第109話 糸場の酒場


 【糸場の酒場】の中にはズラリとピンが並んでいる。それぞれ違うラベルが貼られているけれど、ボクにはさっぱり違いが分からない。脇目も振らずにどんどん奥へと向かう御空さんについて行くと、店主の糸場公康さんがいた。ボクはそっと御空さんの後ろに少しだけ隠れた。



「キミさん、こんにちは」


「ああ」



 キミヤスさんはボクと御空さんにチラリと目をやると、小さく声を漏らしてそのまま店の奥に消えてしまった。


 キミヤスさんはいつも言葉数も少ないし、表情も読み取りづらい。怖い人じゃないことはすぐに分かったけれど、なんとなく苦手だ。



「サクラ、ここでは割れやすい物も多いのでしっぽには気を付けてくださいね」


「は、はい!」



 そうだった。キミヤスさんを怖がる前に、しっぽで商品を壊してしまうことの方を心配しなければいけなかった。意識の外で動いてしまうしっぽを常に制御することは難しいけれど、キミヤスさんにとって大切なものは壊したくない。


 それにしても、ここにある物は似ている瓶ばかりなのに全部名前が違う。ボクはお酒は飲んだことがないからよくわからないけれど、それぞれ味が違うものなのだろうか。



「そこは村のじいさんたちが好きな酒だ」



 突然キミヤスさんの低い声が聞えてビクッと肩が跳ねた。お酒に集中しすぎてキミヤスさんが戻って来る音が聞こえていなかった。内心恐る恐る振り返ると、キミヤスさんはお酒がたくさん入ったケースを両手で持ってボクの方に歩いて来た。



「あっちの棚はばあさんたち。この辺りは村のみんなの好きな酒を置いている。サクラさんも好きな酒があれば言ってくれ。ああ、ミツヨのだけは裏の大樽にある。気になるなら言ってくれ」



 【百田食堂】のシェフ、ミツヨさんは村で一番お酒に強くて量も飲む。クリスマスの時も一人で何本も飲み干しているのをコウキさんが必死に止めていた。



「キミさん、サクラはまだ未成年ですからね。お酒を勧めないでください」


「いつかの話だ。うちは飲み物はなんでも置く。飲みたいものがあれば言えば良い」


「あ、ありがとうございます!」



 驚いた。キミヤスさんはあまり周りに興味がないのかと思っていた。クリスマス会でも歓迎会でも周りの人と話しているところなんてほとんど見なかったから。だけど本当は誰よりも周りの人を良く見て、話を聞いている人なのかもしれない。


 キミヤスさんを怖い人じゃないと思ったきっかけも、目を見たときだった。その時はなんとなく怖くないと思っただけだったけれど、その視線に村のみんなを大切に思う気持ちが溢れていたからだったのかもしれない。



「サクラはお茶と紅茶以外ならフルーツジュースが好きですよね。特にオレンジとリンゴでしょうか」


「はい。この間トモアキさんとアズキさんが勧めてくれて、とても美味しかったんです」



 キミヤスさんは小さく頷くと、また裏に戻ってしまった。奥からは瓶がぶつかるカチャカチャという音がする。クリスマス会の時もさっきキミヤスさんが持ってきたお酒の何倍もの量が用意されていた。今回もまだまだ持ってくるのだろう。


 キミヤスさんは黙って何往復もしてケースを積み上げていく。御空さんはその一つ一つを確認して中身が合っているかを確認している。



「キミさんが間違えるはずもないけどね」



 御空さんは小さく笑うと、また裏に戻って行くキミヤスさんの背中を頼もしそうに見つめた。ボクはまだまだキミヤスさんのことを知ることはできていないんだな。もっともっとキミヤスさんのことも知りたい。



「それで最後ですね」


「ああ。御空、これは大量注文のおまけだ」



 キミヤスさんはそう言うと、ボクが立っていた近くの棚から二本の瓶を持ってきてケースに差し込んだ。それを見た御空さんはスッと目を細めて微笑んだ。



「ふふっ、ありがとうございます」


「ふん」



 キミヤスさんはフイッとそっぽを向くとまた裏に戻って行ってしまった。紙がカサカサする音がする。



「サクラ、キミヤスさんがおまけしてくださったものは後で一緒に飲んでみましょうか」



 御空さんが声を潜めてそう言った。ボクもケースを覗いてみると、オレンジジュースとリンゴジュースの小さな瓶が入れられていた。さっきの話を聞いて追加で入れてくれたのかもしれない。



「嬉しいですね」


「そうですね。ですが、これは炭酸ジュースです。サクラが飲めるものか、一緒に確認しましょうね。このサイズですから、お試しで入れてくれたのだと思いますから」



 炭酸ジュース。しゅわしゅわするジュースだっただろうか。トオルさんが美味しそうに飲んでいたけれど、アズキさんは勢いよく首を振って断っていた。もちろんトオルさんはその反応を見たくてやっていただけだったようだけど。



「これは好き嫌いが別れますから。一度試しておけば、もしも苦手だったときに皆さんの前で気を遣わせてしまうこともないでしょう」



 村のみなさんに申し訳なさそうな顔をさせてしまうのは嫌だ。御空さんとキミヤスさんの心遣いに感謝しよう。



「とはいえ、キミヤスさんは直接感謝されることが苦手ですからね。何か美味しいおつまみを作りましょうか」


「はい。ボクもお手伝いします」



 こういう形でも、一つ一つお返しをしていきたい。ボクが支える役目なのに、村のみんなに支えてもらってばかりだ。


 領収書を手に戻って来たキミヤスさんに御空さんがお支払いをして、また買った物を持たずにお店を出ると、入れ違いに琥珀さんが中に入って行った。ふと見れば商店街の入り口に【CloveR】の白い車が停まっていた。父さんの車と同じ四角い車だ。



「琥珀はクロトくんにあれを借りたんでしょうね」


「なるほど」



 色守荘にある車と何が違うのかは分からないけれど、あれの方が良かったからあれを使っているんだろうということは分かる。



「さ、次は【CloveR】でお花を買いますよ」


「はい!」



 甘い香りに釣られるように【CloveR】に入ると、満面の笑みを浮かべたアオイさんが出迎えてくれた。



―――――――――――――――――――

今週から通常の定期更新、水曜土曜の週二回に戻ります。

年末年始の毎日更新にお付き合いいただきありがとうございました。


次回更新は1月10日です。


これからもサクラと吉津音村のみんなをよろしくお願いします。


こーの新


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