第55話 花丸餅


 子ネコたちを脇に抱き込んだままふわっと大きなあくびをする星影。スマホで音を立てないようにカメラを向けている春川さんの目が心なしかハートになっているように思う。



「白ネコさんと黒白ネコさんはメスだそうですよ」


「そうか。二匹の名前はどうするんだ?」


「えっと、白ネコさんはモチモチした雪ということでモチユキとかどうかなって」


「お餅の雪ですか?」


「はい!」



 御空に聞き返されて頷くサクラ。驚いて反応が遅れかけたけれど、良い名前だ。



「良いと思うぞ。それにしても、餅雪なんて言葉、よく知っていたな」


「え、本当にあるんですか?」



 サクラは口をぽかんと開けて、目も見開いた顔で私の方を見る。聞かなくても分かる。自分で作ったと思った言葉が実在しただけだったんだな。



「雪がモチモチしているなんて思ったことなかったですから、そんな言葉があると思いませんでした。なんだか語感も良かったですし、それっぽいかなと思っただけなんですよ」



 サクラは耳をぴくぴくと動かしながらしっぽをゆらゆら揺らす。口元もニヤニヤと動いていて、喜んでいることが分かる。自分の手柄にならなくて残念がるわけでもなく、単純に私に褒められたことに喜んでいる姿は愛らしい。



「じゃあ、白ネコさんは餅雪ちゃんとして、白黒ネコさんはどうしますか?」


「花丸です」



 サクラは初めてきっぱりと言い切った。もう迷いはないらしい。



「背中のお花が決め手か?」


「はい! 研究所にいたとき、お勉強を頑張ったらお世話してくれていたお姉さんがいつも花丸を描いてくれたんです。それがすごく嬉しかったから」



 サクラは懐かしむように目を細めた。その表情は悲しみも孕んでいて、申し訳なくなる。琥珀と私を中心に研究所の情報を集めているのだが、まだ有力な情報はない。近くの山が多すぎて調べるのにも時間が掛かる。



「じゃあ、星影の子どもたちは黒ネコの風月と白ネコの餅雪。白黒ネコの花丸ですね?」


「はい!」


「助六が首輪に名前の刻印を入れたいと言っていたので、助六に連絡して注文しておいてもらいましょう」


「あいつ、いろいろ調べてるんだな」



 私とは正反対の情報ツウな助六が、最近夜遅くまで起きていることが多いことには気が付いていた。仕事か勉強のために遅くまで起きていることもあるからあまり気にしていなかったけれど、ネコたちのことをいろいろ調べてくれていたんだな。朝も早起きして畑の世話をして、昼間も仕事。そろそろ体調を崩してしまわないか心配だな。



「じゃあ、俺たちは仕事に戻るな。ちょっと時間もらって来てるから」


「サクラさん、みなさん、お邪魔しました。また来ますね」



 ひとしきり子ネコたちを堪能した琥珀と春川さんがサクラとネコたちに手を振って玄関に向かう背中を追いかける。



「仕事中にありがとうな。役場のみなさんにもよろしくな」


「ああ。千歳、あいつらのこと頼む」


「分かってる。任せろ」



 私の返事に琥珀はフッと笑った。私もなんだか気恥ずかしくて笑えてくる。大抵のことはアイコンタクトと空気感で済ませてしまう私たちがわざわざ言葉にして伝えることなんて普段はないからな。



「千歳さん、子ネコたちは二か月後くらいに動物病院に連れていって欲しいって前に伝えたと思うんですけど、もしも一か月を過ぎても青い目の子がいたり、鳴き声に違和感がある子がいたりしたら星影ちゃんを連れていくときに一緒につれていきましょう。私も同行しますから」


「助かる。いつもありがとうな」


「いえいえ。ネコさん好きなので」


「そうか。さ、いってらっしゃい」



 ふわりと微笑む春川さんを見つめる琥珀の目が複雑そうで、少し不自然かとも思ったけれどさっさと送り出す。琥珀の気持ちは分かりやすいけれど、春川さんは誰にでも優しい人だから分からない。


 リビングに戻ると、サクラが大窓から琥珀と春川さんに手を振って見送っていた。車の陰が去ってソファに戻ったサクラの元に、何故か星影が子ネコたちの首根っこを咥えて一匹ずつ連れてくる。


 何をしているのかと思ったら、サクラのふわふわのしっぽに子ネコたちを集めているらしい。子ネコたちもサクラのしっぽに身を委ねて気持ちよさそうだ。


 お風呂に入らせておいて良かった。



「う、動けません……」



 幸せそうにわなわな震えているサクラを見てクスクスと笑った御空はキッチンに立った。紅茶かなと思ったけれど、いつもの紅茶缶ではない缶を取り出した。楽しみに待っていよう。


 サクラがネコたちを愛おしそうに見つめる姿やサクラと星影が見つめ合う姿をカメラに収める。記録にもなるしこの姿を伝える術にもなるし。必要不可欠だ。


 ひとしきり写真を撮り終えてカメラを置く。カメラを持ってないと手持ち無沙汰で、すやすや眠る花丸の背中をそっと撫でた。



「サクラ」


「はい?」


「琥珀と春川さんって、どう思う?」



 ちょっとずるいかとも思うけれど、別の視点からの意見が欲しい。この家でおそらく唯一恋人ができそうなのが琥珀で、琥珀にとって初めての恋。どうにか実って欲しいと思ってしまう。



「そうですね。ふふっ、静かに見守っていてあげれば良いと思いますよ。今のところは琥珀さん次第です。春川さんがあんなに頑張っているのに、心配になることはないですよ」


「ということは?」


「さあ? どうでしょうか?」



 ニコッと笑うサクラ。明言はしないまでも、私が安心できる言葉を選んでくれたのだろう。ホッと肩の力が抜けた。



「千歳さんは、好きな人とかいないんですか?」


「好きな人か。今はいないな。昔はいたんだが、遠いところに行ってしまった」


「今はもう憧れに代わっているんですね」


「ああ。だから、しばらく恋はしていないな」



 私の憧れの人。色守家の跡取りになるはずだった彼女は十一も歳上で、優しくて正義感に溢れる誰からも愛される人だった。けれど彼女は、私がが中学生のときにいなくなってしまった。村中の人たちが彼女の居場所を探したのに、全く情報がなくて捜索も断念された。


 あれからもう十六年も経ったんだ。



「この家にはピンクの花が一輪しか咲いていないですけど、村中を見ればたくさん咲いていて蔓を伸ばしているんですよ。千歳さんも、蕾を持っていますよ?」



 ふわりと笑うサクラはこの家に来たばかりのころとはまるで違う。けれど、私の憧れの人の笑い方に似ているような気がして懐かしくなった。



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作者諸事情により次回更新は8月2日です。





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