第95話 いつかと星影

side山吹助六



 トモゾウさんの圧に琥珀が怯む。だけど星影たちのことを守ろうと必死に何をどういえば良いのか考えている顔をしている。琥珀が考え事をするときは目が泳ぐから分かりやすい。


 なんて観察している場合じゃない。最年少で琥珀や千歳に比べればまだまだだけ

ど、僕だって世話係の一員だ。御空の方が話術の面で優れているけれど、頭脳面では誰にも負けないという自負もある。



「トモゾウさん。星影やその子どもたちはサクラを傷つけません」


「証拠は?」


「さっき社でサクラが本能のままに暴走してしまいました。千歳と御空が止めに入ったときに怪我をしたのは見て分かると思いますが、星影も怪我をして帰って来ました」


「星影はサクラを守ろうとしたんです」



 僕の隣に座る御空が僕にチラッと視線を送って、言葉を繋ぐ。これは実際に現場で状況を見ていた御空に任せた方が良い。僕はゆっくり瞬きをして返した。



「俺が止めに入ったとき、一度失敗をしてしまいました。相手を認識できないほど本能に飲まれたサクラは、声を掛けた俺に攻撃しようとしました。ですが星影が体当たりをしてサクラが止めに入ってくれました」


「体当たり? それ見たことか! サクラさんに怪我をさせようとしているじゃないか!」



 トモゾウさんの鼻息が荒くなる。顔を赤くして叫ぶように話すトモゾウさんを前にしても御空は冷静に、静かにゆっくりと首を振った。



「いいえ、違います。星影は、サクラが俺たちに怪我をさせてしまわないように、サクラのために止めようとしたんです」


「だが現に、御空も千歳も怪我をしているだろう?」



 トモゾウさんが少し声を落とした。千歳と御空のことを心配しているんだろう。もちろんサクラのことも。だからこうやって本気で感情をぶつけてくれているんだと思う。


 昔、一人でこっそり木登りをしていた時、落ちそうになった僕を見かけて飛んできてくれたことを思い出した。その後本気の雷を落されたけれど、心配してくれていたことは子供の僕でも分かった。


 トモゾウさんはそういう人。無暗に怒るんじゃなくて、大切な人を守るために怒ってくれる人。三田家の当主としても人としても信頼できる。



「星影はサクラに振り払われたときに地面に叩きつけられて、サクラが俺に牙を剥いた瞬間には身動きが取れなかったんです。その時に千歳が俺を庇って怪我をしました」


「星影がサクラが悲しまないように、御空が怪我をしないように飛び出していったのに、私が何もしないわけにはいきませんから。私の怪我は、私が勝手にしたことです。星影に罪はありません」



 千歳も正座の姿勢を崩さないまま、堂々とトモゾウさんと向き合う。ふと、千歳が張り詰めた空気に手が震えてしまっているホナミの手を握ってあげたり、背中を擦ってあげたり。常にホナミのことも気に掛けていることに気が付いた。


 今朝家を出たときと千歳のホナミに対する行動や距離感が違く見える。内心そっちも気になったけれど、今はトモゾウさんに集中しなくてはと深く息を吸った。



「御空の怪我の経緯は?」


「サクラに薬を飲ませたときに噛まれてしまいました。俺はサクラが薬を飲み込む前に噛みつかれて、手を離してしまいました。ですが、星影がサクラに飛びついてサクラが薬を飲み込むまで顔に張り付いていてくれたんです。サクラは爪を立てられても逃げませんでした」


「サクラが薬を飲んだ直後に振り払われて、今度は気絶してしまいました。星影は、サクラのために身を挺してくれたんです」


「ふむ」



 千歳と御空の訴えに、トモゾウさんは考え込んだ。これはあと一押しかもしれない。



「サクラは普段から星影と子どもたちの面倒を見ているんです。子どもたちの父親は狩りに行ったきり帰って来なくなってしまったらしくて、サクラが父親代わりをしています」



 僕が言葉を引き継ぐと、トモゾウさんはこっちをギロッと見てきた。間違えたかなと思ったけれど、僕が言葉を切っても誰も何も言わない。



「一緒に遊んだり、ご飯の用意をお手伝いしたり、子どもたちの身の回りのお世話も自分からやろうとしています。星影や子どもたちもサクラを信頼していて、いつも一緒に過ごしています。サクラに身体を委ねて眠ることだってあるんです」


「眠る、か……」



 トモゾウさんは目を閉じて腕を組んだ。ジッと考え込む時間が息が持たないほど長く続いて、何か言わなくてはとまた頭を働かせる。だけど何も言葉が出てこない。何のために必死に勉強してきたのかと、自分が情けなく思えた。



「トモゾウ。私も星影はサクラさんを傷つけないと思うぞ」


「ほう?」



 ユウタロウ先生が静かに口を開くと、トモゾウさんはピクリと眉を持ち上げた。



「星影はずっと眠っているから分からないがな。サクラさんは星影のことを本当に大切にしているんだ。ここに来た時も優しく抱きかかえていてな」


「そうか。サクラさんにとってはネコが大切なのか……」



 トモゾウさんはどこか遠くを見つめている。昔失くした眷属様のことを思い出しているのかもしれない。



「分かった。今いるという四匹だけは村にいても何も言わん。他に増える時はまた話し合いの機会を設けてくれ」


「良いの?」



 トモゾウさんから強い圧が消えて、ついいつもの調子で聞き返してしまった。やってしまったと思ったけれど、トモゾウさんは気にする様子もなく口の端を持ち上げた。



「ああ。サクラさんが大切に思っているなら取り上げられないだろう。だが、私はネコという存在を信用したわけではない。サクラさんと信頼し合っているネコだから村にいても良いと思っただけだ」



 トモゾウさんはそう言うと、ふぅっと息を吐いてお茶に口を付けた。きっともう冷めているけれど、一息ついたトモゾウさんの表情は穏やかだった。



「あとで星影さんにも会ってみよう」


「今度色守荘にも来てよ。餅雪と風月と花丸にも会ってあげて?」


「分かった分かった」



 トモゾウさんはいつも怖い顔をしているけれど、優しいから僕は大好きだった。よく三田家の縁側でお茶をしていたころを思い出して懐かしくなる。



「さてと」



 湯呑みを机に置いたトモゾウさんは、ホナミを見据える。ホナミが視線を逸らすと、トモゾウさんは深々とため息を吐いた。



「ホナミ。俺は考えを変えんからな」



 束の間の緩んだ空気はどこへやら。また重たい空気に包まれた部屋。しばらくモモコさんが湯呑みにおかわりのお茶を注ぐ音だけが響いた。


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