第101話 琥珀とトシコ


 助さんはコップの淵をツーッと撫でると、リビングの方を眺めながらふぅっと息を吐いた。



「琥珀のあの明るい性格は、僕が知っている限り本物だよ。いつでも明るくて、みんなを引っ張って行ってくれる僕たちの世代の憧れのお兄ちゃんだから。誤解されることもあるけど、琥珀は自分の思うがままに周りを引き回したりはしない。いつでも周りの様子を見て、誰かのために動いている」



 助さんの言うことは分かる気がする。琥珀さんは豪快だけど奔放ではない。ボクが何を思っているか、汲み取ろうとしてくれていることが伝わってくる。千歳さんや御空さんの方が気持ちを汲み取ることが得意だから見えにくいけれど、琥珀さんの優しさに触れる機会はこれまでもたくさんあった。



「琥珀はそういうやつだから、自分のことを押し殺しがちなんだ。世話係を引き継いだ時も、しきたり以外は自由に育ててもらったから自分のやりたいことに見ないふりをしたって聞いたことがある。僕が自分の道に行こうとしたとき、それをすごいことだって言ってくれたのは琥珀だけだった」



 助さんは遠い目で天を仰ぐ。当時を思い出しているんだろうか。


 琥珀さんと助さんが世話係になることに葛藤があったことは聞いているけれど、詳しいことは聞いたことがない。聞いてはいけないんじゃないかと思っていたけれど、いつか聞くことができるのだろうか。



「だけど琥珀が自分のことをないがしろにしてまで相手のことを考えるのは、自分を守るためなんだよ。傷つくことが怖いから、相手に気に入られようとしてる。それに気が付いたのは世話係として一緒に生活をするようになって一年が経った頃。当時の琥珀は大学四年生で、村役場の試験に向けて勉強漬けだったんだよね」



 助さんは言葉を切るとごぼう茶を一口飲んだ。飲み込みながら言葉を選んでいるようで、やけにゆっくりと飲み下した。



「琥珀は勉強もギリギリなのに僕と御空のことを気にしていて、焦りを表に出すことをしなかった。だけど内心では焦っていて、少しの時間も惜しんで勉強したかったんだと思う。少しずつおかしくなって、しっかりしなきゃとか迷惑かけちゃだめだとか、そう呟くことが増えたんだ。僕より先に琥珀の気持ちに気が付いた御空が自分たちのことは気にしないようにって話しに行ったんだけど、それが逆に追い打ちになったみたいだった」



 琥珀さんはただでさえ責任感が強い。頼られることに自分の存在価値を見出していてもおかしくはない。ボクの妹にもそういう子はいたから分かる。あの子、ナツは相手に大丈夫と言われると自分が生きていて良いのか不安になって眠れなくなることがよくあった。



「琥珀はその瞬間に壊れた。泣き崩れて、色守荘から飛び出した。すぐに探しに行ったけど見つからなくて、夜遅くなったころにホトコさんから連絡があってようやく無事だって分かった」



 青島穂常さんはトシコさんの娘さんの息子さん、今の【青魚と魚心】の店主である青島三郎さんの奥さんにあたる人だ。



「琥珀、川に飛び込もうとしてたんだよ。そこをトシコさんに見つけられて、保護してもらったみたい。その時にトシコさんが何を言ったのかは分からないけれど、あのころから琥珀はトシコさんをよく頼るようになった」



 きっと琥珀さんはトシコさんの言葉で自分を取り戻せたのだろう。ナツもやけにヤムくんに懐いていた。ナツが不安定になるとヤムが何があっても傍にいてくれたから、ナツも安心できたんだと思う。


 琥珀さんにとってトシコさんがそういう存在だったとしても不思議はない。トシコさんはボクが知る限りよく寄り添ってくれて、周りも見えている人だから。ボクもトシコさんの隣で不安になることはない。



「トシコさんはね、戦争で旦那さんと赤ちゃんを二人亡くしたんだ。旦那さんとの最後は、喧嘩別れしてそのままだったって聞いてる。さっき言っていたこともそうだけど、当時の後悔をああして伝えてくれるんだ。その度に自分は辛くなるのに話してくれるのが分かるから、みんなトシコさんの言葉はしっかり受け止めたいって思う」



 戦争。その詳細について聞いたことはない。彩葉さんが買ってくれた教科書を読んでもらったことはあるけれど、彩葉さんは詳しいことをはぐらかした。暗殺事件とかそういう話もはぐらかしていたから、ボクに教えたくないことだったんだと思う。



「トシコさんと琥珀には僕たちでは代わりになれない信頼関係とか、共感できるものがあるんだよ。悔しいとは思うけど、僕にだってそういう相手はいるから文句は言えないよね」



 助さんは話し始めてから初めて笑いを零した。だけどそれは楽しさから来るものではない。どこか悲しそうな声にボクの右目から涙が零れた。ボクではない、お稲荷様の涙だ。



「助六の優しさに琥珀は救われていると思いますよ」



 お稲荷様の言葉をそのまま声に出すと、助さんは目を見開いた。だけど思考力の高い助さんらしく、すぐにお稲荷様の言葉だと理解してくれたようだった。眉間に皺を寄せながら微笑むと、右目から静かに涙を零した。


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