第32話 決意のとき
side石竹琥珀
「うるさいぞ」
思い切り顔を顰めた千歳の声に、御空と助と慌てて口を塞ぐ。サクラが耳を抑えてフルフルと震えているのを見て申し訳なくは思うが、お稲荷様が現れた、そう言われて叫ばないなんて千歳の方がおかしいだろう。
「千歳はなんで驚かないの?」
「そんな気がしていたからな」
助のもっともな言葉に、千歳はなんでもない顔で答えて紅茶を一口啜った。
「さすがだな、いつもの勘か?」
「ああ。私は私の勘を疑うことはないからな」
ニヤリと笑いながらそう言う千歳の勘は昔から本当に良く当たる。俺はかなり鈍いとよく言われるし自覚もしている。だからこそ対角にいる千歳を頼りにしているし、尊敬もしている。
「まあいいが。それでサクラ、お稲荷様はなんとおっしゃっていた?」
「はい、お稲荷様の力をお試し期間として1週間貸してくれると言われたので、借りてきました」
「はぁ? ぐふっ、ぐ、ごほっ」
「ちょっと琥珀、紅茶飲んで落ち着いてください」
御空に差し出された紅茶を流し込む。想像の斜め上を行き過ぎて変なところに突っかえた。
「ごほん。それで……」
「琥珀、声変だよ?」
助に指摘されて口を噤んで喉を抑えると、フッと笑った千歳が話を引き継いでくれた。
「お稲荷様の力というのは?」
「えっと、感情を読み取ったり可視化する力です。可視化と言っても文字になると言うよりは映像が見える感じですね。本心が分かってしまうんです」
少し眉を下げたサクラは、困っているようにも見えるが嬉しそうにも見える。
「なるほどな。だから帰ってきてから時折視線がずれていたんだな」
千歳の言葉に俺は驚いて目を見開いた。他の三人も同じように目を見開いていて、サクラの視線がずれていたことにも千歳がサクラの微妙な異変に感づいていたことにも気が付いていなかったのは俺だけではなかったと不思議とほっとした。
「サクラ、お試し期間は1週間と言ったがそのあとはどうなるんだ?」
「え、あ、はい」
サクラはびっくりすると耳が立ってピクピクッと動くらしい。しっぽもピンッと立たせて、可愛い。
「俺もそこは気になっていたんだ。それに、代償がないとも思えない」
「はい。琥珀さんの言う通りです。お試しのあとにその力を引き続き使いたいとお稲荷様に伝えると、今使える力の全てが使えるようになります。その契約のとき、ボクの左目をお稲荷様に捧げて、空いた左目にお稲荷様の目の奥に宿っている炎から作った義眼を埋め込むんだそうです」
世話係になったときに眷属様はお稲荷様にその身を捧げるとは聞いていたが、まさか本当に身の一部を捧げることになるとは思わなかった。もしサクラが左目を捧げてしまったら、この綺麗な琥珀色の瞳を片方しか見ることができなくなるということなんだろうか。俺の一番好きな色だからって俺が勝手にサクラのチャームポイントの一つだと思っているだけだけど、サクラを形作る大切なものなのに。
「その目を通して見たものだけではなくて感じたもの全てがお稲荷様に共有されることになるみたいです」
「それが、代償?」
「いえ」
助に聞かれると、サクラは俯いてしまった。その手はトモアキのおさがりのズボンをきつく握りしめていて、顔をそっと覗き込むと口元をもにゅもにゅさせながらぎゅと目を瞑っていた。
その右手に自分の手を重ねると、サクラは潤んだ目を俺に向けてくる。大丈夫だと気持ちを込めて頷くとサクラの頬がふわっと緩む。感情を読み取るって、一体どこまで読み取れるものなんだろうな。
「ボクが色守稲荷が影響力を持つことができる範囲であるこの村から出た瞬間、左目を作りだしていた炎が火力を増してボクを焼いてしまうんだそうです。キツネの丸焼きになって……食べられちゃうんです」
最初は淡々と話していたようだったけど、次第に青ざめていったサクラの身体がガタガタと震えだした瞬間、御空がサクラを守るように抱きしめた。俺の手を握り直した手に籠った力から、サクラの恐怖がダイレクトに伝わってきて俺も身震いしてしまいそうになるのをグッと堪えた。
「大丈夫、大丈夫ですからね」
宥めるような口ぶりをしてはいる御空も声が震えてしまっている。
御空の腕の中で少しずつ落ち着いたサクラは眉を下げて笑うと、目を潤ませる御空の頭をふわふわと撫でた。御空が目元を拭いながら顔を上げると、サクラは俺たちに向き直った。
「明日は隣町までお買い物に行く約束をしているからと思って今日は返事をしなかったんですけど、来週までにお稲荷様にお願いしに行くつもりです」
「サクちゃん、それは!」
サクラのまっすぐな眼差しと言葉に助がテーブルに手をついて身を乗り出すと、サクラは至って穏やかに微笑みながら頷いた。覚悟を決めた目に差す光は、昔あの人が持っていたものによく似ている。
「お稲荷様の力を借りることができれば、ボクがこの村のためにできることが増えるはずです。だから一生をこの村に捧げる覚悟で、お稲荷様の正式なお使いになろうと思います」
「何を言っても、無駄みたいだな」
呆れたように息を吐いた千歳に頷いたサクラは助と御空、俺をじっと見つめて、答えを待っているようだった。御空が静かに零した涙を拭ったサクラに、助はグッと奥歯を噛む。
「どうして、そこまでこの村に」
助の絞り出すような声にサクラは立ち上がって助を抱きしめた。
「この村と、4人が大好きだからです」
はらはらと涙を流し始めた助の背中を擦りながら静かに、ハッキリと言い切られた言葉に御空と助の涙が増した。そんな2人にオロオロするサクラを見ていると、まだ幼いことを実感する。それでも覚悟を決めてくれたことを思うと世話係としては有り難さと喜ばしさを感じる。けれど、まだ高校生くらいの年頃の子に重たいものを背負わせてしまうことを咎める気持ちも湧いてくる。
「分かりました」
「サクちゃん、僕も一生懸命世話係の仕事頑張るからね」
相反する気持ち。せめぎ合う気持ちの整理がついたわけではないけれど。それでもサクラの気持ちに応えてやりたい。そう思ったのは俺だけではなかったらしい。
「分かった。サクラ、よろしくな」
堪えきれずに溢れてきてしまったしょっぱい涙は服の裾で雑に拭い去る。
「明日の買い物、楽しもうな」
「はい!」
サクラに村の外を見させてやれるのはあと一週間の間だけ。今は外でしかできないことを経験させてやりたい。
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