第46話 靄


 歓迎会がお開きになると、子どもたちと何人かの大人たちが片付けを手伝ってくれた。そのおかげであっという間に片付けが終わってリビングがいつもの姿に戻ったことで、ボクはようやくホッと息を吐けた気がした。



「サクラさん」



 トントンと肩を叩かれて振り返ると帰ったはずの百田さん夫婦がにこやかに笑いながら立っていた。



「今持ってきたケーキとお料理を冷蔵庫に入れてもらってありますから、よろしければ後で食べてくださいね」


「ごめんね、用意してもらった料理は私たちがほとんど食べちゃって。御空や助の料理には敵わないかもしれないけどさ、気に入ったら今度うちのお店にも来なね!」


「はい、わざわざありがとうございます」



 ニコニコと笑うミツヨさんにバッシバシと背中を叩かれる。この村のお母さんたちはなかなかパワフルな人が多い。


 ミツヨさんは村唯一の食堂の店長兼シェフで、物腰の柔らかい旦那さんのカズキさんは【百田食堂】のパティシエ。歓迎会用の料理を用意しているときにハンバーグや餃子を焼いてくれていたコウキさんは2人の息子さんだと聞いた。


 百田さんからはさっき手書きの割引券をもらったからはっきりと覚えている。とはいえ食堂の場所も分からないしお金もないから、今度琥珀さんに頼んで連れて行ってもらおうと思っていた。



「割引券もありがとうございました」


「いいのいいの。私たちがサクラさんに来て欲しいんだから!」


「ミツヨも僕も、もちろん村のみんなも、サクラさんが来てくれて嬉しいんです。またこの村に活気が戻るんじゃないかって」


「商売は活気がないとやっていけないからさ! お稲荷様とサクラさんにあやかってんのさ!」



 こうも堂々と言われると嬉しくも恥ずかしい。またバッシバシと背中を叩かれていると、今度はカズキさんがやんわりとその手を止めてくれた。


 トモアキさんも言っていたけれど、みんな失われたかつての活気を取り戻したいと思っているみたいだ。ボクにできることがないか、琥珀さんたちに相談してみよう。



「では、僕たちもお社に顔を出させてもらいますね」


「はい、いつでもいらしてください」


「サクラさん、またね!」



 カズキさんがミツヨさんを引き摺るようにして去っていく。手を振って2人の姿が坂の下に消えるまで見送っていると、シャツの裾が後ろにくいくいと引かれる感覚がして振り返った。


 ボクの後ろ、思ったより低い位置からマナトくんはジッとボクを見つめてくる。その口はムッと引かれていて、目に薄っすら膜が浮かんでいる。さっき歓迎会の途中でマナトさんのご両親やおじいさん、おばあさんたちと一緒に話したときは、ずっと照れ笑いを浮かべながら身体をくねらせていて可愛らしかったけれど、今はそんな様子は全く見られない。


 とりあえずしゃがんでマナトくんと視線を合わせて、シャツを掴んでいた白くなってしまっている手を包み込むつもりで握った。



「マナトさん、どうしましたか?」



 じっとマナトさんが話すのを待っていると、マナトさんの後ろからいくつもの視線を感じる。そういえばまだ子どもたちは全員帰っていないし、琥珀さんたちも当然いる。この状況では話づらいのかもしれない。



「マナトさん、ボクの部屋に来ますか?」



 マナトさんは黙ったままだったけれど、コクリと小さく頷いた。ボクも頷き返して立ち上がると、マナトさんの背中を押して廊下に出るように促した。リビングを出る直前に琥珀さんに視線を送ると、琥珀さんはニッと笑ってくれた。



「みんなありがとうな、疲れたろ? 今日は帰ったらゆっくり休んでな」



 濃い青色のドアを開けて、グッと唇を噛みしめたまま歩くマナトさんをそっと中に誘導する。ドアをしっかり閉めると階段を上がる間は聞こえていた琥珀さんのよく通る声も一気に小さくなった。


 ボクの部屋には座布団を用意していないから敷布団を広げてその上に座ってもらう。向かい合うようにしてボクも座って膝を抱えてそこに顔を埋めているマナトさんの頭をゆっくり撫でた。


 二人きりになれば話してもらえるかと思ったけれど、マナトさんが口を開こうとする気配はない。ここに来るまでに話す勇気がなくなってしまったのかもしれない。それなら待ってあげたほうがいいだろうな。


 それまでにできることはないか考えていると、左目が疼いた。さっき感じた熱さとは違う、ノミがついたときみたいな痒さと疼き。我慢できなくて左目に力を入れると視界に黄金色が差して、マナトさんに紫色の靄がかかった。


 どうしてそう分かったのか理由は分からないけれど、お稲荷様から力を使うように言われているんだと分かった。素直にお稲荷様と繋がる左目から見えるものに集中すると、靄の向こうに何かあるのがぼんやりと見えた。だけどそれが何かまでは見えなくてジッと目を凝らす。徐々にその形がはっきりしてきて、薄っすら見えたのは箱だろうか。絵本の挿絵で見たような宝箱。


 宝箱にかかる靄。それが何を表しているのかは分からないけれど、話をしてこの靄を晴らしてあげるのがボクの仕事だ。


 けれど、今のままでは話してくれそうもない。つつかれたダンゴムシのように小さく丸まっているマナトさんと意思疎通をする方法。そんなものはないかと思ったけれど、マナトさんの髪の手触りから不意にボクの二百十六番目の兄弟、ツトムくんのことを思い出した。


 ツトムくんは身体が弱くて体調を崩すことが多かったから、彩葉さんとボクでよく具合の悪いところを聞きながら薬を飲ませていた。そういうときは彩葉さんに通訳する時間が惜しいから、キツネの言葉が分からない彩葉さんにも伝わるコミュニケーションの方法を使っていた。



「マナトさん、ボクの質問に、はいだったら首を縦に、いいえだったら横に振ってください。できますか?」



 マナトさんが頷いたのを見て、ボクはホッと息を吐いて座り直した。



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