第63話 眼鏡と黄金の見つめ合い


 何かあったかと思って顔を上げると、キヌさんは嬉しそうに顔を綻ばせていた。



「実はね、マイが帰って来るんだよ」


「え、そうなんですか?」



 村の外で就職したと聞いていたから帰って来ないものだと思っていた。嬉しいけれど、何かあったのかもしれないと不安にもなる。だけどキヌさんが嬉しそうだから深刻なことはなさそうかな。



「あの、マイさんって?」



 服の袖をクイクイと引かれてサクちゃんに聞かれる。自然な上目遣いに心臓が止まりそうになるのを何とか耐えた。あぁ、可愛い。



「マイさんはキヌさんとワタルさんの娘さんだよ。御空の一つ上の学年で、よく一緒に図書館で本を読んだり絵を描いたりしていたな」



 蜂須賀真衣さんは僕にとっては姉のような人だ。よく一緒に遊んでもらっていたし、村を出て専門学校に進学すると聞いたときはもう高校生だったけれどやっぱり寂しかった。



「そうなのですね。キヌさん、ワタルさん、良かったですね」


「ええ。ありがとう」



 キヌさんは心の底から嬉しそうにサクちゃんに笑いかけると、袋に入れてくれたコートを迷わず僕に手渡した。合ってるけれど、少し悩んでも良いじゃない。なんて思うけれど、キヌさんの笑顔を見たらどうでもよくなった。


 マイさんが村を出ると決めたとき、キヌさんは夢のデザイナーになるためなんだからと笑顔で送り出した。けれどやっぱり内心では寂しく思っていたのだろう。



「帰ってきたらおかえりパーティーでもしましょうか」


「ありがとう。うちじゃ狭いから、お社でやっても良いかい?」


「もちろん。お社はみんなが集まれる場所ですから。ね、サクちゃん」


「はい。ボクもマイさんに早く会いたいです」



 サクちゃんはニコリと笑ってしっぽを振る。本当に楽しみにしてくれていることが分かって自分のことのように嬉しくなった。キヌさんにハグされて微笑むサクちゃんは耳を垂らして、またしっぽをフリフリしている。


 サクちゃんは感情を表情に出さないことが御空くらい得意だ。だけどしっぽや耳には感情が素直に表れる。それがあるからこそ、サクちゃんの正直な気持ちが分かって安心する。


 人間を恨んでもおかしくないような環境で育ってきたにも関わらず、こうして会ったこともない人へも愛を持って接してくれる。そんなサクちゃんが無理をしないで、これ以上嫌な思いをしないで生きていけるように守っていきたい。



「キヌさん、ワタルさん、また来ます」


「うん、またね」


「僕たちもお社に伺いますね」



 二人に見送られて【シルクロード】を出ると、次の目的地に向かう。



「この隣が猫田桜太郎さんがやっている床屋さんの【Bar Bar Cat Man】だよ。その向かいが百田さんの【百田食堂】ね。今度琥珀に連れて来てもらおうね。で、その横が糸場さん夫婦がやってる酒屋の【糸場の酒場】です」


「【糸場の酒場】って言いやすいですね」


「ゴロが良いよね。で、次の目的地はその向かいのここ。【万田文具店】だよ」



 【万田文具店】は今は万田涼真くんが店主を務めている、古くからこの村にある文具店だ。元々はリョウマくんの祖母にあたる万田タマ子さんと娘の真依子さんで経営していたお店だった。けれどマイコさんが若くして亡くなってからタマコさんが一人で店を切り盛りしていた。


 それを一昨年、大学を卒業したばかりのリョウマくんが店を引き継いだ。リョウマくんはマイさんと同い年。この店の店主を務める傍ら、小説家としても活動している。村の広報誌に連載小説を寄稿してくれているのもリョウマくんだ。



「来たよ」


「いらっしゃい。助、久しぶりだね。それから、サクラちゃんも。いらっしゃい」


「お邪魔します」



 いつもの着流しに眼鏡を掛けた姿でニコリと微笑んだリョウマくんにサクちゃんも微笑み返すと、右目を光らせてリョウマくんを観察し始めた。何かあるのかと思ったけれどすぐに終わったから、単にサクちゃんが警戒しているだけだと分かった。


 リョウマくんは職業病なのか、温和そうなオーラを纏いながらも眼鏡の奥で目の前の人の機微や癖に目を光らせている。それは万引き対策としても有効で、たまに村の外から来た人が老若男女問わず首根っこ掴まれて警察に突き出されている姿を見る。


 けれどそれがサクちゃんには少し苦手なのかもしれない。まだ会うのも二回目だし、少しずつ慣れていってくれれば良いけれど。



「すっかりクリスマスカラーだね」


「そろそろね。月末にはクリスマスプレゼントに文房具を買ってくれる人も増えるし、年末年始のポチ袋の購入とかもあるし。うちも書き入れ時だよ」


「それもそっか」



 村におもちゃ屋さんはないし、今話題のおもちゃをサンタさんにねだる子どもは少ない。サッカーボールとかおままごとセットをねだる子がいても、何年かに一回みんなと遊ぶために使うものを欲しがる子がいるくらい。


 大抵のものは共有して遊ぶし、石や草花、廃品を加工して遊んだり山の中を駆け回ったりする方が好きな子の方が多い。大抵はちょっと良い文房具だったり洋服を欲しがるから、ここと【シルクロード】にとっては最大規模の書き入れ時だ。



「それで、今日は何を?」


「万年筆のインクが切れちゃったからそれと、あとはホワイトボード用のペンが書けなくなっちゃってさ」


「いつものだったら水性だよね。エタノールにつけたりはしてみたかな?」


「したした。だからいつもよりは長持ちしたよ。流石の知識量だよね」


「これでも一応店主だからね。そうだ、この時期だけどポチ袋はまだ良いのかな?」



 世話係のみんなで色守稲荷に参拝に来てくれた村の子どもたち一人一人にお年玉をあげる恒例行事がある。そのためのポチ袋は毎年ここで買わせてもらっている。



「そろそろ買っちゃおうかな。あとで琥珀にお金もらお」


「助のが琥珀くんより全然稼いでるでしょ」


「まあね」


「ま、あの琥珀くんなら喜んで出してくれるかな」



 僕が棚から持ってきたインクとペンと一緒に、レジ横にあったキツネ柄のポチ袋を人数分お会計してもらう。お財布を漁っていると、隣でサクちゃんの耳がピクピクと動いた。



「今、奥に誰かいますか?」


「ああ、今日はショウマがバックヤードにいるんだよ。学校が創立記念日だから今日は休みなんだけど、ばあちゃんが大掃除してるから家の方から追い出されて。せっかくサクラちゃんが来てくれてるし、呼んでくるね。会ってやってよ」



 お会計だけサクッと済ませたリョウマくんは、着流しの下の草履をパタパタと鳴らしながらのんびりとバックヤードを覗いた。


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