第123話 羨む気持ち
アルトさんはそっか、と呟いたきり黙り込んでしまった。ジッと一点を見つめて微動だにしない。ボクはアルトさんから視線を外して幕で切り取られた空を見上げた。
山を登っていた時、街の方には薄く雲が浮かんでいた。だけどこの切り取られた空だけを見れば雲一つない快晴だ。ボーッと冷たい風を感じていると、隣でアルトさんが深くため息を吐いた。
「僕はダメダメだね。助が自分のことを心配してくれていることに気が付かないで、自分の我を通そうとしてしまって」
アルトさんは胡坐を組んでいた足を解いて、左膝を立てた。立てた膝に肘をついて髪をくしゃりと乱す。笑いながら唇を噛む姿が苦しそうで、ボクはアルトさんの方に手を伸ばした。
けれどボクがアルトさんに触れるよりも早く、星影がアルトさんの右膝に乗っかった。そしてダラリと垂れていた右手をそっと舐めると、曲げられた右足の隙間に上手く入り込んで眠りの体勢に入った。
「えっと、これは?」
「多分、星影なりの励まし方です」
「そっ、か」
アルトさんは恐る恐るという様子で星影の背中を撫で始めた。
「ナァ」
星影は一鳴きしてペロリと前足を舐める。そして満足気にまた丸まった。任せなさい、なんて自信ありげな星影にアルトさんを癒やす係は任せよう。ボクは言葉で心を尽くさないと。
「アルトさんはダメダメなんかじゃありませんよ。助さんはアルトさんを心配していることも、どうして作業を手伝わないで欲しいのかも、言いませんでした。言いたくないことだってあるかもしれませんけど、言わないのに相手に伝わることはありません。それに恥ずかしいとかそんな理由で言わないでおいて、相手を傷つけてしまうなんて馬鹿げています」
「確かに、本末転倒だな」
アルトさんはふむ、と眉間に皺を寄せる。けれど手は星影を絶えず撫でているからか、次第に表情は緩んでいった。
「サクラ、ありがとう。少し気持ちが軽くなったよ」
「いえいえ」
「次は僕から理由を付けて話してみるよ。助の身体が心配なんだって、素直に伝えてみる。そうしたら助の本音も聞けるかもしれないしね」
肩の力が抜けたアルトさんは空を見上げた。その横顔はすっきりと晴れていてホッとする。
助さんは一番の友人が欲しいと琥珀さんたちを羨んでいたようだった。だけどきっと、助さんの場合は助さんが使い分けているたくさんの顔をそれぞれの人が支えている。アルトさんはそれを知った上で心配してくれているのだろう。
きっと助さんもトモアキさんも、どんな自分も理解してくれる人がいるように見える人たちを間近で見ていたからそれを羨んでいるだけなんだと思う。
たとえそう見えていたとしても、本当にお互いの全てを理解できている人なんていないんだと思う。そうじゃないと思う気持ちを飲み込むか、伝えるか。それに気が付くか、受け止めるか。
それぞれがお互いに対して思うところがある瞬間。それは誰にだってあると思う。我慢すること、誰かに愚痴を零すこと。気持ちの整理の仕方もきっと人それぞれで、大抵の人が他の誰かを羨みながら生きているんだと思う。そこはキツネの世界もあまり変わらない。
ただ、そのせいで自分を大切に思ってくれる人が差し伸べてくれた手を掴めないことは寂しいことだと思う。
ふと兄弟たちのことを思い出した。喧嘩をした弟たちの話だ。
先に手を出した下の弟が素直に上の弟に謝った。けれど上の弟は謝罪を受け入れられないほど心に傷を負っていて、その謝罪を突き返した。下の弟はそれに憤怒して、上の弟に追い打ちをかけるように噛みつこうとした。ボクが間に飛んで入ったから上の弟に怪我はなかったけれど、ボクは大怪我を負った。
今のアルトさんの話とは少し違うけれど、自分が謝ったから、素直に伝えたからといって相手もそれに応じてくれるわけではない。それに対して怒るなんて、お門違いも良いところだ。
「アルトさん。もしも自分が本音を言ったのに相手の本音が聞けなかったとしても、そこに対して腹を立てるのはまた自分勝手なことですからね。それは覚えておいてください」
「……うん。分かった」
アルトさんは少しの間驚いたように目を見開いて固まっていたけれど、すぐにハッとして頷いた。
「サクラ、本当にありがとうね。僕は向こうに戻って、助に謝ってからツバキ先生にもお礼を言ってくるよ」
「頑張ってください」
「うん。これでも先生だからね。悪いことをしたら謝る、助けてもらったらお礼をする。そういう姿は見せたいからさ」
アルトさんは少し照れ臭そうに肩を竦める。膝の上に乗っていた星影は言葉が分かるかのようにタイミングよくボクの膝に移動する。
「星影もありがとうね」
「ナァ」
星影の頭を撫でてゆっくりと立ち上がったアルトさんは、部屋を出ていった。また部屋が静かになって、ボクはふぅっと息を吐いた。横になってはいけないけれど、ものすごく眠たい。
星影を抱きしめるように前屈みになって、ボクはスッと意識を飛ばした。
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