第92話 揺れる瞳


 サクラを追いかけて奥の病室に向かうと、ベッドに腰かけた御空にサクラが抱き着いていた。俺が部屋に入ると、御空は嬉しそうながらも困った顔を俺に向けた。



「はい、サクラ。一旦離れような」



 サクラを半ば強引に御空から引き剥がして抱っこすると、サクラは小さな子がするように御空に向かって手を伸ばした。やっぱりどこか子どもっぽい仕草が可愛いけれど心配でもある。



「はい、御空くんの容態の説明をさせてもらいますからね」



 トモナリ先生は俺たちに椅子を用意してくれた。俺は今にも御空に抱き着きに行こうとするサクラを膝に載せたまま椅子に腰かけた。



「御空くんは出血してるのに無理したせいで余計に血が出てしまって、それが原因で熱が出て倒れてしまったんです。ですが千歳くんも意識を失っていましたから、みんなを守らなくてはと気を張って頑張っていたんでしょう。そこにホナミさんが来て、千歳くんも目を覚まして、ホッとしたら気が抜けて倒れてしまったというわけです」


「わ、分かりやすい……」


「あははっ、ありがとうございます」



 トモナリ先生の分かりやすい平らかな説明にサクラが感嘆の声を漏らすと、トモナリ先生は嬉しそうに微笑んだ。こういう素直な感情表現をしてくれるところが人気の先生だ。



「それで、もう大丈夫なんですか?」


「はい。熱も大分下がりましたから。安静にしてちゃんと熱を下げて、不足した血液が戻るように食生活にも気を付けていけば大丈夫です」


「そうですか」



 ひとまずホッとした。御空に何かあったら、それは危険があるかもしれないと分かっていながら一緒に行かなかった俺のせいだ。



「それから、心配していた感染症の方は簡易検査は異常ありませんでした。詳しい検査をユリコさんの務めている病院の方に依頼しておきましたから、その結果が届き次第ご連絡しますね」



 七瀬百合子さんは七瀬家で唯一村の外の病院に勤務している。ユウスケさんの奥さんであり、ハルコさんのお母さんだ。つまり、トモナリ先生にとっては義理の母親にあたる人。キリッとした出で立ちで、ハルコさんとは違った強いオーラを纏っている。



「ありがとうござます」


「いえいえ。千歳くんの方の検査結果も一緒に送ってもらうので、連絡したら二人で来院してくださいね」


「分かりました」



 御空は頷くと、フッと微笑んで俺の膝の上に座りながらまだ御空の方に手を伸ばしているサクラの手を取った。



「ひとまず安心しました」



 御空の言葉にサクラは首を傾げたけれど、俺にはその意味が分かった。サクラが自分のせいでさらに酷いことになってしまったと自分を責めてしまうことを心配していたんだろう。御空はそういうやつだ。



「では御空くんにはベッドで休んでいてもらって、このままサクラさんの診察に入りましょうか」



 トモナリ先生がハルコさんに視線を送ると、ハルコさんはさっきまでメモを取っていた紙をトモナリ先生に手渡した。トモナリ先生はそれに目を通してからサクラに向き直った。



「サクラさん。まず、御空くんと千歳くんが怪我をしたときのことを覚えていますか?」


「えっと……」



 サクラは思い出そうとして、うーんと声を漏らした。



「あれ? なんで?」


「どうしましたか?」


「あの、全然思い出せないんです……その、さっき目を覚ますまでの記憶がなくて、最近の記憶も、所々ない、気がします」



 サクラは困惑した様子で、御空と握っていない方の手で俺の手をぎゅっと握った。俺はその手に自分の手を重ねて、落ち着けと念じながらそっと撫でた。



「じゃあ、サクラ。昨日の朝のこと、どれくらい覚えてる?」


「昨日……えっと、御空さんとお話して、助さんのお手伝いして、それから、えっと、ユミナさんが来て……」


「朝ご飯の前のことは? 覚えてないか?」



 サクラはまたうーん、と唸り声を上げて考える。けれどいくら考えても思い出せなかったようで、肩を落として首を横に振った。



「ごめんなさい。全然思い出せません」



 この様子だと、暴走しているときの記憶は全く残っていないんだろう。行動を省みて自分のことを責めてしまう心配は少ないけれど、自分で異変に気が付くこともできない。


 それにサクラに自分の体質について知って薬を定期的に飲んでもらうことを考えると、今回の千歳と御空の怪我の経緯については説明しなければいけない。覚えていなくても、自分がやってしまったことを知ったサクラがどんな顔をするか。想像することは難しくない。



「なるほど。断片的に記憶が欠如している、と。他にここ一か月くらいの間で、いつもと違うなと思うことはありませんでしたか?」


「違うこと……」



 サクラはまたうんうんと唸りながら一生懸命考える。そして何か思いついたようで、ぴょこっと耳を立てた。



「夜、あまり眠れなかったです。その代わり、星影たちとお日様に当たっているとポカポカしてよく眠れましたけど」


「うーん、夜行性の本能なのかもしれないですけど、お昼寝のし過ぎで眠れなくなった可能性も考えられますね」


「鶏と卵どっちが先か、みたいですね」


「はい、まさに」



 御空とトモナリ先生の会話にサクラが二人の顔を交互に見る。首を動かすたびにふわふわの耳と髪の毛が俺の顔の前で揺れて擽ったい。



「分からないとはいえ、記録はしておきましょう。今後の参考のためにも、情報は多いにこしたことはありませんから」



 トモナリ先生はそう言いながらメモを取る。サクラはそのメモを覗き込んで首を傾げると、グイッと俺を見上げた。



「あの、琥珀さん。ボクは、どこか病気なんですか?」



 黄金色の瞳が不安そうにゆらゆらと揺れる。そろそろきちんと説明してあげないと、サクラはもっと不安になってしまう。俺は御空とトモナリ先生、ハルコさんとアイコンタクトを取った。そしてサクラを抱き上げて、俺と向き合うように膝に乗せ直した。


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