第102話 預かりたい

side京藤千歳



 私の部屋に入った琥珀は、困ったように笑っていた。泣きたいときには泣けば良いものを。いつまで経っても不器用な奴だ。



「琥珀。とりあえず座れ」



 俺の正面に座布団を出してやれば遠慮なく胡坐をかいて座る。普段はともかく、感情が荒れているときにこういう小さなところで遠慮をしなくなっただけ成長かもしれない。



「千歳、どうしよう」



 なんとも情けない声で呟く琥珀に、私は少しホッとした。



「どうしたいか、整理してみろ。話ならいくらでも聞いてやる」


「ああ、ありがとう」



 琥珀はホッとした様子で小さく笑う。私では力不足なことくらい痛いほど分かっている。それでも琥珀が少しでも息を吐けるなら、私が琥珀の傍にいてやる理由になる。



「感情的になったことは、謝らないといけないよな。春川さんにも、みんなにも」


「どうして?」


「だって、俺があそこで笑って流せていればみんなが楽しみにしていたせっかくのクリスマス会を台無しになんてしなかった」


「台無しにはなっていないと思うがな」



 むしろ珍しく感情的になる琥珀を見て、年長者たちはホッとしてさえいたように思う。琥珀なら春川さんに言われるのでなければ、あれくらいのことで取り乱したりしない。琥珀が望む通り笑って流してしまう。


 琥珀が感情を露に出来る相手がいること、それが琥珀のことを生まれたときから見守って来た人からすれば嬉しいんだろう。少なくとも私は嬉しかった。



「春川さんに言われたことが、悲しかった。俺のことを、もっと知って欲しかった」


「そうか」


「俺はただの職場の先輩なのに、おかしいよな」



 琥珀はグッと奥歯を噛んだ。一歩踏み出してしまえば良い。そう思うかもしれないけれど、琥珀は相手の迷惑にならないかと本気で考える。相手が村を出ていきたいと思う原因になりたくないと思っている。


 春川さんが恋愛に疎い私でも分かるくらい琥珀のことを好いていようが、目の前の不安に押し潰されそうな琥珀に相手の気持ちを正確に推し量ることはできない。そんな状態の琥珀の背中を押したところで、その場に倒れてしまう。



「どうなりたい」


「春川さんとお互いを知り合っている仲になりたい。得意なことも苦手なことも、理解し合えるような関係。でも、それが難しいことだって分かってる」



 それは私と琥珀のような関係か。普段ならそうやって照れ隠しをするけれど、今は私も琥珀も照れることがない。琥珀の本気の言葉を茶化すなんてことは私にはできない。私だって相応の覚悟で琥珀の隣にいるのだから。



「時間をかけて、言葉を繋いで、それでようやく得られるものだ。だけどそこに行き着くまでに彼女を失うことが怖い」



 年齢的に言えば私も琥珀も最後の恋愛になるのだろう。一般的な話とはいえ、大抵の場合に当てはまるから一般的な話なのだ。慎重になることは悪くない。だけど慎重になりすぎて機会を逸することにはならないで欲しい。


 私がそうだった。いや、私の場合は考えることを放棄したせいだった。だけど危うく生涯で最も大切にしたいと思う存在を失うところだった。



「恐れている間にも時間は過ぎていく」


「そう、だよな」



 琥珀は肩を竦めて俯いた。筋肉を鍛えて大きくなった身体が小さく見える。考える時は俯くより天を仰いだ方が良い。その方がポジティブなアイデアが浮かぶような気がするから。



「琥珀、顔上げろ」



 顎を持ち上げて顔を上げさせると、琥珀の目から涙が零れ落ちた。



「ごめん」


「何故謝る」


「いや、だって……」


「泣くなら泣け。私に遠慮する必要がどこにある。私は何があろうと琥珀の味方だ。琥珀を理解したいと思う。琥珀が誰とどうなろうが、俺がいる」


「千歳……」



 琥珀は上を向いたままポロポロと涙を零す。声を殺す琥珀から視線を逸らそうと、私は立ち上がって琥珀の隣に座った。琥珀は私の肩に頭を乗せると、そのまま嗚咽し始めた。


 御空や助六なら背中を擦ってやったり肩を抱いてやったりしてやるんだろうけど、私にはそれができない。私は琥珀を守ることはできない。傍にいてやることしかできない。



「千歳、ありがとな」



 震える声で小さく呟かれた声。隣にいなければ聞き取ることはできなかっただろう。私は返事はせずに琥珀の頭に自分の頭を預けた。


 琥珀は泣きながらも小さく笑うと、その体勢のまま目頭を押さえた。そして深く息を吐くと、私の背中をトントンと叩いてもぞもぞと動いた。



「千歳、いつも傍にいてくれてありがとな」


「琥珀がそうしてくれたんだろ」


「そっか」



 琥珀は照れ臭さを嚙み殺すように笑うと、小さく何度か頷いた。私が願うほど琥珀の気持ちが軽くなったり自分を大切にしたいと思えるようになんて、きっと一生難しい。それでも私が琥珀の支えになれているならば、私はそれで良い。


 琥珀を変える存在は私ではない。琥珀が踏み出して進んでいった先にいる、一生大切にしたいと思える存在が琥珀を良い方向に導いてくれるはずだ。



「顔がイケメンに戻ったら戻るから、千歳は先に下りてて」


「琥珀がイケメンなことがあるか?」


「おい」



 琥珀はいつも通り笑うと私の肩をトントンと叩いた。私の役割はここまでだ。私は先に部屋を出てリビングに戻った。


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