第67話 七瀬医院


 状況がよく分からないからと、内科医の七瀬友成先生と外科の悠太郎先生が二人で見てくれることになった。サクちゃんとアオイちゃんを隣同士のベットに寝かせて、同時進行で診察が進んでいるらしい。


 僕とクロトくんは揃って診察室から追い出された。少しだけ混乱していた気持ちが落ち着いてくると、琥珀たちに現状を連絡した。スマホから視線を外すと、クロトくんが持っているクッキーの袋が気になった。



「ねえ、それが何か分かる? 手作りっぽいけど」


「分かりません。アオイは料理はできてもお菓子は作れませんし。でも今朝うちに来たときにはもう持っていましたから、もしかすると同居しているアオイの婚約者が作ったものかもしれません」



 婚約者と同居している事実に、頭を殴られた気分になった。けれど今はそんな話はどうでも良い。



「その人、お菓子作りが好きなの?」


「いえ、お菓子作りどころか料理もからっきしだったはずです」



 クロトくんはそう言うけれど、この焼き色と固さは初心者が作ってすぐにできるものではない。ある程度お菓子作りに慣れていて、器具もきちんと揃えている人が作ったはず。


 状況的にはアオイさんはサクちゃんと一緒にこれを食べた。けれどこれに毒か眠り薬が入っていたと考えるのが妥当だと思う。


 アオイさんの自作自演にサクちゃんを巻き込んだか、アオイさんを狙った何者かの狙いが外れてサクちゃんも巻き込まれたか。どっちにしてもサクちゃんは巻き込まれてしまったと考えられる。



「変な毒じゃなければ良いのですが」



 クロトさんの祈るような呟きに、その小さく震える背中を擦った。



「助! クロト!」



 汗をかいて息を切らしながら駆け込んできた琥珀の声が院内に響く。村の外に出ていたはずなのに、どうしてこんなに早く来られたんだろう。不思議に思っていると、僕たちの元に駆け寄ってきた琥珀は僕の肩をガシッと掴んだ。かと思ったら思い切り揺さぶられて、ちょっと痛い。



「助、サクラは!」


「琥珀、うるさいよ」



 どこかから出てきた七瀬ハルさんの手が琥珀の肩を掴んで止めてくれた。そして今年で九十四歳になるとは思えない力強さで琥珀を僕から引き剥がして、その頭にげんこつを落とした。



「あんたが焦ってどうするの」


「ハ、ハルさん……」


「サクラくんなら大丈夫さ。お稲荷様が守ってくださるから。クロト、あんたの妹さんだっけ? あの子も大丈夫さ。あの子はサクラくんが守ってくれる」



 ハルさんの力強い言葉に、琥珀もクロトくんも頷いた。ハルさんは僕の隣に座ると、反対側の隣に琥珀を座らせた。



「あたしゃこの村の子たちを何百何千と取り上げてきたさ。中には死にかけで生まれてきた子もそりゃいたよ。でもね、みんな元気に育ったさ。なんせこの村の子らはお稲荷様が守ってくださるんだから」



 お稲荷様の能力は、前に聞いた話だと他者の感情を読み取る力だ。生死に関わる能力については聞いたことがない。だけどこの村で生まれた子はほとんど取り上げてきた産婆のハルさんが言うと信じられる。



「お稲荷様って、本当にすごいんですね」


「そりゃね。この村はずっとお稲荷様に助けられてんだ。だからみんな、お稲荷様とその眷属様のためにできることはなんでもしたいって思うのさ」



 ハルさんの言葉で、今まではきちんと理解できていなかったネコ嫌いな人たちの後悔の大きさが分かった気がした。それだけ思っていたのに死なせてしまった。悔しさと悲しみが憎悪になってしまっても無理はない。


 星影たちのことを受け入れてもらうことにまた不安を感じていると、急にガラガラと診察室のドアが開いた。



「助! クロト! と、琥珀も来たか。サクラさんが目を覚ましたよ!」



 看護師の七瀬悠助さんが慌てた様子で顔を出した。僕たちはバッと立ち上がった。



「あの、アオイは!」


「アオイさんは、まだ。でもサクラさんが言うには、ただ眠っているだけだそうだから。検査もしたけど、誰の仕業かはさておき、身体に異常はないよ」



 ホッとしたのか膝から崩れ落ちたクロトさんを受け止める。クロトさんを支えながら診察室に入ると、サクちゃんが僕たちにニコッと笑いかけてくれた。



「サクちゃん!」


「サクラ!」



 目が覚めたことにホッとして、サクちゃんが笑顔を見せてくれたことに胸が熱くなった。どうしようもない気持ちになって僕と琥珀で両サイドから抱きしめると、サクやんは擽ったそうに笑った。



「ご心配をおかけしました」


「ううん、本当に、良かった!」



 泣きそうなのを堪えていると、サクちゃんの少し短い腕が僕たちの背中に回った。



「サクラさんのおかげだな。サクラさんが薬の種類と量を予想してくれて、そのおかげでアオイさんもそのうちに目を覚ますと判断できた」



 ユウタロウ先生の言葉に驚いてサクちゃんの顔を覗き込むと、サクちゃんは照れ臭そうに笑った。そして僕たちにだけ聞こえる声で囁いた。



「僕の体質と経験が役に立ちました。父さんに感謝です」



 ニコッと笑ったサクちゃんは誇らし気で、何が何だか分からない僕と琥珀は目を合わせて首を傾げた。サクちゃんはそんな僕たちを見て微笑むと、ドアの方に視線を映した。



「サクラ!」


「無事か!」



 駆け込んできた千歳と御空。聞けば星影たちは春川さんとツクヨくんが見てくれているらしい。春川さんがいれば安心だ。



「サクラさん、今来た人たちにも状況を説明してもらっても良いかな?」


「分かりました」



 ユウタロウ先生に促されたサクちゃんは、四家の僕たちとクロトくん、眠っているアオイさん。そして七瀬医院のハルさん、ユウタロウ先生、ユウスケさん、トモナリ先生が診察室とその廊下にひしめき合う中で、穏やかな笑みを浮かべて話し始めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る