第69話 戯れ

side石竹琥珀



 色守荘に帰ってきた。駐車してから中に入ると、リビングが何やら騒がしい。不思議に思いながら入って行くと、サクラが床に倒れていた。



「サクラ!」



 慌てて駆け寄ろうとしたけれど、御空にやんわりと押し留められた。緊急事態ではないと判断して呼吸を整える。もう一度サクラをよく見ると、上に白と黒の塊が乗っかっている。



「サクラがリビングに入った途端にネコたちがサクラに飛びかかろうとしたんです。手を洗うからと一度はサクラが往なしたんですけど、戻ってきたらこれです」



 御空は楽しそうにクスクスと笑う。サクラが来てから本当によく笑うようになった。サクラが眷属様ではなかったとしても、きっと御空を変えてくれただろう。サクラは人として、という言い方で良いかは分からないけれど、本当に優しくて温かい子だから。


 四匹のネコたちに押し倒されているサクラが擽ったそうに笑っているのを見て、守らなければと決意を新たにした。


 風月がサクラの足をツンツンとつついたり頭を擦りつけたりしているのを見ながら、どうやって過去の惨劇を引き起こしたネコとこの子たちは違うと説明しようかと悩む。サクラとネコたち、サクラと村人たち。どちらも引き離すようなことにはしたくない。



「ちょ、星影、そこはダメです!」



 サクラの慌てた声に視線を足元から顔の方に移すとサクラの顔を星影が舐めていた。何が起きたのかと思ってよく見れば、サクラの頬がテラテラと光っていることに気が付く。サクラの頬をペロペロと舐めていた星影の舌が、次第に移動して口元を舐め始めたのだろう。



「ああ、星影、それは、好きな子としてください!」



 顔を赤くした助が星影を抱き上げてサクラと引き離す。星影は不満そうに一鳴きすると、スルッと助の手を逃れてサクラの手に頭を擦り付け始めた。両手両足をネコたちに囲まれたサクラは、嬉しそうに、けれど困ったように笑っていた。



「先輩、サクラさん大丈夫だったんですか?」



 そっと隣に来た春川さんに囁かれて身体がびくりと跳ねた。突然のウィスパーボイスは心臓に悪い。



「ああ、眠っていただけだったよ」


「そうなんですね、良かったです。私はそろそろ帰りますけど、また何かあれば声をかけてくださいね」


「ありがとう。度々悪いな」


「いえ、ネコさん大好きですから。それに、先輩とおでかけするのも好きなので」


「え?」



 思ってもみなかった言葉に驚いて聞き返すと、春川さんは照れ臭そうに笑ってそそくさとリビングを出て行ってしまった。熱くなった頬を冷まそうと手で仰いでいれば、視線を感じてそわそわする。



「なんだよ」


「いや、別にぃ?」


「良かったな」


「そろそろお赤飯の準備をしておきましょうか」



 助を筆頭に口々に揶揄われていたたまれない。家族に恋愛事情を把握されている恥ずかしさの威力は凄まじい。穴があったら入りたい。



「主賓のあいさつは任せてね」


「ツクヨくんまで! そういうのじゃないって!」


「はいはい、まだ、付き合ってないもんな?」


「だからっ!」



 トレードマークとも言える強めの顔にニヤリと笑みが浮かぶ。ツクヨくんは俺の肩を叩くとそのままリビングを出て行ったから、慌ててその背中を追いかけた。



「あのさ、ツクヨくん、ありがとう」


「べつに良いよ。自分も楽しかったから。良ければまたお邪魔するね」



 スニーカーを履きながら言ったツクヨくんは、振り向きざまにまたニヤッと笑った。



「あ、琥珀、結婚式楽しみにしてるからね」


「だから! 違うんだって!」



 ケラケラと笑いながら出ていくツクヨくんの背中を目で追いながら、ついため息を吐く。心配してくれていることは分かっているけれど、恥ずかしいから揶揄うのはやめて欲しい。


 玄関のドアを閉めてリビングに戻ると、ネコたちは寝床に戻っていた。寝ているわけではないけれどのんびりしている。来客を前にしてずっと緊張していたみたいだし、ゆっくりさせてあげよう。



「サクラ、そろそろさっきの話、聞いても良いかな?」



 この場にいるのは俺たちだけ。ソファに座っていたサクラに声をかけると、ダイニングの方にみんなが集まってきた。全員が席につくと、サクラは右手の手のひらを上にしてテーブルの上に置いた。



「見ていてください」



 そう言うと、左手に握っていたカッターの刃をスッと手のひらに滑らせた。



「ちょ、何を! ティッシュ、ティッシュ取って!」



 慌てて止めようとしたけれど間に合わなかった。とにかく止血しなければと立ち上がった俺の手をサクラが引き留めるように掴んだ。



「サクラ!」


「大丈夫です。ほら」



落ち着き払っているサクラに導かれるように傷口に視線を戻すと、傷がみるみるうちに治っていく。



「これくらいの傷なら数分で消えてなくなりますから、大丈夫です」


「いや、でも、痛いだろ?」


「いえ、あまり。これくらいなんてことありません」



 微笑んでいるサクラの頭を御空が悲しそうな表情で撫でる。千歳と助も、悲しみと苦しみが混ざった表情を見せていた。



「ごめんなさい。皆さんに悲しい顔をさせたかったわけではないんです。ただボクのこの治癒能力の高さと、痛覚が鈍るほど繰り返した研究のおかげでどんな薬が使われたのか分かったんです」



 【七瀬医院】では嘘を吐いていたことには気が付いていた。本当の理由を言わなかったのはきっとサクラの過去に関わるからだろうと分かってもいた。


 けれど心の奥底では、そんな事実がなければ良いと願っていた。



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