第64話 香り漂う商店街


 満足そうな顔で戻ってきたリョウマくんの後ろから、リョウマの弟、万田翔真がいつものように僕と同じ万年筆の香りを纏って、珍しく少しそわそわしながらやってきた。いつもは気だるげなムスッとした顔をした少し生意気でやんちゃな子だけど、今日は目尻を垂らしている。


 その理由は明白で、サクちゃんがいるからだ。もふもふした動物が大好きなショウマは、初めて会ったときからサクちゃんの虜だった。星影たちにも早く会いたいらしくて、明後日にはうちに来る約束をしている。



「サクラ、久しぶりだな」


「ショウマさん、お元気そうで何よりです」


「あの、さ。撫でて良いか?」


「はい、もちろん」



 ショウマはサクちゃんに確認を取ってからそのふわふわな耳を優しく撫で始めた。サクちゃんも気持ちよさそうに目を細めていて、二人とも幸せそうで安心した。


 サクちゃんは人に触られると、たまに研究所で受けた実験のことをフラッシュバックしてしまうことがある。僕たち世話係はなんとなく触れてきそうか分かるから大丈夫だと言ってくれたけれど、他の人、特に男性にはできるだけ先に言って欲しいと思っていると教えてくれた。


 サクラもその明確な理由は分からないらしい。けれど研究所にいたときにお世話をしてくれた女性がいたこと、実験はお父さんがやっていたことを聞いて、僕なりに仮説を立てた。


 女性に触れられたときはきっとそのお世話をしてくれていた女性のことを思い出す。けれど男性に触れられると突発的に父親のことを思い出すのではないか、と。


 この仮説は世話係の中だけで共有しているだけだ。けれど村人たちにはサクちゃんに触れるときの注意として事前に伝えたり、分かりやすくルーティーンのような行動や言葉を使うようにと琥珀が御触れを出した。


 分かりやすい例はキヌさんのオーバーな腕の広げ方。まあ、それでも最初は固まってしまったけれど。


 他の人たちは今のショウマのように先に伝えてから慎重に触れようとしてくれる。だからサクちゃんも安心して撫でられていられるらしい。



「ねえ、そういえばさ、星影さんたちへのお土産って普通にちーゆるで良い?」



 サクちゃんにありがとう、と言って名残惜しそうに手を離したショウマは僕にいつもの気だるげなムスッとした顔を向けてきた。もふもふしていないと途端にこれだ。



「ありがとう。でも、そんなに気を遣わなくても良いよ?」


「うん、だから助くんたちにはお土産ないから。サクラと星影さんたちにだけ」


「お前な。まあ、良いけど」



 こんなことを言っておいて、根は真面目なやつだから結局気を遣って何か持ってくることは分かっている。本当に気を遣わなくて良いんだけどな。



「じゃあ、そろそろ行くね。まだお使いが残ってるから」


「うん、またね」



 ショウマのムスッとした顔を見て表情に影を落としていたリョウマくんは、声を掛けるとすぐに営業用の穏やかな笑みを浮かべた。サクちゃんは二人を見比べて微笑ましそうに笑みを浮かべると、そのまま二人に手を振って僕より先にお店を出た。



「さ、助さん、次はどこに行きますか?」



 リョウマくんとショウマのことを聞こうと思ったのに、サクちゃんはそれを遮るように僕の手を取った。サクちゃんの笑顔を見ていると無理に聞き出してはいけない気がして、もやもやを残したまま言葉を飲み込んだ。



「次はここ!」



 万田文具店の隣、甘い香りが漂う花屋【CloveR】を指し示した。



「シー、ラブ、アール、ですか?」


「ううん、クローバーって読むの。花の香りのクロトくんのお店だよ」



 店主の白金黒斗くんは村の外から来てくれた。琥珀の大学の同級生だったクロトくんは、実家が大手花屋チェーン【Flour Angel】という御曹司だ。けれど実家の経営方針とやりたいことが合わなかった。


 そこで家の方針で完全に一人で生きることを強制される大学時代を利用した。その間に授業の傍らギリギリまでバイトを詰め込んで、さらに生活を切り詰めてお金を貯めた。そして大学卒業とともに家を出て、そのお金を元手に開業を試みた。


 そのときに場所の提案をしたのが琥珀だった。ちょうど吉津音村は人口減少が喫緊の課題だったから快く受け入れられた。目一杯の補助を受けて開業したこの店は、今では村人たちの生活に色を添える無くてはならない場所になった。


 僕も今日みたいに花や野菜の種を買いによく来させてもらっている。けれどあまりにきれいな花を見ると、ついつい切り花や鉢植えも買いたくなってしまう。衝動買いして御空に呆れられるのはいつものことだ。



「今日は花壇に植える球根を買おうと思うんだけど。もし僕が切り花を買いそうになったら止めてよね?」


「御空さんに怒られてしまいますからね」



 いたずらっ子のように笑うサクラと笑い合う。店頭に並べられた鉢植えに既に心を惹かれながら店内に足を踏み入れようとした瞬間、ドンッと何かにぶつかる衝撃が走った。


 急なことだったけれど身体がグラつくこともなく。ぶつかって来たその人を腕の中に抱き留めた。クロトくんよりも小柄だけど、クロトくんと同じ甘い香りが鼻腔を擽る。



「い、たたた……あ、す、すみません!」



 パーマのかかった黒髪を揺らしながら慌てた様子で僕から離れたのは、どこかクロトくんに似た女の子だった。


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