第84話 潜入開始

side山吹助六



 翌朝、ホナミを大学に見送ってからサクラを社に送り届けた僕たちは琥珀の運転で隣の市の市役所に出向いていた。



「やあ、久しぶりだね」



 市役所から出て来た恰幅の良いおじさん。久しぶりに見たシロウマルさんはやっぱり人間湯たんぽに見えてつい抱き着きたくなる衝動を堪えた。だけどあのお腹をタプタプしたくなる衝動は抑えがたい。



「助、今日はお仕事で時間を作ってもらっているんですからね」


「はぁい」



 御空にあっさり見抜かれて、このうずうずした気持ちをゴクリと飲み込んだ。年末まで持ち越しだな。



「お待たせしました」


「山田くん、ありがとう。さ、車を用意したから、みんな乗って」


「ありがとうございます」



 今日はシロウマルさんの部下の山田さんも一緒に行く。ついボロが出ないように、御空を中心に話を回してもらう。僕はテンションが上がるとつい素が出ちゃうからなるべく静かにしているのが今日の任務の一つ。


 ちなみに山田さんは僕と同じくらいの年頃に見える。穏やかに微笑んでいるけれど、指示の一つ一つにハッとしたような反応をするくらいボーッとしている印象だ。


 山田さんが運転する車に乗って移動すること数十分。ガタガタと車に揺られていると目的地に到着した。


 森に似つかわしくない真っ白な建物。最近まで手入れをされていたと分かる小綺麗な様相。流しのホースや物干し竿がそのまま残されていて、生活の痕跡が見て取れる。



「監査に入ったとき、中には何があったんですか?」


「三十六匹のキツネ様が檻に閉じ込められていたよ。人間は誰もいなくて、物も個人を特定できるようなものは何も残っていなかった」


「ここの管理者は?」



 千歳が聞くと、シロウマルさんが山田さんにアイコンタクトを取る。山田さんは慌てた様子で資料を捲った。



「悪いな」


「いえ」



 シロウマルさんは苦笑いしながらも温かい目で山田さんを見守る。僕たちが悪さをしたときもこうやって見守っていてくれたことを思い出す。怒らないでいてくれる大人の存在は大きいものだった。



「あ、ありました。紺野拓郎さんです。同居人はいないことになっていたのですが、茶碗が三人分あったので他にも二人一緒に暮らしていた可能性があると報告されています」


「紺野……」



 サクちゃんの苗字だ。もう一人というのはきっとサクちゃんのお世話をしてくれていたという女性だろう。二人が今どこにいるのかは分からない。それにここにも何も手掛かりはなさそうだ。



「入っても大丈夫ですか?」


「はい」



 意味はないんじゃないかと思ってしまうけれど、御空は当初の予定通り中の捜索をするらしい。それなら僕も、何も見逃さないようにするだけだ。


 山田さんが鍵を開けてくれて、みんなで中に入る。



「あっちの一番端の部屋がキッチンです。その隣の部屋には檻がたくさん並んでいて、キツネたちが囚われていた場所になります。それからあっちがお風呂で、そこにも部屋があります」



 山田さんが教えてくれたところを一部屋ずつ回っていく。キッチンには確かに三人家族の生活の痕が残されている。けれど人の痕跡が消されたように掃除されていて、サクちゃんが言っていたほど慌ただしくここを去ったようには見えなかった。


 琥珀と千歳と御空で引き出しや戸棚を一つ一つ開けてみるけれど、めぼしい物は何もないらしい。僕は琥珀たちの様子を見ながら、部屋のあちこちにおかしなところがないか注意深く観察しているけれど、綺麗すぎる以外には特に違和感はない。


 僕たちが部屋中を探し終わるとシロウマルさんが隣の部屋に案内してくれた。



「キッチンだけが異常に綺麗なんだ。きっと毎日手入れをしていたんだろうけど……それならこの部屋もそうしてあげて欲しかったよ」



 シロウマルさんの悲し気な顔の意味は部屋の荒れ具合を見れば理解できた。動物特有の臭いが立ち込めて、あちらこちらに糞尿や食べ残しが残されている。



「酷いな」


「世話はされていたみたいですけど、手は足りていなかったようですね」



 サクちゃんはお風呂も部屋の外に出ることも毎日はできなかったと言っていた。ご飯も満足に与えられずにこんな部屋に押し込められて、毎日のように研究と称した虐待的な行為が繰り返される。


 サクちゃんは、キツネ様たちは、どんな思いでこの部屋で過ごしてきたのだろう。少なくともサクちゃんはここでの生活を嫌なものだと思っていなかったみたいだったけれど、それはここでの生活以外を知らなかったからだろう。


 琥珀たちが捜索している間にまた部屋の様子を観察する。均一のサイズの檻が並ぶのを見ていると、突然背筋がゾッとした。


 サクちゃんはこの部屋でみんなと同じように檻に入れられていたと言っていた。つまり、他のキツネ様よりも大きな身体を縮こまらせてここに入っていたということだろう。


 あの出会ったばかりの細くて弱々しい小さな身体でだって、きっと狭かったはずだ。普通のキツネ様なら余裕があるくらいとはいえ、サクちゃんの身体は人間と変わらないのだから。



「そこの檻だけが空いていて、他の檻は埋まっていたようです」



 山田さんが指さした檻に引き寄せられるように近づいて、中に入ってみる。一番下の真ん中の檻。三角座りをして首を曲げて、それでどうにか入れた。サクちゃんはどれだけの時間をここで過ごしたんだろう。



「助?」


「ここで暮らして幸せを感じるって、想像もできないや」


「そうですか」



 檻を除いた御空は寂しそうに笑うとまた捜索に戻って行った。人の気持ちに敏感な御空には何か分かるのかもしれない。


 檻からはキッチンに繋がるドアと、その先にあるキッチンの様子を覗くことができた。



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