第66話 膨らむ気持ち


 店の奥の倉庫スペースにに案内してもらうと、たくさんの球根が山のように置かれていた。



「今年は九色全部揃えることができたんですよ。品種もかなり揃えてあります。チューリップは助六くんも学校の方も買ってくれますから、張り切ってしまいました」


「ありがとう。でも、どれにしようか悩んじゃうね」


「ゆっくり選んで良いですよ」



 お言葉に甘えてじっくりと選びながらも、サクちゃんとアオイさんのことが頭から離れない。お世話係の仕事を放棄してしまったことに対するショックと同じくらいアオイさんのことを考えてしまう自分が嫌でため息を吐いた。



「助六くん、大丈夫ですか?」


「あ、うん。大丈夫だよ」



 クロトくんに心配そうに顔を覗き込まれて、慌てて笑顔を作った。お世話係たるもの、村の人に心配をかけるようなことはしない。それは両親から散々言われてきたことだ。また理想のお世話係から遠ざかってしまう。


 内心落ち込みながら花壇の姿を想像する。色守の名に恥じないように九色揃えたいところではある。しかし同じ色でも若干の濃淡の差やラインが入った品種もあるし、形も様々だ。



「さっきはありがとうございました」


「え?」



 急なことに驚いて球根から視線を外すと、クロトくんは頼りなさげに眉を下げて笑っていた。



「私は危ないと思ってもアオイを庇うことができませんでした。助六くんとサクラくんのおかげでアオイは怪我がありませんでした。元はと言えばアオイに非がありますけど、助けてくれてありがとうございました」



 お世話係は第一にお稲荷様と眷属様のためにある。その上でそれを介することで村人たちのためにある。それを考えると複雑な気持ちではあるけれど、アオイさんに怪我がなかったことは本当に良かった。



「僕よりサクちゃんだよ。アオイさんだけじゃなくて商品まで守ったんだから」


「サクラくんにもあとできちんとお礼をしますよ。でも助六くんには伝えておきたいことがあるんです」



 やけに真剣な目でジッと見られて、僕は身体ごとクロトくんに向き直った。



「アオイは来年から実家の【Flour Angel】で働くことが決まっています。昔から決められている婚約者もいます」


「だから手を出すなって?」


「はい」



 サクちゃんじゃなくても分かるくらい僕はアオイさんに好意を向けているのだろうか。けれどそのおかげで不毛な恋に深入りしなくて済んだ。結果オーライだ。



「あはは、確かに可愛いなとは思ったけど、そういうのはないよ。安心して。庇ったのだって、目の前にいたからだし。もし目の前にクロトくんがいても同じことをするよ」



 早口に言うと、クロトくんはまた眉を下げた。その顔があまりに申し訳なさそうで少しだけ苛立ちを覚えた。そんな顔をするくらいなら何も言わなければ良かったじゃないか。そんなことができない優しい人だと分かっているけれど、優しさはときに残酷だと思う。


 深く深呼吸をして気持ちを整えて、もう一度チューリップに向き直った。



「赤はイルデフランスとストロングラブ、白はワイズベルリナと白雪姫とクリアウォーター。黄色はイエローフライトとイエロープリシマ。それから……」


「ま、待ってください。私が追い付けるペースでお願いします」



 僕がいきなり注文を始めたから、クロトくんは慌てた様子でメモをエプロンのポケットから取りだした。ちょっと仕返しみたいなことがしたくなって、意地悪してごめんね。


 クロトくんがメモを取り終わったのを見届けてから、次の籠の方に向かった。



「ピンクはガブリエラとコンプリメント、オレンジはオレンジエンペラーとドルドーネ、紫は紫雲とミステリアスパーロット、緑と黒と茶色はここにある品種全部でお願い。それぞれ六つもらうよ」


「ありがとうございます。端数はおまけして、六万円ちょうだいします」


「良いの?」


「お得意様ですから」



 ふわりと微笑んでくれたから、ここはお言葉に甘えることにする。量も増えたし物価高もあるし。去年の倍額分買うことになってちょっと財政面に厳しさはあったから、正直助かった。



「でも、毎年五つずつなのに今年は多いですね」


「家族が増えたから花壇も拡張したんだ」



 前までは僕たち四家と色守家の分で、各品種五つずつ花壇に植えていた。けれど今年からはサクラの分も合わせて六つ植えるためにスペースを増やした。去年クロトくんが来年はもっと種類を揃えますって言ってくれたから、その分も考えてかなり拡張していた。


 僕が物心つく前は簡素だった家の前の庭も裏の畑も、今やそこを縁取るように作られた花壇に四季折々の花を咲かせている。僕が花や植物が好きだからと、両親と一緒に拡張を続けてきたものだ。僕にとって、第二の居場所と言っても良い。



「サクラくんですか」


「それだけじゃないよ。星影と子ネコたちもね」


「そうでしたね。今度会いに伺っても良いですか?」


「もちろん。うちは村のみんなの憩いの場でもあるからさ、好きなときに来てよ。琥珀も喜ぶと思うよ? それに僕が作った花壇も見に来て欲しいし」



 村で一番大きな花壇を作って管理しているけれど、そこに植えられている花のほとんどはここで種や球根、苗を買っている。僕以上に花に愛されていて、いつも花の香りを纏っているクロトくんにも見て欲しい。



「では、今度お邪魔しますね」


「うん。待ってる」


「ありがとうございます。さて、そろそろ戻りましょうか」


「そうですね」



 店にいるのはしっかりしているのにおっちょこちょいなサクちゃんと、見るからにそそっかしくて危なっかしいアオイさん。長い間二人きりにしておくのはサクちゃんが半人半狐であることとアオイさんが村の外の人であることを除いても心配だ。



「終わりましたよ」


「サクちゃん、そろそろ次に行くよ」



 声を掛けながらお店の方に戻ると、レジ前の椅子でうたた寝をしているアオイさん。そしてそのアオイさんをしっぽで包むように支えながら眠っているサクちゃんがいた。



「サクちゃん、起きて?」


「アオイ?」



 いくら声を掛けても揺すっても二人とも起きなくて、不安な気持ちが膨らむ。サクちゃんはいつもすんなり起きてくれるし、深く眠っているにしても異常すぎる。



「これ」



 クロトくんが床から拾い上げたのは、手作りらしいクッキーが何枚か入っている袋だった。落とした衝撃で割れてしまったのか、端がポロポロと崩れている。よく見ればサクちゃんの口元にも同じクッキーのカスが付いている。


 現実的ではない可能性が浮かぶ。けれどお互いにそうとしか考えられなくて手も声も震えた。



「これは、一体……」


「病院! 病院に連れて行きましょう!」


「そう、だね。念のため行こう」



 ただ眠っているだけとはどうしても思えなくて、店のことは駆けつけてくれた向かいの八百屋【十日市】の奥さん、サクラコさんにしばらくお願いすることにした。お言葉に甘えて僕はサクちゃんを、クロトくんはアオイさんを背負って店の裏手、クロトくんの家の方から外に出た。


 クロトくんの家の正面にある【七瀬医院】に駆け込むと、ちょうど患者さんがいないからとすぐに診てもらえることになった。


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