第104話 二人のカタチ
side石竹琥珀
千歳の部屋で、千歳の言葉を考える。心配掛けたくないと思うほど心配させてしまっていることは分かっているけれど、どうしようも無い。その癖も中々治らないんだから。
頭を掻きながら深くため息を吐くと、ちょうど扉がノックされた。
「先輩?」
「春川、さん?」
思いも寄らない来訪者に戸惑ったけれど、すぐに理解が追い付いた。きっと下でサクラか御空が春川さんと話をしたのだろう。きっと助ではないな。
「どうぞ」
そう声を掛けると、おずおずと引き戸が開かれた。そこに立っていた春川さんは目元が赤くなっている。俺のせいで泣かせてしまったのだと分かるけれど、俺も嫌な思いをしたんだよな、と思うと素直に心からは謝れなさそうで、ただ春川さんを千歳が座っていた座布団に座るよう促した。
「失礼します」
小さな声で断りながら正座した春川さんは、膝の上で握り締めた手をジッと見つめている。ただ無言の時間が流れて居心地が悪い。思い返せば、春川さんと一緒にいて居心地が悪いと思ったのは初めてかもしれない。
「あの、その、先輩。言い過ぎました。申し訳ありませんでした」
春川さんは、本当に突然、俺の目の前で勢いよく土下座をした。座布団からスッと下りて頭を下げてから床に手をつく。流れるような美しい所作。驚きすぎて何も言えない。
「職場の後輩として、出過ぎた真似をしたと思います」
その言葉に、スンと頭が冷えた。春川さんは職場の後輩。俺は職場の先輩。何も間違っていない。だけど、今感じているこの違和感も本物だ。サクラに見てもらわなくても分かる。知っていた気持ちだ。
「あんなことを言って、謝ってすぐで恐縮ですが、先輩。私は、先輩に言いたいことがあります」
顔を上げた春川さんの真面目くさった改まった物言いに俺も姿勢を正す。初対面のときだってこんな丁寧な言葉遣いをされた記憶はない。
「私は、先輩がずっと好きでした」
「え?」
春川さんの言葉に、一瞬にして世界が明るくなった。けれど春川さんの真剣そのものな表情に、喜ばしい話だけではないのではないかと考える。頭は大して良くないのに、こういう勘だけは働くから面倒だ。
「ですが最近、この気持ちが本当に恋なのか分からなくなっています」
「分からないって?」
聞き返すと、春川さんは困ったように眉を下げた。
「確かに好きなんです。ですが、時間が経ち過ぎたのか、先輩が幸せならそれで良いと思うような、少し諦めた気持ちが混ざってきています」
春川さんは赤裸々に気持ちを語ってくれる。それが下で話した結果なんだろうと言うことは分かる。俺だって出会ってからずっと春川さんのことを見て来た。些細な変化だって見抜く自信がある。
「春川さん。その気持ちは、もう今までの恋には戻らないのかな?」
「きっと、戻りません」
「そっか」
俺たちに普通の恋愛は無理なのだろう。俺はその未来を掴むためのタイミングをいつの間にか逃してしまった。だけど普通の恋愛ができない、たったそれだけの理由で、人生の中で一番大切にしたいと思えた相手を手放したくはない。
俺だって大学時代に何人かと交際した経験がある。その頃は親や村のしきたりへの反発心が大きくて、本当にその相手を愛していたのかと聞かれればすぐに頷くことはできない。
だけど悩みながらも村役場に就職を決めて、仕事にも慣れて来て世話係の役割も受け入れ始めた頃に春川さんが村にやってきた。春川さんの教育係に任命されて、春川さんのことを一番近くでずっと見て来た。
先輩という立場であるはずの俺にも臆せず発言する姿勢とか、得意なことを生かして率先して動こうとする姿勢とか。最初に惹かれたのはそういうところだった。そのうちに風邪を引いた俺を心配してくれる優しいところや、聞き上手なところ、笑顔が優しいところとどんどん惹かれていった。
「俺には、春川さんしかいないと思ってる」
「えっと、先輩?」
不思議そうな顔をする春川さんに、俺は笑いかける。正確に言うと、そうしようとしたけれど失敗して、困り笑いになってしまった。
「俺は一生を賭けて春川さんと幸せになりたい。その関係が恋人とか夫婦とか、そういう形じゃなかったとしても、春川さんと幸せになりたい。独りよがりではなくて、二人で幸せになりたい」
春川さんは俺の言葉を理解したのか、目を大きく見開いた。
「それは、つまり、私は先輩の幸せを願って、幸せになるための手伝いをしても良いということですか?」
「ああ。そして俺にも、その手伝いをさせて欲しい」
恋人とか夫婦とか。そうなりたくないわけでもないし、しっくりこないわけでもない。だけど春川さんの望む形でなら傍にいて一緒に幸せになれるというのなら、俺はそれで良い。
「いつか私が先輩とお付き合いしたいとか、結婚したいとか思ったら、どうしますか?」
「それならそれで良い。俺は春川さんと幸せになりたいだけだから」
考えすぎて、遠回りしすぎて、おかしくなった。そんなことは考えなくても分かる。だけど俺たちはそれでも構わない。
「先輩、これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしく」
抱きしめたりはしない。俺たちは俺たちが思うがままに。堅く握手を交わした。
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