第54話 月夜の風


 星影のご飯を用意し終わったころ、匂いで察知したのか星影がのそりと身体を起こした。こっちに来ようとした星影が白ネコのしっぽを踏みかけたのが見えて慌てて

星影を抱き上げた。



「あっぶない。星影、気をつけろよ?」


「ナァ?」



 全く気にしていない様子で首を傾げた星影。まあ、子ども産みたてで疲れているんだろう。


 星影用のお皿の前に下ろしてやると、星影はがっつくように食べ始めた。けれど、ふと顔を上げると私に向かって不満そうに一鳴きした。まるで不味い、と言われているようだ。


 確かに今日のご飯はレトルトのパックを温めただけ。食べたいだけ食べられるように二パック分出したけれど、それ以外は何の趣向も凝らしていない。普段用意してくれる御空と助六のご飯と比べてしまうと不服なのかもしれないけれど。



「それは私ではなく企業への不服になってるぞ」


「ナ?」



 また食べ始めた星影の背中を撫でる。キョトンとして顔を上げた星影の口周りについているささみらしき破片を摘まみ取る。鼻先にも白濁色の汁がついてしまっているのがちょっと間抜けで可愛らしい。



「お風呂あがりました。あ、星影ご飯タイムだ」


「千歳、ご飯ありがとうございます。二パック出してもらえましたか?」


「ああ。御空たちのご飯の方が好きみたいで不服そうではあったけどな」


「嬉しいですけど、しばらくは我慢ですね。産後はきちんと栄養を取らないといけませんから」



 授乳期間の確実な栄養補給ということを考えると、春川さんおすすめの栄養満点ご飯を食べておいた方が良い。御空たちのご飯も栄養価を考えてくれているけれど、それは対人間用のご飯の話だ。ネコ用では不確実だと言うからみんなで話し合ってそう決めた。


 とはいえストレスを与えてもいけないから、一日に一回は星影に喜んでもらおうと御空と助六が特製プレートを作ってくれることになっている。今日から夕飯は好きなご飯を食べさせてあげられるから我慢して欲しい。


 天然由来のご飯、すなわち昆虫や小動物を食べて生きてきた個体であることは心配の種だった。けれど星影はすぐにこっちのご飯の虜になってくれた。特にサクラは毎日狩りに行けないこともないけど、と真剣に考えてくれていた分余計にホッとしたと思う。



「琥珀さんが帰って来ましたよ」



 サクラがピンッと耳を立ててそんなことを言う。次の瞬間、本当に琥珀の車が庭に入ってきたのを見て感心する。星影も車の音に気が付いたのか顔を上げたけれど、そろっとサクラに甘えにいった。琥珀への扱いが多少雑なんだよな。



「ただいま」


「こんにちは」



 静かに入って来てくれた琥珀の後ろから春川さんもそろりと入って来た。二人は抜き足差し足リビングの中心、ソファの近くに置いた段ボール箱を覗き込むとパッと口を抑えた。



「かっわいい!」



 春川さんの言葉に同意するようにコクコクと頷く琥珀。あっという間に子ネコに夢中になった二人を横目に捉えると、星影はサクラの元を離れて子ネコたちの元に戻って行った。心配なのだろうか。



「千歳さん、さっき持ってきたのってこれですか?」



 後ろから声を掛けられて振り向くと、サクラが私の写真集を手に立っていた。確かにさっき私が持ってきた写真集だから頷いてそれを受け取った。見せたかったのは冊子の中央あたり。



「これを見せたくて」


「わぁ、青い……」



 サクラの端的で一番的確な感想に笑みが零れる。


 三年前に出版したこの写真集のテーマは月。吉津音村から見える月を写真に収めて、ほとんどはカレンダーのように並べ立てた単調なものだ。間に何枚か貴重な写真も混ぜたのが好評だったらしくて、私の写真集の中ではかなり売れた作品だ。


 その一つで、今サクラに見せたのがブルームーン。それも、季節的な意味ではなくて本当に青く輝いているときのものを載せた。他にも赤い月を載せたから、それもサクラに見せてやる。



「月は黄色だけじゃないって、こういうことなんですね」


「ああ」


「よし、じゃあ、黒ネコさんは月にちなみましょう」



 決心がついた瞬間にもうそっちに意識が持って行かれたサクラは、目をキラキラと輝かせながらまだ眠っている子ネコたちの方にそろそろと近づいて行った。



「千歳、俺も見て良いですか?」


「ん? ああ、良いぞ」



 御空はワクワクしている様子でページを捲っていく。自分で買って同じもの持っているはずなのに、もう一度見てもこんなに楽しそうにできるってすごいよな。



「子ネコ、月にちなむってどうなるんだろうな」


「そうですね。他の子たちも月にするんですかね?」


「さあ。でも、初めて見たときに白ネコは新雪みたいだって言ってたな。白黒ネコは花が咲いてるんだと」


「サクラの感性は可愛らしいですね」



 ふふっと笑った御空は写真集から視線を上げると、サクラを見て目を細めた。それに気が付いたかのようにパッとこちらを振り向いたサクラは、パタパタと私たちの元に駆け寄って来る。



「あの、風と月を同時に表すことができる言葉ってないですか?」


「風?」


「はい! 黒ネコさんの毛がこすれる音が風の音に似ているんです。だからそれにちなみたくて」



 また面白いところに気が付いたサクラに、御空は肩を震わせて静かに笑っている。



「そうだな。そのまま風月とかどうだ?」


「フウゲツ、ですか?」


「心地良い風と美しい月を意味する言葉だ」


「風月」



 私の言葉を真剣な目で聞いたサクラは、噛みしめるようにもう一度反芻するとコクコクと何度も頷いた。



「風月くん。良いですね!」


「あれ、オスなのか?」


「はい、さっき春川さんがそう言ってました」



 さすがに詳しい人間は確認することが違う。性別なんて全く気にしていなかった。あとで性別ごとに気を付けなければいけないことも春川さんに聞いておこう。



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