第112話 新しいかんざしを


 御空さんは銀色のシンプルなかんざしをそっと手に取ると、大切そうにそれを見つめて微笑んだ。



「これは俺がこの村に来た年に作ってもらって、ずっと手直ししてもらいながら使っているんです。空に吹く風のモチーフが刻まれていて、俺のお気に入りなんです」



 唐草模様だと思ったものは風の模様だったらしい。キサブロウさんもムフムフと笑いながらかんざしを眺めている。



「おらにとってもこれは思い入れのある作品なんだよ。おらの初仕事でもあったからね。御空がどんな顔をするのか、ビクビクしていたんだよ。だけどこれを見た瞬間、御空がとても綺麗な目で笑ってくれてね。とても暖かい気持ちになったよ」



 ムフムフと笑うキサブロウさんに、御空さんは照れ臭そうに頬を掻いた。この村に来た頃の御空さんがどんな気持ちだったのか。それを聞いたことはあるし、当時の気持ちが今にどう繋がっているのかも知っているからこそ、本心から喜んでいたのだろうと分かる。本心からの喜びは人の心を動かす力があるものだから。



「琥珀たちのはあいつらが生まれた時におらのお袋が作ってやってね。今でも使ってくれているから、お正月の時はどんなのを着けているか楽しみにしていると良いよ。お袋の作るかんざしはおらのとはまた違った美しさがあるからね」



 キサブロウさんがお母さんの腕を職人として尊敬していることが分かる。尊敬心で繋がる関係はとても良い関係だと思う。



「ねえ、そっちが終わったならサクラの袴を見て欲しいのだけど」


「あ、サクラので思い出した。サクラのかんざしはどうする? デザインについて相談していなかったよね」



 包みを手にズイッと前に出て来たタエコさんはまたキサブロウさんに押し退けられて不満げだ。拗ねたように唇を尖らせている。だけど目は楽しそうに笑っていて、ポーズだけなのだろうと分かる。



「ボクはこのかんざしが良いです」



 ボクが髪に差していたかんざしを指差すと、キサブロウさんは少し難しい顔をした。



「これと神事用のかんざしって材質が違うんだよね」


「それは……神事用に作った方が良いですね」



 キサブロウさんの言葉に御空さんは頷いた。ボクにはよく分からなかったけれど、2人がそう言うならそうした方が良いのだろうか。だけど、ボクはこれが好きなんだけどな。


 内心しょんぼりしているボクを放っておいて、2人はデザインの相談を始めた。



「まさか記念として作ったサクラさんをモチーフにしたかんざしがサクラさんの元に行ってしまうとは思っていなかったからね」


「サクラがこれを気に入っていますからあまりデザインは変えないで作りますか?」


「いや、もう少し凝ったデザインにして特別感を出したいかな」


「そうね。特別感は大事だと思うわ」



 タエコさんも加わって新しいかんざしの話を始めた。ボクはそれを聞きながらどうしても話に加わる気になれなくてぼんやりしていると、裏でガタンと音がした。誰も気が付いていないくらい小さな音だったけれど、ボクの耳には確かに聞こえた。


 もしかしてアズキさんがいるかもしれないと思って裏をそっと覗くと、パチッとアズキさんと目が合った。小さく手を振ってみると、アズキさんはブンブンと元気よく手を振りながらこちらに来てくれた。



「サクラさん、こんにちは!」


「こんにちは。今日も格好良い着物ですね」


「でしょ? これはお気に入りなんだ! 名前の通りの小豆色で、同系色の深みのある色に染められた帯にも小豆のデザインが入れられているんだよ!」



 ニヒヒと笑ったアズキさんは、自慢げに帯に施された刺繍を見せてくれた。それから視線を御空さんたちの方に移すと、軽く首を傾げて声を潜めてボクの耳に口を近づけた。



「もしかして、かんざしの話?」


「はい。神事用の新しいかんざしを作っていないことに気が付いたようで」


「なるほどね。まあ流石に神事用ならプラスチックじゃなくてべっ甲とか銀で作った方が良いだろうし……サクラさんは? どんなかんざしが良いとか、言わないの?」


「えっと……」



 アズキさんはジッと待つようにボクを見上げる。何か答えたくて考えるけれど、そもそも自分からこれが欲しいとか思ったことがあまりないからよく分からない。



「特に希望はないんですけど、このかんざしが好きなので、新しいものをと言われてもしっくりこなくて」



 素直に思ったことを口にすると、アズキさんは腕を組んでうーんと唸り始めた。困らせてしまっただろうか。



「サクラさんはこのかんざしのどこが好き?」


「どこ、ですか?」



 次の質問も答えに困る。デザインが美しいことは言うまでもないし、チャームが揺れるところも好きだ。だけどそれ以上に、思い入れがある。



「1番は、トモアキさんと一緒にビンゴをしたときの景品で、トオルさんが髪を編んでくれた思い出もあって、アズキさんや琥珀さんたちに可愛いと言ってもらえたこと、ですかね」


「そっかそっか!」



 アズキさんはニヒッと嬉しそうに笑うと、ボクの頭をわしゃわしゃと撫でた。突然のことで驚いてしまったけれど、アズキさんのまだ幼さのあるボクと同じくらいの大きさの手は柔らかくて温かい。心地良い手だと思う。



「よし。それじゃあ、ちょっと待ってて!」



 アズキさんはそう言うとタタッと御空さんたちの輪に入って行った。



「ねえ、僕に提案があるんだけど!」



 アズキさんは、ボクに聞こえないようになのか声を潜める。はっきり聞こえてしまっているのはなんだか申し訳ない気がして、ボクは両手で耳を倒して塞いだ。


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