第36話 お稲荷様の加護


 俺たちが手を畳について頭を下げ続けていると、お稲荷様がふふっと上品に笑う声が響いた。



「頭を上げなさい」



 ゆっくりと頭を上げてお稲荷様に向き直ると、楽しそうにニコリと笑ったお稲荷様はサクラから離れて俺たちの前に来て、俺たち一人一人の頭を順番に撫でた。その手つきに不思議と懐かしさを感じることに戸惑っていると、お稲荷様は満足そうに微笑んだ。



「直接お会いするのは皆さんが赤子のころぶりですわね。でもこの社にいる間は傍で様子を見させていただいていましたよ」



 昔会ったことがあると言われても記憶にはないけれど、懐かしく感じるのはそれが理由なのかもしれない。



「私もお会いさせていただいたのですか?」



 吉津音村出身ではない御空がおずおずと聞くと、俺たちの前に座布団を移動させて座ったお稲荷様は頷いて懐かしむように目を細めた。



「御空はこの村の出身ではありませんでしたが、やはり色守の血を引くものですから。ご両親が生まれたばかりのあなたを連れて来てくださったのです。常盤の世話係が断絶しかねないことを知っていた私は、そのときあなたがこの村に導かれるようにと私の加護を授けたのです。サクラほど明確なものではないですけれど、あなたをここに導き、あなたがここで過ごしていくには十分な力だったでしょう?」



 何の話か分からずに御空を見ると目を見開いていた。サクラに聞いた話だとお稲荷様の力は他者の感情を読み取ったり可視化する力だったはず。御空は周りをよく見ていて気がつく節はあるけど、それがお稲荷様の力だったと言うのだろうか。



「あれは、お稲荷様のお力だったのですか?」



 御空が震える声で聞くと、お稲荷様は慌てたように首を横に振った。



「違いますわ! だから泣かないでください」



 お稲荷様の親指が御空の頬を優しく撫でる。実際に涙が流れているわけでもないし、泣きそうな顔をしているわけでもない。それなのに御空が泣いてしまいそうだと分かるのはお稲荷様だからなのだろうか。



「私が御空に授けた加護の効果は人の気持ちが分かる能力を伸ばしやすくする恩恵ですわ。その力があっても努力がなくては決して力を伸ばすことはできませんの。だから今の御空が持っている力は御空が努力して得たものなんですわ」


「良かったです。お稲荷様の力をいただいているのに上手く使えていないのではないかと思いました」



 諭すような物言いにホッと息を吐いて身体の力が抜けた御空はいつものように穏やかに微笑む。そのとき、ふと向こうの端で千歳が不満そうに眉を顰めたのを視界に捉えた。俺がどうした、と首を軽く傾げるジェスチャーをすると首を横に振って何でもないと示してきたけど、拗ねるような顔つきはそのままだ。



「力を与えていたのなら、御空は今頃とっくに炎に焼かれて死んでいますわ。それと、御空が育てた力は人並外れていますわ。よく頑張りましたね」



 俺の母親とよく似た慈愛に満ちた笑みを浮かべて御空の頭を撫でたお稲荷様は、ふと助に視線を移すと思い出したとでもいうように手を叩いた。



「ふふっ、ごめんなさいね。そういえばそれについては説明していませんでしたわ。助六は本当に知識に貪欲なのですね。素敵ですわ」


「そんなことまで分かるのですね」



 助はお稲荷様にニコリと笑いかけられて照れ笑いを浮かべたけど、すぐに真面目な顔でお稲荷様に向き直った。千歳が何のことやら分からずにぽかんとしているのが見えて、自分も同じような顔になってしまっている気がして慌てて表情を引き締めた。



「では、改めまして。お稲荷様の力と恩恵の違いについて教えていただきたく」


「はい! 承知しました!」



 嬉しそうに笑ったお稲荷様は、コホン、と一つ軽い咳払いをした。



「まずはサクラに授けた力の方から話しますわね。力は私たち神々と契約を交わすことによって私たちの持つ能力をそのまま授けるものですの。ですが契約には条件が付きますから黙って授けることはできません」


「条件というと、行動範囲の規制や眼球を捧げることですか?」


「さすが千歳。正解ですわ。契約違反に対しても死の制裁がありますから、私たちとしても生半可な気持ちでは契約はできないんですわ」



 肩を竦めたお稲荷様はチラリとサクラに視線を送る。その眼差しは慈愛に満ちていて、お稲荷様はサクラだから契約の話を持ち掛けたんだろうと察することができた。



「次に恩恵についてですわね。恩恵は私たち神々が将来的にこうなって欲しいと望んだ者や必要があるものに対して秘密裏に与えるものですわ。私の力をそのままあげるわけではなくて、さっきも言った通り人の気持ちが分かる能力の成長率を上げるものですし、本人には加護を与えたことは知らされませんから、契約とは異なって対価を支払う必要がありません」


「だから御空はこの村の外でも恩恵を受けながら普通に生活ができていた、ということですか?」


「ええ。琥珀の言う通りですわ。私の能力の範囲外での生活で、御空が二度目にここを訪れたのも引っ越してきてからでしたからずっと心配をしていたのですが、想像以上に能力を開花させていてくれていたことは嬉しかったですわ」



 懐かしむように目を細めたお稲荷様は御空の頬に手を添えた。



「加護というものはその能力を伸ばそうと努力をしなかったものには何の恩恵も感じられない無駄なものになってしまいますから、適性のある者を見極める必要があるのですよ。つまり、その道の頂点に君臨する私が認めているのですから、御空はもっと自分を誇りなさい」


「はい。ありがとうございます」



 御空の頬に一筋の光が走るとお稲荷様と千歳は満足気に頷いた。


 お稲荷様も千歳も、御空が抱えてきたものを俺以上に理解しているんだと気が付かされて悔しくも思うけれど、世話係の任は俺だけではなく四人でやっているから成り立っているんだと改めて感謝もした。俺だけではどうしても一人一人の顔色を見ることができない。それをカバーしてくれる仲間がいるからこそ世話係として未熟ながらも毎日何とかやれているんだろうな。



「そういえば、サクラの生まれた場所について調べるのですよね?」


「はい。そう約束しました」


「今までは仮契約でしたからサクラの五感から感じられるものだけを共有していたのですけれど、完全に契約をした今であればサクラの記憶も少しならば見ることができます。やってみましょうか?」


「良いのですか?」



 思ってもみなかった提案に俺も含めて全員が前のめりになる。サクラの意識がない中で勝手に話を進めても良いものかは悩むところではあるが、サクラがこの村に来た経緯を聞いた限りでは急いで研究所を見つける必要がある。得られる情報は1つでも多く欲しいところだ。


 三人の視線が俺に集まって、最終決定を求められる。縋るような視線が物語る真剣な気持ちはサクラにも理解してもらえるだろうか。



「よろしくお願いいたします」



 総意とはいえ最終的に決めたのは俺だ。あとでサクラに説明するときには俺が責任を持とう。



「分かりました。少し待っていてください」



 俺の気持ちを読んだらしいお稲荷様は俺の頭を少し雑にくしゃりと撫でると、また立ち上がってサクラの傍に座り直した。お稲荷様の手がサクラの頭を何度か撫でていると次第にサクラの表情が喜怒哀楽、コロコロと変化するようになった。


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