第87話 暴走
side常盤御空
結局研究所ではあの薬と彩葉さんからの手紙以外の情報を得ることができなかった。得た情報を数の家の人たちに報告するためにすぐに村に戻った俺たちは二手に分かれた。
琥珀と助は報告へ、千歳と俺はサクラのお迎えに行く。思ったよりも遅くなってしまったし、あの手紙の内容のこともある。サクラの身に何か起こっているんじゃないかと気が気ではない。
「悪いな、俺たちも行ければ良いんだけど」
「そういうわけにもいかないでしょう? 彩葉さんの無事が分かったなんて、村の一大事なんですから。すぐに知らせて、手紙の通り彩葉さんが戻ってきた後の対応についても協議をしなくてはいけません」
「ああ、分かってる。御空、千歳、頼んだ」
琥珀も助もサクラのことが心配で仕方がない様子だけど、サクラの今後に関わることも話さなければいけないとなれば報告も大事だ。
「助六、ソウタとガクに調薬の件、頼んでおいてくれ」
「分かってる。流石に僕だけじゃどうしようもないところだしね」
サクラの体質のことは【七瀬医院】を開いている七瀬家と、村の有力者である数の家の長には伝えておいた方が良いだろう。だけどそれ以外の人には伝えない方が良いだろうと車中で話し合って決めた。
せっかく村の人たちと仲良くなれてサクラも喜んでいるのに、いつも体調を気にされたりするのは息が詰まってしまうだろうから。サクラの健康には俺たちが今以上に気を配る。その分、村の人たちにはサクラが気兼ねなく楽しめる場所を作ってもらいたい。
「それじゃあ、いってきます」
「よろしくな」
琥珀と助に見送られて千歳と社に向かおうと外に出た。すると、突然網戸が開いて星影が飛び出してきた。
「星影、お外に出てはいけませんよ?」
「ナァッ!」
星影は抱っこしようとした俺の手をすり抜けて社の方に向かっていく。敷地を出る前に立ち止まると、戸惑っている俺たちを急かすように振り返ってまた一鳴きする。
「御空、急ぐぞ。嫌な予感がする」
「わ、分かりました」
「千歳、御空! 星影のことも頼んだ!」
琥珀が中から声を張り上げた。その声を背に受けて、俺たちを引き離さないように気を付けながらもどんどんと山道を登っていく星影を追いかけた。
山道を走るなんて千歳と俺にはハードすぎるけれど、星影はサクラと心を通わせている。星影が何かを感じ取って俺たちの力を借りようとしているなら、自分の疲労を無視してでも力になりたい。
「きっつ……」
「御空、あと、少しだ……」
息も絶え絶えになりながら山道を何とか登り切ると、そこには四つん這いになって茂みに向かって威嚇をするサクラの姿があった。
「サ……」
「待て。あれは、危ないかもしれない」
思わず駆け寄ろうとした俺の腕を掴んで引き留めた千歳は、ジッとサクラの様子を窺っている。俺もサクラの様子を見ていると、星影が警戒するように俺の足元に身を隠した。
「千歳、御空、星影ちゃん。お久しぶりですわ」
「お稲荷様!」
冬になっても金木犀の香りを纏ったお稲荷様が俺たちの目の前にスッと降り立った。その表情は焦っているような困っているような。そんな様子だ。
「サクラは先ほどからあんな調子で。言葉もあやふやなほど狩猟本能に飲まれてしまっている状況です」
「本能……」
さっき読んだ手紙の内容が頭をよぎる。これ以上はサクラにとって未知の状態。間に合ったわけではないけれど、まだこの状況なら引き返すことができる可能性はある。
「私の方でも手は尽くしましたが、サクラには声が届きません」
お稲荷様はキツネ様と話すことができる。つまりこの状態のサクラはキツネ語しか知覚できないというわけでもない。言語の理解をする以上に本能に意識を持ってかれてしまっているということだ。
「御空、薬は?」
「持ってきました」
注意にはどんなに調子が悪くても一週間に一錠までと書いてあった。どうにかこの薬をサクラに飲ませないと。サクラの体調を安定させるにはこれしかない。
「俺、行ってきますね」
千歳は一瞬目を見張ったけれど、小さく頷いてくれた。その目には心配と信頼の色が映る。俺の身に何かあっても千歳がどうにかしてくれるはず。そう思えば緊張も少しは解れた。
「サクラ。もう大丈夫ですよ」
できるだけ静かに声を掛けながら近づくと、サクラの耳がピクリと動いて俺の方に意識が向いた。俺の言葉が届いているのか、そう考え始めた瞬間だった。サクラがこちらに飛んでくる。伸ばされた手には鋭い爪が光る。
死ぬかもしれない。恐怖を感じて反射的に身を丸めた。
「ナァッ!」
星影の声がした。その瞬間、俺の方に向かってきていた影が横に飛ばされた。そっと目を開けると、サクラが脇腹を抑えながらフラフラと立ち上がるところだった。俺を守るように立っている星影がサクラに体当たりしたようだ。
サクラの意識が俺から星影に移る。またサクラの鋭い爪が伸びて来て、今度は星影目掛けて振り下ろされる。
「危ない! うわっ!」
咄嗟に星影を抱きかかえて飛びのこうとして、盛大に後ろ向きに転んでしまった。星影を捉え損ねたサクラは軽やかなステップで俺たちの方に牙を剥いた。
星影を傷つけたことを嘆くサクラの姿が脳内に浮かんで消えて行った。そんな悲しい顔をさせたくはない。星影を庇うようにしっかり包み込んで、飛びかかって来るサクラに背中を向けた。
「ぐっ……」
肉を割く音がしたのに痛くない。代わりに低く唸るような、苦しみを帯びた声が耳に届いた。そっと目を開けると、千歳がサクラを抱きしめていた。その左肩には深くサクラの牙が刺さっている。
「千歳!」
「御空、良いから、薬を……」
押し潰すような呼吸をしている千歳のことも心配だ。だけど今サクラに薬を飲ませなければ、もっと千歳や星影が怪我をするかもしれない。そうなれば、もっとサクラが傷つく。
俺は千歳の腕から逃れようと藻掻くサクラの口元に薬を持っていく。
「飲んでください」
必死に抵抗するサクラの力に押し負けそうで、だけど俺が負けたらいけないと足を踏ん張って耐えた。サクラの口をこじ開けて薬を放り込む。サクラがそれを飲み込むまでは口から手を離せない。グッと抑え込もうとしたその手を噛まれて思わず逃げてしまった。
その隙に力尽き欠けている千歳と俺から距離を取ったサクラが薬を吐きだそうとした。けれどその瞬間、星影がサクラの顔面に突っ込んでいった。
「んっ、ぐっ!」
星影を引き剥がそうと藻掻いていたサクラが、何かを飲み込むような声を出した瞬間に糸が切れたように崩れ落ちた。その身体をお稲荷様が抱き留めてくれた。
「千歳、御空、星影。ありがとう」
お稲荷様がそう言ってサクラの瞼に触れたとき、隣でドサッと千歳の身体が崩れ落ちた。
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