第96話 恋心と祖父心


 俯いてしまったホナミの手は震えている。僕は心配になったけれど何か言って良い雰囲気ではなくて結局言葉を飲み込んだ。沈黙の中、琥珀と御空は何かを待つようにジッと湯呑みを見つめていた。


 僕にできることは他にないかと考えあぐねていると、スッと息を吸い込む音が響いた。



「トモゾウさん」


「なんだ、千歳」



 トモゾウさんは鋭い目でギロリと千歳を見据えた。下手なことを言えばビーバーで首を刈り取られそうな圧を感じる。だけど千歳は覚悟を決めた顔をしていて、僕は少し安心した。もしかすると2人は付き合い始めたのかもしれない、なんて思いながら、緊張を流そうと湯呑みに口を付けた。



「ホナミが大学を卒業したら、俺がホナミと結婚します。他の誰かに渡す気はありません」


「ぶふっ!」


「助!」


「お前……」



 予想の斜め上を行く千歳の言葉に思わず吹き出してしまうと、隣で御空があわあわと慌てだした。琥珀は呆れたようにため息を吐くと、モモコさんが持ってきてくれたタオルで吹いたものを拭いてくれた。



「ご、ごめん。えっと、千歳、続けて良いよ?」


「いや、えっと」



 千歳も珍しく慌てていて、モモコさんが笑いを堪えながら千歳の肩をトントンと優しく叩いた。



「千歳。話を続けよう」


「分かりました」



 トモゾウさんの威厳ある佇まいに、千歳は背筋を伸ばし直した。ホナミも、千歳に倣うように背筋を伸ばす。僕たちはその周りでバタバタと後片付けをする。


 こんな張り詰めた雰囲気の中で、本当に申し訳ないとは思っている。



「それで。千歳とホナミは交際していたのか?」


「いえ。まだです」


「それじゃあ……」


「ホナミの気持ちを聞いて、自分の気持ちを考え直したんです。私にとってホナミは本当に妹のような存在なのかと」



 どうにか全て綺麗に拭き終わった。タオルを洗濯場の方に持って行こうとすると、モモコさんが微笑んで僕の手から取って行った。



「大事な家族の大事な話、ちゃんと聞いていてあげなさい」


「はい。ありがとうございます」



 モモコさんの気遣いに甘えて、僕は座布団に座り直した。



「私は勝手に、ホナミはずっと傍にいるものだと思っていました。ですがそうではないことが分かって、苦しくなりました。勝手ですが、誰にも渡したくないと思いました」


「……それで?」


「ホナミが私の傍にいたいと思ってくれる限り、私はホナミの隣にいたいと思っています。ホナミが笑っている姿を一番近くで見ていたいですし、私が笑顔にしたいんです」



 千歳がはっきりと言い切ると、トモゾウさんは顎に手を置いて考え込んだ。ホナミはといえば、いつの間にか俯いてしまっている。髪がさらりとずれると、真っ赤な耳が覗いた。きつく閉じられた唇がふるふると震えていて、笑っているのに、泣いてしまいそうだった。


 ホナミが千歳のことをずっと目で追っていたことは知っていた。千歳だってホナミのことが特別で、常に心配していた。この二人なら、これからもお互いを思い合って幸せになれると思う、



「千歳はこう言っているが、ホナミはどうなんだ。交際もしていないんだ。こんな話、嫌なら嫌だと言えば良い。大学卒業までに他に相手を見つけても良いし、相手を探さずに、このままリョウマと……」


「私! 千歳くん以外と結婚する気なんてない! 千歳くんが私で良いなら、私は、千歳くんの傍にいたい!」



 トモゾウさんの言葉を遮ったホナミは、テーブルをバンッと叩いて身を乗り出した。その衝撃で湯呑みの水面が揺れて、ちゃぽんっと音を立てた。


 ホナミは真っ赤な耳と潤んだ瞳をそのままに、トモゾウさんをジッと見つめる。



「私は、ホナミが良い。傍にいたい」



 千歳は机の上で小刻みに震えているホナミの手に自らの手を重ね合わせた。ホナミはパッと座布団に戻ると、小さく縮こまった。千歳と触れていない手が、膝の上できつく握り締められる。そしてその上にポタポタと雫が落ちた。


 千歳はホナミから手を離して、スッと立ち上がった。そしてホナミの反対側、机も座布団も何もないところで正座をすると、頭を下げて、床に手をついた。



「トモゾウさん。お孫さんを、私にください」



 お稲荷様への儀式で行う正式な座礼。流石はあの京藤家の長男。幼い頃から叩き込まれた美しい座礼だ。僕も厳しく言われて練習したけれど、千歳ほど美しくはできない。一種の天賦の才だ。


 真剣な空気に気圧されながら千歳の美しい座礼に魅了されて、一瞬がゆっくりに感じられる。トモゾウさんはジッと千歳を見つめると、大きくため息を吐いた。



「まったく。千歳。顔を上げろ」



 千歳がゆっくりと身体を起こすと、トモゾウさんは不機嫌そうに頬杖をついた。



「俺はホナミの親じゃない。ホナミの両親はカホとシンノスケ、俺に良いと言ってやる権利はない。まあ、反対はしないがな」



 千歳はまた一礼して顔を上げた。



「ありがとうございます」


「千歳くん!」



 ホナミが千歳に勢いよく抱き着くと、千歳は少しよろめきながらもしっかりと抱き留めた。



「千歳、病み上がりなんだから……」


「今は口を挟まないであげてください」



 御空が琥珀の口を押えると、琥珀はもごもごしながらも黙った。琥珀は千歳を羨ましそうに見つめていて、きっと春川さんのことを考えているんだろうな、と容易に想像がつく。かく言う僕も、あの人の顔が思い浮かんで、慌てて頭を振って追い出した。



「はぁあ、よりによって千歳か」



 トモゾウさんが不満そうに漏らすと、ユウタロウ先生とモモコさんはケラケラ、クスクス笑っていた。



「数の家の当主は村を出られないのに、世話係は次の代が育ったら次の社がある場所に行かなければいけないからな」


「トモゾウは本当にホナミが可愛くて仕方ないんでしょ?」



 二人に揶揄われたトモゾウさんはさらにぶすっとした顔でそっぽを向いた。確かに万田家も数の家だ。そして今の当主、タマコさんの旦那さんと娘さん、つまりリョウマくんとショウマの母親は既に他界しているから次の当主はリョウマだと言われている。


 リョウマとの結婚話を持ち出したのは、ホナミを村から出したくない祖父心だったんだろう。そしてきっと、どこかでは自分の気持ちに全く気が付いていなかった千歳にホナミへの気持ちを認識させたいとも思っていたんだと思う。不器用な人だ。



「千歳が二年後に結婚するとして、琥珀は春川ちゃんとどうなの?」


「へ? え、いや、えっと……」



 突然モモコさんに話を振られた琥珀がしどろもどろになったとき、タイミングが良いのか悪いのか、琥珀のスマホが鳴った。



「千歳が話してるときに鳴らなくて良かったね」


「お茶を吹くよりマシだろ」



 琥珀は僕をジトッと見てから取り出したスマホに視線を落とした。そして眉間に皺を寄せると天を仰いだ。


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