第90話 四葉タクシー


「御空!」



 慌てて駆け寄ると、御空の身体がやけに熱い。想定外の事態に頭が真っ白になる。



「御空くん! ど、どうしよ……えっと、ユウタロウ先生かトモナリ先生呼ばなきゃ!」



 隣でアワアワしながらもやるべきことを考えているホナミの声に、真っ白になった頭がすっきりしてきた。ホナミがしっかりしているのに、私が何もできなくてどうする。


 自分たちでどうにかできない状況なら、専門の医者に頼るべきだ。外科ならユウタロウ先生、内科ならトモナリ先生。どっちに見てもらえば良いか分からないから、とりあえず七瀬医院に運ぶのがベストだ。



「色守荘までタクシーを呼んでくれるか? 【七瀬医院】に向かう。今日はユウタロウ先生もトモナリ先生もいるはずだ」


「えっと、【四葉タクシー】の事務所と【七瀬医院】に電話すれば良い?」


「ああ。四葉家の方には四人と一匹が乗れるように、それと病人がいると伝えてくれ」


「分かった」



 琥珀を呼び出すことができない今、頼れる移動手段は四葉家が経営する【四葉タクシー】しかない。ホナミに連絡を任せて、私は御空をどうにか持ち上げてサクラが眠っている和室に運び込んだ。



「痛っ」



 力を籠めると肩が傷む。だけど熱がある人間をキッチンの寒いところに寝かせたままになんてしておけない。サクラの隣に座布団を繋げてその上に寝かせた。寒いかもしれないと思って、近くにあったブランケットを掛けた。毛布はこの間琥珀が奥の座敷に運び込んでくれたものがあるけれど、取りに行く体力が残っていない。


 とにかく手に負った噛み傷に軟膏を塗ってから包帯を巻く。手元が狂いそうになったけれど、少しぐちゃっとしている程度で最終形に落ち着いた。


 ここまででかなり息が上がっている。それなのに山道を全員連れて下るなんてできそうにない。どうしたものかとため息を吐くと、サクラの真っ白な耳がピクリと動いた気がした。



「サクラ?」



 声を掛けると、サクラの瞼が薄っすら開いた。ホッとしたけれど、すぐにまた暴走したらどうしようかと不安が浮かぶ。私一人でサクラを止めることができるとは思えない。



「ちとせ、さん……?」



 私の心配をよそに、サクラは寝起きでぽやっとしたまま私の方に手を伸ばした。呼ばれたからには、とその手を握ってやると、サクラは安心したように微笑んだ。


 良かった。いつものサクラだ。



「サクラ、身体の調子はどうだ?」


「身体……えっと、お腹が空きました」



 かなり元気そうだな。



「そうか……じゃあ、今一番、何が食べたい?」


「助さんの、お野菜がたくさん入った……温かいスープが飲みたいです!」



 話しているうちに助六が育てた野菜がたっぷり入ったスープの味を思い出したのか、サクラが急に元気になった。いつもの天真爛漫さが見え隠れしている様子と、野菜が食べたいと思っていること。薬の効果はしっかり出ているようだった。



「分かった。今日の夕飯はスープにしよう。それでだ。サクラ、無理はしなくて良いんだが、立てそうか?」



 私の質問を不思議に思ったのか、サクラは首をこてりと傾げた。納得はしていない表情ではあったけれど、私の目の前でいつものようにすくっと立ち上がって見せた。



「立てますよ?」


「歩けるか?」


「歩けます!」



 サクラはちゃんと真っ直ぐ歩けることを証明しようとしてくれて、畳の縁に沿って歩き始めた。行儀的にはあまり良くないし、酒気帯び運転の検査みたいだ。だけどそんなことよりもサクラが無事だったことにホッとした。


 ホッとしたらドッと疲れが出てきた気がするけれど、まだ気は抜けない。色守荘に戻らなければ。



「サクラ、これから色守荘に戻るが、御空が熱を出しているから私が支えていく」


「え?」



 ようやく隣で荒い息をする御空に気が付いたサクラは、そのおでこにそっと触れた。あまりの熱さにすぐに手を引っ込めると、不安げに私を見上げてくる。



「大丈夫なんでしょうか?」


「大丈夫だ。きっと疲れが出たんだろう。これから【七瀬医院】で診てもらうし、心配はいらない」


「そうですか」



 サクラはホッと胸を撫で下ろすと、寒そうにしている御空に自分のしっぽを掛けてあげた。


 もしも御空が倒れた原因にサクラの噛み傷が関わっていたら、この顔はきっとひどく歪んでしまう。どうか、御空の命に別状なくあって欲しい。



「星影は眠っているから……」


「ボクが抱っこします!」


「そうか、ありがとう。それじゃあ、もう少し休んでいてくれ。御空の様子がおかしくなったら呼んでくれよ?」


「はい!」



 協力的なサクラに星影を任せるなら、私は御空を運ぶことに専念すればいい。どうにか山道を下れそうな気がしてきた。



「千歳くん、ジョウタロウさんが来てくれるって」



 四葉丈太郎くんは【四葉タクシー】の運転手で、ミヅキの父親でもある。ジョウタロウくんの運転ならば安心だ。



「分かった。私たちも向かおう」



 私が御空に肩を貸して、サクラが星影を抱っこした。社を出ていつもより慎重に山道を下っていると、ホナミが手を貸してくれた。2人でどうにか色守荘まで御空を運ぶと、すでにジョウタロウくんが到着していた。



「大丈夫、じゃなさそうだね。一番後ろの席にブランケットと枕が置いてあるから使ってくれ」


「ありがとうございます」



 六人乗りのタクシー。お言葉に甘えて助手席にホナミ、真ん中にサクラと星影が座る。一番後ろの席に御空を寝かせて楽そうな姿勢で寝かせる。さっきよりは少しだけ呼吸が和らいでいる気がした。


 御空にブランケットを3枚重ねてかけてやると、それを待っていたかのようにタクシーが出発した。


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