第59話 御空色のゼリー


 社に着くと、サクラはしっぽをパタパタと振りながら縁側に放置されていたほうきを手に取って物置にしまった。それから社の入り口をガラガラと開けて中に入ると、俺を手招きして中に導いてくれた。


 素直について行くとサクラは俺に座布団に座るように促した。俺がそこに座るとまたパタパタとしっぽを振りながらキッチンに向かった。


 五つ数えながら流しでやかんに水を汲むとお湯を沸かし始めた。水切り台に置いてあったサクラ用にと最近助が買ってきたネコ柄の湯呑と、食器棚に置いてあった俺用のテディベアが描かれたファンシーな湯呑。


 二つの湯呑にお茶の粉が慎重に入れられて、お湯が沸くまでの間に冷蔵庫から何やら小さな空色と深緑色のカップをそれぞれ一つずつ取り出した。それを丸いお盆の上に乗せると、ちょうどお湯が沸いた。



「そーっと、そーっと」



 自分に言い聞かせるように声をかけながらお湯をゆっくりと湯呑に注ぐ。それもお盆の上に乗せると、しっぽをピンッと張ったままそろそろとこちらに歩いてきた。


 途中で手を貸してしまっても嫌かと思っておとなしく座って見ていたけれど、内心はそわそわしっぱなしだ。しっぽはカチコチだから踏んでしまうことはないだろうけど、不安なものは不安だ。


 真剣な表情のまま机まで到着したサクラは、お盆をコトリと置くとぱぁっと表情が明るくなった。



「どうぞ!」


「ありがとうございます」



 お盆から降ろしてくれた湯呑を受け取る。一緒に乗せられていたカップは一口サイズの馴染み深いゼリーだった。



「御空さん、どっちが良いですか?」



 空色と深緑色。言い換えれば御空色と常盤色とも言えそうな色。どちらも大切な俺の名前の色だ。



「うーん、こっちにします」



 父親が名付けてくれた名前と同じ御空色のカップを選ぶと、サクラはニヒッと笑って常盤色のカップを手に取った。



「これ、今日サクラコさんが持ってきてくださったんです」


「サクラコさんが?」



 十日市桜子さんは吉津音村の中学三年生の一人、メイサのお母さんだ。その夫のハッサクさんは村唯一の八百屋『十日市』を営んでいて、実家も村唯一の床屋『BarBar Cat Man』だ。本人は主婦をしながらその両方の経理を担当している。



「はい。『十日市』で取引をしている方がたくさんくださったそうで、おすそ分けにといただきました。あとで持ち帰ってみんなで食べようと思っていたんですけど、慌てていたので忘れてしまって。あ、先に味見しちゃうのは琥珀さんたちには内緒ですからね?」



 口の端をくるんと持ち上げていたずらっぽく笑ったサクラは、いそいそとカップの蓋を剥がした。カップをさかさまにしてパクッと一口で食べてしまうと、驚いた様子で耳がピンッと伸ばして目をぱちくりさせた。



「あ、甘くて美味しいです!」


「初めて食べたの?」


「はい! あ、ゼリーは食べたことありますよ? お父さんがよく作ってくれたんです。でもお父さんのゼリーはなんだか苦くて。あまり好きではありませんでした」


「それって、黒っぽい色だった?」


「いえ、透明でした。研究室で作っていたみたいだったので砂糖がなかったんだと思いますよ」



 サクラは苦笑いすると、空になったカップを覗き込んだり匂いを嗅いだりし始めた。可愛らしいけど、どこか悲しさを感じる。とりあえず研究室で作られた透明な苦いゼリーという恐怖しか感じられないものについてはあとでみんなにも伝えておこう。



「それで、御空さんはトモアキくんたちに何ができるかって考えているんですよね?」


「え?」



 ふっと顔を上げたサクラが急に、サラッと聞いてきたから一瞬聞き間違えかと思ってしまった。例えて言うなら、ボーッと歩いているところに後ろから明日の予定を言われたような気分。



「さっき、御空さんの中で小箱のようなものがガタガタと揺れているのが見えたんです」



 お稲荷様の眷属でその力も授かっているのに、それをあまり使わないようにしている。それでも俺の中にあるものを見たということは、それだけ俺の様子がおかしかったということで、同時に心配をかけてしまったということだ。



「すみません。心配をかけてしまって」


「ん? それは、良いことですよ? 今まで周りを気にしていた御空さんが誰かに頼れるようになることは、強くなる上で必要なことですから」


「強く?」



 サクラの言葉の意味が分からなくて首を傾げる。人に心配をかける人間のどこが強いというのだろう。



「周りを助け、自分も助けられる。それは自らの弱さを知っている人が周りにいるということの現れです。一人に全てを曝け出すのではなくても、何人かにそれぞれ違う弱い部分を知っていてもらえれば、助けを求める先が増えます。ボクは自分の限界を知って適切に助けを求められることが強さだと思います。まあ、ただの受け売りですけど」



 自分のことは自分でやって、他人のために動ける人間こそ強い人間。俺はそう思ってきた。それなのに真っ向からその考え方がずべてじゃないことを突きつけられて、戸惑いが隠せない。


 だけど裏腹に、恥ずかしそうに頬を搔きながら笑うサクラの言葉が心をゆっくりと静めていく。


 もしかすると、そう言ってもらえることを心のどこかで願っていたのかもしれない。


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