第47話 古い確執


 廊下から布が擦れる音が微かに聞こえたけれど、マナトさんが少し落ち着いている今は気にしない方が良いかな。



「マナトさんがお話したいことは、僕を見つけてくださった日に朝早く出かけていたことに関係ありますか?」



 コクリ。



「お話しようと思ったのは、カズキさんとトシキさんに頼まれたからですか?」



 フルフル。



「不安になって、誰かを頼りたかったのですか?」



 コクリ。



「そうですか」



 小刻みに震えている身体。少しでも安心して欲しくて、ボクはマナトさんの隣に移動してその小さいながらに勇敢な肩を抱いた。



「マナトさんは強いですね。誰かを頼りたいと思っても、助けて欲しいと言うには勇気が必要です。マナトさんは、とても勇敢だと思います」



 そんなこともできないのか、どうしてそんなことになっているんだ。失敗したことやどうしようもないことに対して助けを求めるとき、最初にその状況になった理由を話さなければならない。失望されたくない、怒られたくない。それは怖くて、できることなら避けたいことだ。


 ボクだって、彩葉さんを失望させたくなくて言えないことがあった。結局彩葉さんは泣きじゃくるボクを宥めて助けてくれたけれど、それでも怖かった。



「……河原に、公園があるの」



 ぽそりと呟やかれた言葉を聞き洩らさないように耳を澄ましながら、思い出してみる。隣街まで行ったときに見かけた気がする。確か、ところどころ赤さが目立つグレーのサッカーゴールだけが置いてある公園があった。



「そこの茂みには、たくさんのネコさんが住んでいるんだ」


「ネコさんですか?」


「うん、最近はネコさんたちに赤ちゃんができたみたいなんだ。でも、お父さんネコが狩りに行ったまま帰って来なくて、お腹を空かせているの」


「だから、朝早くにご飯を上げていたのですか?」


「うん……ネコさん、知らない人が来るとびっくりしちゃうし、僕のおじいちゃんとカズマくんのひいおじいちゃんがネコさん嫌いだし……」



 ギュッと唇を噛んでいる口に触れて、できる限りそっと力を抜かせてあげる。



「自分で自分を傷つけてはいけませんよ。痛みを消すためにさらに強い痛みを与えるなんて、もっと痛くなるだけですから」


「だって……」



 だって、と繰り返しながらしゃくりあげてポロポロと涙を流すマナトさんを正面から抱きしめて、しっぽをその身体に巻き付けた。ボクは兄弟たちのふわふわのしっぽで包まれると、すごく安心できたから。



「ボクは自分の痛みに鈍いのです。だけど、誰かが痛い思いをしているのを見ると胸がすごく痛くなります。だからボクのために、自分を痛めつけないことを約束してください」



 背中に回された小さな手の温もりを感じているとマナトさんが頷いて、その髪がボクの頬を擽った。



 廊下から三つの足音と助さんの声が聞える。二つは聞き馴染みのない足音だけど、歩幅が小さいし子どもたちのうちの誰かだろう。状況的にはカズマさんとトシキさんかな。



「ありがとうございます。マナトさん、そのネコさんたちのこと、琥珀さんたちに相談してみましょう。力になってくれますから」


「いいの?」


「大丈夫ですよ。皆さん、とっても頼りになりますから」


「ありがとう!」



 パッと顔を上げたマナトさんの目には涙の痕が残っているけれど、表情は晴れやかで無邪気さが戻ってきていた。左目に映る紫の靄も、消えてはいないけれどすっかり薄まって、宝箱には実は鍵が掛かっていなかったのが見えた。マナトさんにとってネコさんたちは所有しているものではなくて、友人や兄弟のようなものなのだろう。



「さて、マナトさんのお話は聞き終わりました。お二人は何をお話したいのですか?」



 襖に向かって声を掛けると襖がすうっと開いた。千歳さんが見守る中、助さんに背中を押されて入ってきたカズマさんとトシキさんは決まりの悪そうな顔でボクの前に正座した。



「あの公園にネコさんが来たのは去年くらいのことで、僕たちも、前は様子を見ていただけだったんです」



 トシキさんがそう言うと、カズマさんは千歳さんと助さんの様子を気にしながら頷いた。怒られるのを覚悟しているみたいだけど、この二人は頭ごなしに怒るほど器量のない人たちではない。



「だけどネコさんがお母さんになってすぐにお父さんネコがいなくなっちゃって、ネコさんはお腹も大きいし自分じゃ狩りも難しいみたいでお腹を空かせていて。だから三人でお小遣いを出し合って猫缶を買ったり、畑から白菜とレタスを少し持ってきてあげていたりしました」


「白菜とレタスか。少しなら生であげても問題はなかったとは思うが、ネコに野菜はあまりあげない方がいいかもしれないな」


「そうなの?」



 助さんが聞き返すと、千歳さんは思い出すように少しの間目を閉じた。



「ああ、たしか身体のつくりの都合でな。野生なら肉食に近い雑食じゃなかったかな」


「千歳さんはネコさんと暮らしていたことがあるんですか?」



 やけに詳しいことに驚いていると、同じことを思ったらしいカズマさんが聞いてくれた。



「昔な。河原に捨てられてお腹を空かせていたやつを連れ帰ったんだ。けど、すぐに親にバレて爺さんたちに捨てられた。そのあと探しに行った山の中で、何かに襲われたのか身体の一部が無くなって、こときれているあいつを見つけたよ」



 この家にボク以外の獣の匂いがしないから昔のことだろうとは思ったけれど、そんな悲しいことがあったなんて。キツネを大切にしてきたはずの人たちが、どうして他の種族にはそんな仕打ちができるのだろう。



「爺さんたちが子どものころにこの村に来た眷属様はまだ子どもだったらしいんだ。でも、ネコのせいで亡くなったって聞いてる。だからあの世代の人のほとんどはネコが嫌いなんだよ」


「そんな……」



 ボクの疑問を感じ取ったのか助さんが教えてくれた。千歳さんは小さく頷くと目を伏せてゆっくりとボクの頭を撫でた。


 僕自身はネコさんに会ったことがないけれど、外から来た兄弟たちの中には仲が良かった子も会うたびに喧嘩をしていた子もいたからなんとなく話を聞いたことがある。キツネにもネコにも縄張りがあるから仲良くなれるかどうかは運次第らしいけど、キツネもネコもお互いを食べることはまずない。だったらもっと借りやすいネズミや昆虫を狩る方が怪我をしなくて済むから。



「千歳さん、河原のネコさんたちをお社で引き取れませんか?」



 ボクほどではないけれど狩りが苦手な子はネコと共闘していたと言っていたし、もしかしたら、ボクも仲良くなれるかもしれない。それなら、お社で一緒に過ごすこともできるかもしれない。川にも食べられそうな生き物はいたけれど、山の方が木の実も採れる。



「サクラとネコとの相性が合うなら、ここで引き取ることもできる。その方が私たちも安心だし、ネコと眷属様の仲が良いと知られればこれ以上この村で命を落とすネコが減るやもしれん」



 千歳さんはそう言い残すと部屋を出て行ってしまった。階段を下りて行って、琥珀さんに声を掛ける声が聞こえた。


 不安そうな顔をしているマナトくんたちの頭を順番に撫でながら笑いかけると、三人はまだ不安そうではあったけれど少し笑ってくれた。



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