第111話 四家の袴


 【八屋】の店内に入ると、一段上がった畳敷きのスペースに店主の八屋喜三郎さんがどっしり座っていた。大きな身体を縮こまらせて寒そうに火鉢で手を温めていたけれど、ボクたちが入ると顔を上げてムフフと笑った。



「いらっしゃい」


「こんにちは。キサブロウさん、タエコさんはいますか?」


「タエちゃんだね。ちょっと待ってて、呼んでくるから」



 キサブロウさんはのっそり立ち上がって裏に向かう。紺色の和服を着て背筋をスッと伸ばした後ろ姿は堂々として格好良い。だけど振り返ってボクたちに向かってムフフと笑ってから裏に行った。



「キサブロウさんはちょっと残念なところがありますから」



 御空さんは苦笑いを浮かべながら、チラッとすぐ傍のショーケースに視線を移した。そこにはボクが今日もつけているサクラのかんざしと同じようにキラキラと輝く髪飾りがズラリと並んでいた。



「綺麗ですね」


「はい。サクラのかんざしもそうですけど、全てキサブロウさんの手作りなんですよ」


「そうなんですか?」



 【八屋】の商品だとは聞いていたけれど、キサブロウさんが作ったものだとは知らなかった。



「とても器用な方なんですね」


「はい。身体は大きいですけど、手先が器用で所作も一つ一つが丁寧で美しいんです。千歳の所作も美しいですが、キサブロウさんはより洗練された動きをしますね」



 確かに、さっきの去り際の姿もゆったりと落ち着いた気品のある動きだった。ムフフという独特な笑い方に気を取られてしまったけれど、よく思い返せば無駄のない動きをしていたように思う。


 御空さんと一緒にキサブロウさんが作ったという髪飾りを見ていると、奥から布が擦れる音が聞こえた。顔をそちらに向けると、キサブロウさんの後ろから着物を着たタエコさんがやって来た。



「御空、サクラさん、いらっしゃいませ。預かっていた四人分の正月衣装と、サクラさんの正月衣装で良かったかしら?」


「はい。それから、先日お直しをお願いしていた俺のかんざしを受け取りたいのですが」


「あらやだ、そういえばそれもあったわね。あんた、出来てるの?」


「ムフフ、出来てるよ。ちょっと待ってね、取って来るから」



 キサブロウさんはまた裏に行ってしまった。その間にタエコさんはどーんと衣装を広げた。最初に広げられたのはボクの瞳の色より少し赤みがかった黄色の袴だった。



「前に着たものとは違うのですね」


「はい。あっちの方が正装ですから。正装は代々受け継がれたもので、春と秋の豊穣祭と、眷属様に関わる儀式の時には正装をします。ですが他の行事の時はこちらの個人用に作っていただいた衣装を着ることになっています」


「なるほど」



 その違いはよく分からなかったけれど、そういう決まりらしい。



「これは琥珀の衣装です。この琥珀色の袴は琥珀以外が着ることはありません」


「琥珀さんだから、琥珀色、なんですか?」


「そうですね。俺たち色守四家の家に生まれた者にはそれぞれ決められた色にまつわる名前が付けられます。そしてその名前の色がその者を表し、守る色だと言われて大切にされているんです。因みに俺の父親は青藍せいらん、養父は白藍はくらんという名前でした」



 どこか外国風な名前の響きにも聞こえる。どんな色かは想像できないけれど、きっと綺麗な色なのだろう。



「ということは、御空さんの名前も色の名前なんですか?」


「御空の袴はこれよ。この色が御空色」



 タエコさんが包みを広げてくれて、澄んだ青色の袴を見せてくれた。



「秋の空みたいな色ですね」


「そうね。私もこの色が好きよ」



 タエコさんはふふっと笑う。袴を確認した御空さんが頷くと、タエコさんはまた包みを閉じてしまった。もう少し見たかったな。



「そんなに残念そうにしなくても、お正月にはこれを着ますから」



 御空さんはどこか照れ臭そうに笑いながらボクの髪を撫でた。確かに数日すればまた見られるけれど、それを待ちきれないくらい綺麗な色だった。



「さてと。これが千歳ね」



 タエコさんはボクたちの様子を気にすることなく次の包みを広げた。深い緑色は杜の木々の葉の色のようだ。



「これは千歳緑って色なの。松の葉のような色でしょう?」



 安心感がありながらどっしりとした存在感がある色だ。まさに千歳さんを表していると思う。これを着た千歳さんは絶対に格好良い。



「そしてこれが、助六の」



 手際よく千歳さんの衣装を包み直したタエコさんは次に見せてくれたのは、パリッとした紫色の袴だった。紫以外に表現のしようがない紫。



「助六って色はないんだけど、助六といえば紫なの。それでこの原色そのままの紫が助六を表す色になっているのよ」



 タエコさんが言っている意味が分からなくて首を傾げると、キサブロウさんが小さな箱と一枚の紙を持って裏から戻ってきた。



「この人が助六だよ。歌舞伎ってお芝居の有名人でね。この人のトレードマークが紫の鉢巻で、紫といえば助六ってのが定着したんだ」


「なるほど」


「それはあげるよ。他にも何枚か持ってるから」


「ありがとうございます」



 お芝居のチラシらしいその紙をもらった。御空さんはボクの手からそれを受け取ると、持っていた鞄に大切そうに仕舞っておいてくれた。



「預かっておきますね」


「お願いします」


「それで、これが御空のかんざしだ」



 隣でタエコさんが最後の包みを開こうとしているのに、キサブロウさんがもう一つ手に持っていた小箱を開いた。タエコさんは不満そうに唇を尖らせたけれど、肩を竦めて包みを開く手を止めた。


 キサブロウさんが開いた小箱には、唐草模様がデザインされたかんざしが入っていた。



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