第33話 ハジマリの朝

side山吹助六



 サクちゃんの決意から1週間の間、僕たちはサクちゃんに村の外の世界をたくさん見せに出かけた。サクちゃんは社のことを気にしていたけど、事情を知った村の人たちに背中を押されるようにして早々に1週間お休みすることになった。


 それに合わせるように琥珀は有給を取得して、僕と御空と千歳はどうしても動かせない仕事以外を調整して1週間のほとんどをサクちゃんのための時間にした。サクちゃんは申し訳なさそうにしていたけど、お店や観光地に着くたびに目を輝かせてくれた。それだけで僕たちがかける苦労と比べたらおつりが出るくらいの喜びを感じた。


 けれど、そんな楽しい日々はあっという間に去ってしまった。


 今日はサクちゃんが社に登るときには僕たちもついて行って、お稲荷様にお目見えすることになっている。もうあとには引けなくなる、そう思うと勝手に涙が溢れて来てどうしようもない。


 いつもなら自分で起きて朝一番に畑の様子を見に行くけど、今日は部屋から出たくない。朝の日課をしてしまったら、今日が始まってしまう。サクちゃんは覚悟を決めているのに、僕の覚悟は一向に決まりそうになかった。



「あのとき、覚悟したつもりだったんだけどな」



 サクちゃんがお稲荷様との契約について話してくれたあの夜、僕の中には確かにサクちゃんを支えるんだっていう覚悟があった。だけど村の外の世界を見て目を輝かせるサクちゃんを見てしまったら、あの輝きを二度と見られなくなる恐怖が膨らんできて自分ではどう処理したらいいのか見当もつかなかい。


 布団に寝転んだまま窓を見上げると、空がどんどん青くなってしまう。水やりのピークタイムはとっくに過ぎてしまった。ため息を吐いても戻ることなく流れていく雲が憎たらしい。



「助さん? 入りますよ?」



 サクちゃんの声が聞こえて慌てて身体を起こすと、ゆっくりと襖が開いてサクちゃんが顔を覗かせた。目が合うと、眉を下げたサクちゃんが僕に駆け寄ってきた。



「助さん、どこか痛いですか?」


「え?」


「御空さんが助さんがこの時間に起きてこないのはおかしいと言っていたんです。それに、助さん、泣きそうな顔してます」



 ひんやりしたサクちゃんの手がぴとっと僕の頬に触れると、嬉しいような悲しいような気持ちになる。視線が合わせられない。



「それは、お稲荷様の能力?」



 嫌な言い方をしてしまったと言ってしまってから気が付いた。そっとサクちゃんを見上げると、サクちゃんは耳をピンッと立てながら、取れそうな勢いで首を横に振った。



「今は、助さんを見てそう思っただけです!」


「それができるなら、お稲荷様の力をお借りしなくても……」



 慌てて口を押えたけれど、つい口をついて出てしまった言葉は取り消せない。俯くサクちゃんの耳もしっぽも垂れてしまっているのを見て後悔の念が押し寄せてくる。


 サクちゃんだって怖いはずだ。いくらこの村が好きだと思ったとしても、今日お稲荷様にお返事をしてしまったら二度と実家には帰ることができなくなる。僕たちからすればサクちゃんに辛い思いをさせる人がいるところに帰らせたくないと思ってしまうけど、どんな人でもサクちゃんにとっては大切な家族だ。



「ボクは、ボクを大切にしてくれる人たちを大切にしたいんです」



 窓の外に見える社がある山をぼんやりと眺めながら口を開いたサクちゃんの声に耳を傾ける。凪のような穏やかな口調には変わらない覚悟が感じられる。



「父さんはボクを研究対象として重宝はしてくれましたけど、家族らしいことをしたのはたまに一緒にご飯を食べるくらいでした。それでもボクにとっては唯一の肉親だから大切に思っています。でも、ボクたちのお世話をしてくれていた人がいて、その人の方が父さんよりも大切な存在だと思っていることはここに来てから実感しているんです。父さんのことより、その人のことと兄弟のことばかり思い出しています」



 研究所には楽しい思い出もあるだろうし、今みたいにお世話をしていた人や同じ場所で育っていたらしいほかのキツネ様たちのことを話すときには幸せそうな、心配そうな顔を見せる。サクちゃんからそんな大切なものを奪ってしまって良いのだろうか。



「つまりですよ? 大切な人は血のつながりだけじゃなくて、気持ちなんだと思うんです。だからボクは、ボクを大切にしてくれるこの村の人たちのことを大切に思っていますし、力になりたいんです。この家の人たちは顔を見てなんとなく考えていることが分かることもありますけど、この村の人たちの力になりたいと思ったときにはお稲荷様の力が必要なんです」



 はっきり言い切ったサクちゃんの手はきつく握りしめられている。ここまで考えてくれている子に、僕ができることは何があるんだろう。



「研究所に残っている兄弟たちとお世話をしてくれていた人が今どうなっているか分からないし、父さんや追ってきていた人たちがボクを探しているのかも分かりません。会いたいけど、研究所がどこにあるのかも分かりません。だから今は、ここでできる限りのことをしたいです」



 サクちゃんの目から零れた涙が白い肌がもっと白くなるほど握りしめられた拳を濡らす。その拳を手のひらで包み込むように握って、その細い肩を抱き寄せた。



「研究所は僕が必ず見つける。大切な人にも会わせてあげられるように頑張るから」


「本当、ですか?」


「うん。それぐらい、ううん。それ以上のものをサクちゃんは僕たちにくれようとしているんだよ。だから恩返しっていうわけじゃないけど、できる限りのものを返してあげたい。それに、サクちゃんの大切な人たちに僕も会ってみたいから」



 腕の中に感じる温もりが震えながら何度も頷く。その頭を撫でながら顔を上げると、開いていた襖の隙間から御空と千歳が見えた。千歳は僕と目が合うと深く頷いて奥に消えていった。御空も部屋の前を離れていったのが見えたと思ったら、斜向かいの部屋からドンッときっと琥珀が布団を取り返そうとして勢いよく床と友達になったのだろう音が家中に響く。



「サクちゃん、朝ご飯食べようか」



 コクリと頷いたサクちゃんの頭をもう一度撫でて、手を繋いで部屋を出る。御空と御空の後ろで大欠伸をしながら首を掻いている琥珀、自分の部屋からちょうど出てきた千歳。全員が二階の廊下に揃った。



「おはようございます」



 赤い目をしたサクちゃんが全員に笑いかけると、今日という日が始まった。


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