かくて頬も気持ちも緩んだ。
「ほらほら、みかんも食べて食べて」
のんびりとにこやかにみかんを勧める姿はチヨさんやカヨさんみたいだ。言われるがままにみかんの皮を剥き始めると、お稲荷様は手を組んでそこに顎を載せた。
「サクラ、最近体調は落ち着いているようですわね」
「はい。皆さんのおかげで」
「そう。それは良かったですわ。ですが、その分サクラの心に負担がかかっていませんか?」
見透かしたようなお稲荷様の言葉にドキリとして、みかんを剥く手が止まる。
心当たりがないわけではない。みんながボクのために頑張ってくれる分、ボクもみんなのために頑張ろうと思った。だけどそれが少し苦しくて、自分の不甲斐無さに落ち込んでばかりだ。
ボクとお話をして心が軽くなったとか、道が開けたとか言ってくれるみんなの手前、そんな気持ちは見せたくない。それは琥珀さんたちにもそうだ。特にボクのために動いてくれるから、掛けなくて良い心配は掛けたくない。
「サクラが思うよりずっと、みんなは救われているのですよ。サクラはもっと、自分の言葉を、優しさを、誇りに思って良いのですよ」
本当にそうだろうか。ボクの言葉は本当にみんなの助けになれているのだろうか。今は良くても、これから先みんなに良くない影響を与えることにならないだろうか。お稲荷様やボクを信じてくれるみんなの気持ちが暴走してしまわないだろうか。
ボクはずっと不安だった。
「お稲荷様は、不安になりませんか?」
ボクの問いかけにお稲荷様は答えない。顔を上げると、お稲荷様は困ったように微笑んでいた。
「お稲荷様?」
「サクラ、ごめんなさいね」
お稲荷様の黄金色の瞳がキラリと輝く。決意に満ちたその炎の揺らめきは圧倒的な強さを宿していて、ボクは思わず唾を飲み込んだ。
「私は神の一柱ですから、信仰されてようやく存在できるのです。自分が存在できるためには村人が作る嘘物語をも容認しています。彼らが必要以上に私を必要として依存しても、それを咎めるつもりはないのです」
お稲荷様はそう言い切ると、炬燵の真ん中に積まれていたみかんを手に取った。そしてそれをジッと見つめる。お稲荷様は食べられないから。
ボクはみかんの皮を剥く手を動かす。向き終わると、自分の口にみかんを一房放り込んだ。ゆっくりと味わって、飲み込んで。それからお稲荷様を見つめた。
「美味しいですか?」
「ええ。とっても」
そう言うお稲荷様の目は悲し気に揺れていた。
「お稲荷様はそれを咎めずとも、心を痛めてはいるのですね」
「当然ですわ。彼らは愛すべき私が守るべき民ですから」
お稲荷様の瞳からパチパチと煌めく光が飛び出す。その煌めきは民を思うお稲荷様の涙のようなもの。ボクが村のみんなを守りたいのと同じようにお稲荷様だって村のみんなを大切に思っている。現実と心はぐちゃぐちゃだ。
「とにかく。サクラ、今年一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いしますね」
「はい! こちらこそよろしくお願いします」
お稲荷様はニコリと微笑むと、両手を炬燵の中に入れてふぅっと一息吐いた。ぽわぽわと微睡む姿は神様というより近所のお姉さんのようだ。
「そうだ、お稲荷様は色守彩葉さんを知っていますか?」
「彩葉? もちろん知っていますよ。色守の後継者ですから。ですが、どうしてサクラが彩葉のことを……」
「彩葉さんは研究所でボクのお世話をしてくれていたんです。それで今はボクの父さんと一緒にいるそうです。父さんの元を離れられたら、この村に来ると書いてある手紙が見つかりました」
「そう、彩葉が……」
お稲荷様は視線を落とすと震える声を漏らした。ボクの大切な人は、お稲荷様にとっても大切な人だったらしい。
「ねえ、サクラは彩葉の子ではないの?」
「はい、そう聞いていますけど」
「そう……」
お稲荷様はボクの顔をまじまじと見つめる。
「こんなにそっくりだから、もしかして親子かと思ったのですけど」
「似てますかね?」
そんなこと初めて言われた。もしも本当に彩葉さんの子だったら、それは嬉しいことだと思う。だけどボクの親は父さんと知らないメスのキツネ。それが残念だとは思わない。ボクは父さんのことも好きだから。
「まあ良いわ。サクラ、彩葉が村に来たら一緒に社に来てくださいね。私も久しぶりに彩葉とお話がしたいですから」
「はい」
満足気に頷いたお稲荷様はボクの手元のみかんに視線を落とした。お稲荷様は彩葉さんの話をしながらずっと泣きそうな顔をしていた。それはどこか幸せそうで、この村のみんながお互いを見つめる目と同じだ。
「さて、食べ終わったなら向こうに返してあげましょう」
「ありがとうございました」
「いえいえ。あ、お正月のお料理はたらふく食べてくださいね? 私、ずっと食べてみたかったので」
お稲荷様がそう言って涎を拭うと、ボクの意識はフッと遠のいて行った。
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