第86話 置き手紙


 御空が持っていた手紙の筆跡にはどこか見覚えがあったけれど、どこでだったかは思い出せない。



『サクラへ


 この手紙を読んでいるということは、あなたがまだ生きているということ。私は嬉しく思います。


 この薬は拓郎さんがサクラに毎週飲ませていた薬です。実験のときに一緒に飲んでいたので、サクラは薬のことを知らないかもしれませんね。


 研究所を片付けているときに見つけた薬の作り方と効果、守って欲しいことと一緒にこの箱に入れて隠しました。


 ここはサクラとの思い出の場所ですからね。懐かしいです。まだ幼かったサクラとかくれんぼをしたことを思い出して、サクラが成長したことを感じました。とても嬉しいです。


 さて、本題です。今サクラがどこにいるのか、私には分かりません。私もどこに連れていかれるのか分からないので、サクラに私の居場所について伝えることもできません。


 ただ、私は拓郎さんについて行くことになるようです。ですがサクラと離ればなれになるのであれば私に拓郎さんと一緒にいる理由はありません。必ずあなたに会いに行きます。


 それまではどうか生きていてください。


 一人で生きていくのは難しいはずです。もしサクラが助けを求めるならば、私の生まれた場所を訪ねてください。


 私の生まれた村はキツネ様を大切にする村です。きっとサクラのことも守ってくれるはずです。大変なこともあると思いますが、サクラが生きていくことができるのは吉津音村だけだと思います』



 手紙はまだ二枚目に続くけれど、吉津音村の名前が出てきたことに驚いて顔を上げた。御空は村の名前が出てきたことには驚いていないようで、ただグッと唇を噛んでいる。



「吉津音村って、うちの村しかないよね?」


「ない、はずです」


「御空、大丈夫?」


「大丈夫、大丈夫です」



 御空はそう呟くように言うと、一つ深呼吸をして一枚目の手紙を後ろに入れ替える。僕も意識を手紙に戻した。



『吉津音村は研究所の隣の山にあります。ここに来られたなら、シロくんが好きだった赤い実がなる木の方に向かってください。そこの柵には切れ目があります。サクラなら、切れ目を広げて外に出られるはずです。


 外に出たら真っ直ぐ山を下って、一番下まで行ったら川を辿ってください。その先に吉津音村があります。


 吉津音村の山には色守稲荷があります。そこにいるお稲荷様は必ずサクラの味方になってくれます。村に着いたらお稲荷様、と祈ってください。


 もしお稲荷様に会えなかったら、色守荘を訪ねてください。色守稲荷がある山を登る途中にある大きなお家です。私が生まれ育ったそこには、サクラを守ってくれる人がいます。薬の作り方は色守荘の人に渡してくださいね。


 拓郎さんの傍を離れたら、私もすぐに色守荘に向かいます。どうか、私がもう一度サクラに会うことができる日まで、元気で生きていてください。


 ずっとちゃんと守れなくてごめんなさい。次に会うときからは、私がサクラを守りますからね。愛しています。


 色守彩葉』



 最後まで読んで、僕は言葉を失った。



「色守、彩葉」



 御空も呆然としながらその名前を確かめるように呟いた。


 色守彩葉さん。色守家の一人娘で、千歳の初恋の人と同じ名前。十数年前に失踪してからは居場所について知る人は誰もいなかった。もう亡くなっているかもしれないとさえ言われていた人だ。



「千歳、これを見てください」



 御空が千歳を呼んで手紙を読ませる。誰よりも近くで彩葉さんの文字を見ていたのは千歳だ。文字を見れば本人かどうかくらい分かってしまうだろう。


 案の定、千歳は手紙を見て明らかに動揺した。後ろから覗き込んだ琥珀も目を見開いた。



「間違いない。彩葉さんの字だ」



 一音一音、置くように発せられた言葉。千歳は震える手でその文字をソッとなぞる。そして心底安心した様子で泣き笑いを浮かべた。



「琥珀、帰ったら数の家の人たちを集めてくれ」


「分かった」



 琥珀は千歳の肩をポンッと叩くとスマホを手に部屋の外に出ていった。きっと早速みんなを集めるつもりだろう。


 千歳と御空がまた部屋の捜索を始めたのを横目に、僕は彩葉さんが残した薬について書かれた方の紙に目を通した。この薬の効果や作るときに必要なもの、飲むときの注意点。知らなければいけないことばかりだ。


 最初に開いた数枚の紙の束はパソコンで打った文字が印刷されたものだった。タイトルには『遺伝子維持薬の効果と検証結果』と書かれている。



『効果は個体番号三十九の遺伝子の維持。一週間に一度飲ませなければキツネの遺伝子が人間の遺伝子を侵食し始める。


 個体番号三十二から三十五、三十八、四十一から四十五へ投薬後、遺伝子異常で全個体死亡。


 個体番号四十六から五十、五十三、五十五から五十八へ投薬後、四十六のみ身体能力強化の兆しあり。その他全個体一週間の内に死亡。


 個体番号三十九は投薬後から体調安定。キツネの本能の抑制に成功。人間らしい生活に順応開始。


 個体番号三十九へ二週間の投薬中止。倦怠感あり。


 個体番号三十九へ三週間の投薬中止。睡眠不足の傾向あり。


 個体番号三十九へ四週間の投薬中止。狩猟本能の目覚め。


 個体番号三十九へ五週間の投薬中止。菜食への嫌悪、狩猟本能の抑制不可能、言語機能に異常。再投薬開始』



 一枚目の途中まで読んで気分が悪くなった。きっとこの個体番号三十九というのがサクちゃんのことだ。自分の苦しみと兄弟のような存在と言っていた他のキツネ様達の死に触れて、どんなに辛い思いをしていたのだろう。


 ひとまずこの紙は後にして、次の必要な材料が書かれている方の紙を開いた。

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