第93話 大丈夫


 研究所で調べたこと、彩葉さんの手紙のこと、そしてサクラの体質。サクラにその全てを説明した。足りないところは御空が補足してくれて、サクラもゆっくり理解しようと頑張ってくれた。



「つまり、ボクはお薬を飲まないと、皆さんを襲ってしまうということですか?」


「うーん、まあ、そういう結果を招きかねないということだな」


「今日は、ボクのせいで御空さんと千歳さんが怪我を……」


「サクラ……」



 サクラの声が震える。黄金色の瞳が潤んで、じわじわと涙が溜まる。それが零れ落ちる前に、御空がサクラを抱き抱えて自分の膝に乗せた。



「サクラ。気にしないで、と言ってもそれは無理でしょうけど、俺たちは大丈夫ですから。これくらいの傷、すぐ治ります。それよりも俺たちは、サクラの心の傷の方が心配です」


「でも、でもっ」


「大丈夫。大丈夫ですよ。俺たちは、サクラが笑っていてくれればそれで良いんです」


「うっ、あぅっ。ふぇっ」



 御空はもう嗚咽しすぎてしゃべることもできなくなったサクラの背中を擦る。サクラは御空のシャツをギュッと握りしめて、とめどなく涙を流し続けた。



「大丈夫ですからね」



 御空はずっとそう声を掛け続ける。俺も何かしたいけれど、何も思いつかない。それを歯痒く思いながら二人を見つめることしかできない。



「サクラさんには定期的に検診に来ていただきたいですね。ソウタくんとガクくんが薬を作ってくれるとはいえ、何か異常があればすぐに対処できるようにしておきたいですから」


「あ、ありがとうございます。えっと、どのくらいの頻度で連れてくれば良いですか?」


「そうですね、サクラさんが普段通りの様子になるまでは二週間に一度は来て欲しいです。それから少しずつ感覚を伸ばしていきましょう。とりあえず半年に一度。最終的には年に一度を目標にしましょうか」


「分かりました」



 ひとまず半年に一度の検診になることを目指して、毎週の投薬と毎日の健康管理をしていかなければならない。暴走が起きればサクラの記憶には残らないから、俺たちがしっかり見ていてあげる必要がある。


 だけど、ずっと監視されるような状態はサクラにとって良いことではないはず。研究所を見て来て、資料はほとんど残っていなかったけれど、サクラがどんな生活をしてきたのか少しは分かったつもりだ。


 サクラがここに来てすぐの頃、サクラは俺たちが異常だと感じることが普通だった。だけどここでしばらく暮らしているうちに、サクラの中で痛みや監視のない日々が当たり前になってきている。


 サクラは昔の生活のことを決して悪くは言わないけれど、またその生活に戻れと言われたらどんな気持ちになるんだろうか。俺なら耐えられない。サクラにそんな思いはさせたくない。



「琥珀。一人で抱え込まなくて良い」



 肩にポンッと手が置かれて、耳元で柔らかな声が静かに響く。振り返ると、ハルコさんが穏やかに微笑んでくれていた。


 ハルコさんはおっかないけれど、それは優しさの裏返しだ。昔散々迷惑を掛けたのに、まだ心配をしてくれる優しい人。いつでも誰かのことを想う人だから、俺はこの人に寄りかからないようになりたかった。


 ハルコさんのように、みんなに慕われる、強い人になりたかった。



「俺は大丈夫だよ」


「どこが?」



 ハルコさんの眉が下がる。本気で心配してくれていることが伝わって来て、また泣きたくなった。だけどサクラと御空に心配を掛けるわけにはいかない。下を向いて目に力を入れてグッと堪えた。


 俺はまだまだ弱い。世話係の中では最年長で、統率を取ったり最終的な決定を下す役割も担っている。だけど千歳の方がリーダーには向いているし、助ほどの知性もない。御空のように家事はできないし、周りをよく見ることもできない。


 そしてそれは世話係の中だけの話ではない。色守稲荷と眷属様を守る世話係として、両親や祖先たちがそうであったように村の人たちを支える存在にならなければいけない。それなのに、結局いつもみんなに助けられてばかりだ。



「琥珀。顔を上げて」



 ハルコさんはそう言うと、俺の顎をグイッと持ち上げて強制的に顔を上げさせた。視線がぶつかると、ハルコさんは困っているようで楽し気な笑みを浮かべていた。



「琥珀はみんなを引っ張るリーダーになんてならなくて良い。琥珀はみんなが肩を並べて楽しく笑い合えるように、その輪の中で一番最初に笑ってくれる。それで良い」


「だけど」


「琥珀がそういうリーダーだから、みんなついて行くし、頼りにしてる。それに、力になりたいって思う。琥珀はもっと周りを頼って良いんだよ。親父さんだってそうだったじゃん」


「父さんが?」



 俺の中での父さんは、いつも堂々としていた。みんなの前で豪快に笑って、みんなに慕われて、いざというときにはどっしり構えているような人。色守稲荷の整備の指示だって的確で、父さんが言うならと村の人たちは笑顔で引き受けてくれた。



雌黄しおうさん、琥珀に格好良いところ見せようとしてたから琥珀は知らなかったかもしれないけど、こそこそっと誰かのところに寄って行ってはあれはどうしたら良いの? って聞いているような人だったよ」


「全然知らなかった……」


「だろうね。雌黄さんがあんまりにも必死に琥珀に隠そうとしているのが面白くって、琥珀の前では格好良いお父さんでいさせてあげようってみんなで話してたから。雌黄さんも村で生まれ育って、良くも悪くも可愛がられていたみたいだからね」



 父さんとは高校入学と同時に別れて、それ以来は年に一度の定例会議で会うくらいだ。十五年間は一緒に過ごしたとはいえ、知らないことだらけだ。



「琥珀くんのお父さん、僕も会ってみたかったですね」


「いやいや、死んでないんだから会おうと思えば会えるから」


「それもそうですね。琥珀さん、今度会いに行くなら連れて行ってください」


「親子の時間に水を差すな」



 サクラの邪魔にならないように小声で話しながら、トモナリさんとハルコさんはいつものテンポで夫婦漫才を始めた。トモナリさんの方が十一歳年上なのに、完全にハルコさんの尻に敷かれていることがじわじわと伝わってくる。


 二人のやり取りが可笑しくてつい吹き出すと、ハルコさんは安心したように笑って俺の肩をバシッと力強く叩いた。



「それで良い。とにかく笑って、悩むなら誰かに相談。分かった?」


「うん。ありがとう」



 ハルコさんは良いことを言っている。格好良いとも思う。だけど叩かれた肩がジンジンと痛む。



「琥珀。俺たちのこと、もっと頼ってくださいね」



 急に御空がそんなことを言うから驚いた。サクラを宥めながらこっちの話を聞いていたらしい。



「あれ、サクラ?」



 そういえばもうすっかりサクラの泣き声は聞こえなくなって、時折千歳の咆哮が聞えるだけ。サクラは御空に寄りかかったまま、すやすやと寝息を立てていた。



「泣き疲れちゃったか」


「そうみたいです」



 また起きたらきちんと話をしよう。それから、これからの話もサクラを交えて話し合おう。



「琥珀くん!」



 俺が決意を固めていると、突然ガラッとドアが開いて慌てた様子のホナミが診察室に飛び込んできた。



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