第103話 傍にいたい


 リビングに下りると、キッチンからサクラが出てきた。さっきは気が付かなかったが、何やら可愛らしい髪型をしている。あんなことができそうなのはトオルだろうか。



「千歳さん!」



 パタパタと白いしっぽを振りながら駆け寄ってきたサクラは、不安そうに私を見上げた。すっかり垂れてしまったふわふわした耳をゆっくりと撫でてやると、サクラは安心した様子で頬を緩めた。そして私の手のひらに擦り寄ってくる。



「琥珀なら、もう大丈夫だよ」


「そうですか。良かったです」



 パッと表情を明るくしたサクラは、クシャッと笑いながらゆさゆさとしっぽを振った。それだけでリビング中にほっこりした空気が流れる。


 私もそれでようやく肩の力が抜けたらしい。ホッと息を吐くと、春川さんの背中を押した御空がこちらにやって来た。



「もう大丈夫みたいですね。千歳、春川さんが琥珀とお話ししたいことがあるということですので、二階に上がってもらっても良いですか?」


「ああ。春川さん、琥珀は藤色の扉の部屋にいる。琥珀に話を聞く気があるのかきちんと確認してくれ」


「分かっています」



 真剣な顔で頷いた春川さんは、ペコリと一礼してリビングを出て行った。ここから先の話に立ち入るのは野暮だろう。どんな話をするにせよ、好き合っている男女の会話など夫婦でなくても犬だって食べたがらない。


 春川さんを見送ると、御空の視線がサクラの髪型に釘付けになった。



「サクラ、とても可愛らしい髪型をしていますね」


「はい! トオルさんがやってくれたんです」



 サクラは自慢げに、そして照れ臭そうに微笑む。本当はこれを見せたくて中に戻って来たんだろうに、こんなことになってしまって申し訳ない。



「かんざしはビンゴの景品なんです! 桜柄で綺麗ですよね」


「桜柄ですか。サクラにぴったりですね」



 御空はうっとりとかんざしを見つめると、ふふっと笑みを零した。愛おしそうにサクラの髪を撫でてやる手つきの柔らかさとは裏腹な申し訳なさそうな目。私も同じ目をしているんだろうかと不安になって、サクラの方をまともに見てやれない。



「千歳さん、御空さん」



 視線を落とす私の耳を撫でるような、やけに静かなサクラの声。そっと顔を上げると、サクラは穏やかな微笑みを浮かべていた。



「皆さんに褒めてもらえて、ボクは満足しています。だから、大丈夫です。ボクは琥珀さんのことも春川さんのことも大切ですし、大好きです。ボクの嬉しいより、二人の悲しいを取り除いてあげる方がボクにとっても大事です。だから、気にしなくて大丈夫ですから」



 サクラはゆっくり、考えながら話してくれた。その言葉が本心だとヒシヒシと伝わって来る。そう、言葉は私たちへの気遣いなどではない。だけど笑顔からは私たちを気遣うサクラの優しさが温かく伝わって来る。


 サクラの言葉は私たちの心を軽くする。それはサクラがお稲荷様の眷属様だからなどではない。サクラが私たちのことを真剣に心配をして、私たちのための言葉を紡いでくれるからだ。


 そしてサクラの笑顔は私たちの心の支えになる。私たちが笑顔にしたいと思う相手が笑っていてくれることは何よりも力になる。私たちがどれだけ辛く悲しい現実に直面しても、サクラがここで笑っていてくれる限り、私たちは前を向いていけるのだと言い切ることができる。



「サクラ、ありがとう」


「千歳さん?」



 安堵した気持ちや泣きたい気持ちがぐちゃぐちゃになってきた。堪らなくなってサクラを抱きしめると、サクラは戸惑いながらも私の背中に腕を回してくれた。



「サクラがいるから、私たちはやっていけるんだ」


「それはまあ、ボクは眷属ですし……」


「それだけじゃない。私は、琥珀や御空や助六が悲しんでいれば私も悲しくなる。三人が幸せならば私も幸せを感じられる。三人のことが大切で、心配で、守りたいと思っている。実際の血の繋がりがどうとかは関係なく、家族のような存在だと思っている」



 腕の中のサクラがどんな顔をしているのかは分からない。何を思っているのかも分からない。それでも私は、この気持ちを伝えたくて堪らなかった。



「私にとって、サクラも家族のような存在なんだ。三人へ想うことを、私はサクラにも想う。サクラが大切で、心配で、守りたいんだ」


「ありがとうございます」



 サクラが小さくそう呟いた瞬間、私に回した腕の力が強くなった。その小さな身体の震えが伝わって来て、私も抱きしめる力を強めた。



「家族がずっと笑っていられるように、私は頑張りたい。私はそこに優劣は付けたくないから、その時一番傍にいてやりたい相手の傍に行ってしまうだろう。それでも、私はこれからもサクラと一緒にいたい。許してもらえるだろうか」



 私はサクラの肩に顔を埋めたまま、ギュッと目を瞑った。そうでもしなければ、情けない姿を見せてしまう。奥歯を噛みしめていると、サクラがフルフルと首を振った。



「良いん、ですか?」



 サクラは小さく震える声を零した。その弱々しい声に出会ったころのことを思い出した。不安に満ちたサクラ。私はあの頃より強くサクラを守りたいと思っている。サクラもあの頃より心から私たちを信頼してくれている。



「傍にいさせてくれ」



 私の願いに、サクラは声も出ないままコクコクと頷く。


 ジッと抱き合う私たちの上から御空が覆い被さるように抱きしめてくれた。するとサクラはふふっとふんわりと笑う。この温かさを守れる男に、四人でなっていこう。



「あーっ! 千歳くんも御空もずるい!」


「全く、なかなか帰って来ないと思ったら」



 大声が聞えて窓の方を振り向くと、アズキが頬を膨らませていた。隣でこちらを見ているトオルも、どこか不満げに私たちの方を見ている。ようやく年長者の皆さんも私たちを温かい目で見ていたことを知って、途端に気恥ずかしくなった。



「千歳くん、御空くん、そろそろサクラさんを返してくれない?」


「トモアキさん!」



 中までサクラを迎えに来たらしいトモアキの顔を見ると、サクラは嬉しそうにしっぽを振った。なんとなく負けた気がするけれど、今日は折角のクリスマス会だ。私たちだけがサクラを独占していてはいけないか。



「サクラ、行ってきてください」



 同じことを考えたのか、御空がサクラをトモアキの方に押し出した。



「はい! 行ってきます!」



 満面の笑みでトモアキと共に庭へ向かうサクラを見送った。その目は少し赤くなっていたけれど、悲しいわけではないことが分かったからホッとしている。



「御空、琥珀が戻るまで私が中にいるから……」


「千歳、外にはホナミもいますから、行ってきてください。中は私と助に任せて、折角のクリスマスを楽しんできてください?」



 私の言葉を遮った御空は私をグイグイと庭の方へ押しやろうとする。折角の優しさを無下にすることはできない。



「ありがとう」



 私は素直に庭に出て、子どもたちを見守りながら温かい紅茶を飲んでいたホナミの隣に腰かけた。



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