第31話 今日のこと


 フォークを置いたサクラの元にもうケーキは残っていない。そこそこ大きかったと思うんだが。それだけ美味しかったっていう話なら助六も喜ぶだろう。



「えっと、今日はカヨさんとチヨさんが来てくれました」


「はふが。んぐっ」



 モグモグしながら話し始めた助六の口を塞いで、口の中にあるものを飲み込ませる。助六はいつまで経っても世話が焼ける。私たちの前だと冷静さに欠けるところは変わらないんだから。



「さすが、耳も早ければ行動も早い二人だね」


「チヨさんたち。わざわざ朝一番に俺のところに来てくれたんだよ」



 言い直した助六に琥珀は笑いを堪えながら頷いた。ニマニマしているから堪えきれているとは言えないけど。



「カヨさんはサツマイモとかぼちゃのクッキーを持ってきてくれて、チヨさんはチーズボールと、えっと、なんだっけ」



 思い出そうと唸っているサクラを見て、御空は助六に視線を移した。



「もしかして、助六のレシピですかね?」


「えっと、チーズは御空さんのアイデアが入ってるって言ってましたけど、そっちはチヨさんお手製としか……」



 ペタッと耳を寝かせたサクラも助六を見る。潤んだ目に見つめられてキュンッと胸を抑えた助六は、コホンッと咳払いを一つしてサクラに向き直った。



「どんなものだったか教えてくれる? もしかしたら分かるかも」


「えっと、甘くて、なめらかで、それで……」



 必死に思い出そうとしながらも口の端にキラリと光るものが。御空が慌ててティッシュで拭うと、ようやく気が付いたサクラは拭いたあとを頬を赤らめながら手の甲で覆う。よっぽど美味しかったことは伝わってくるし、チヨさんも喜ぶだろう。



「分かった!」



 突然手をパンッと叩いて立ち上がった助六はビシッとサクラを指さしながら口角を上げた。



「スイートポテトでしょ!」



 琥珀に座らされながら言っているからどうにも決まりきらないけど、サクラがブンブンと首が取れそうな勢いで頷いているから正解だろう。よくこのヒントで分かったなと思うけど、さすが助六ってことでいいか。



「チヨさんの得意なお菓子の中でも特に自信があるみたいだし、甘くてなめらかだしね。あの優しい甘さが癖になるんだよね」


「はい! チヨさんのスイートポテトもカヨさんのクッキーも甘さが優しくて、ついつい食べきってしまいました」



 そう言って頭を掻くサクラを見て、よくお菓子を配っているチヨさんたちの姿を思い出す。



「もしかして、これくらいのお弁当箱に入っていなかったか?」



 手で大きさを示すと、サクラは頷く。コンビニ弁当一人前分のお菓子を二つも食べきったのか。それに加えて御空が持たせたおにぎりも食べて夕飯とデザートも食べて。いくら何でも食べすぎじゃないか。


成長期と言える年齢ではあるけど、今までそこまで十分に食べていなかったであろうことを考慮してご飯を少なめに盛ったりしていた。でも、本人が自発的にこの量を食べているならば普通より多く盛ってあげた方が良いのだろうか。


 一人考え込んでいると、私以外の三人は難しい顔でサクラを見ていた。



「サクラ、今まではどれくらいご飯を食べていたんだ?」



 琥珀の厳しい顔に驚いたのか、ビクリと肩を跳ねさせたサクラは御空に視線を向けた。だけど御空まで怖い顔をしているものだから今度は助六に助けを求める視線を送った。でも助六も眉間に皺を寄せているから、泣きそうに目を潤ませたサクラの目が私の方に向けられた。


 その時間は二秒に満たなかったんじゃないかな。カクカク首が動くのに合わせてしっぽがピンッと張っていた。


 とりあえず落ち着かせないと、と思って微笑みかけるとサクラは目をグシグシと擦った。その間にほかの三人の顔を見回すと、みんな申し訳なさそうに肩を落としている。



「サクラ、大丈夫だからな。みんなサクラが心配なだけだから」



 私の言葉に頷いたサクラは恐る恐るといった様子でゆっくり琥珀に向き直った。



「えっと、今日の朝ご飯の半分くらいでした」


「それで足りてた?」


「足りなかったですけど、それを言ったらお父さんは怒るから言えなかったです。たまに山で遊んでいい日にこっそり木の実を食べたりはしましたけど、それもバレると三日間ご飯なしになるから結局あまりできなくて。それで、その」



 琥珀と御空の質問には答えてくれたし、研究所での様子もなんとなく分かった。だけど、それ以上は言葉が続きそうになかったから御空が手で制して話さなくても良いと首を振った。


 ホッと息を吐いたサクラは眉を下げて笑った。



「それが普通じゃないことは、知っています。いつもお世話してくれていた人が教えてくれましたから。でも、ボクにとっては、それが父さんから受けた愛情に違いないんです。だから、可哀そうとは、思わないでください」



 震える声には悲しみも恐怖も、たくさんの感情が感じられて重く心にのしかかるようだ。今私たちが可哀そうだと思ってしまったら、きっとサクラを支えるものが壊れてしまう。そう直感した。


 どんなに辛い環境にいたとしてもそこがサクラの居場所で家族と過ごした場所だ。そんな場所から突然放り出されて見知らぬ場所にやってきて、いくら私たちに慣れてきてくれているといっても私たちはまだサクラにとって家族にはなりきれていないに違いない。御空だって未だに距離感に悩むくらいだ。希望的観測で事を急いてはいけない。



「分かった。善処しよう」



 私を、というよりは私の胸の辺りをじっと見つめたままゆっくり頷いたサクラは、生命を慈しむような柔らかく穏やかな微笑みを湛えていた。サクラの視線を追ったとて、私には何も見えない。



「これからはサクラの身体が無理をしない量を気にしながら食べましょうか。食べないといけないと思って食べすぎてしまうことも、胃が受け付けないことも、両方あるでしょうから」



 御空が宥めるような口調で言うとサクラの耳が警戒するかのようにピクリと動いて立ち上がった。けれど御空を視界に捉えると表情が和らいで、立っていた耳も平常時の位置に戻った。


 サクラには何かが見えていて、それは五感のうち視覚にだけ作用している。そんな仮説が確信に変わった。琥珀と助六が何か話そうとする気配がないことを確認してサクラを呼ぶと、サクラはキョトンとした顔で私をその目に捉える。



「話を戻そうか。今日の来訪者はカヨさんたちだけじゃないよな?」


「お稲荷様にお会いしました。それで……」


「待て待て待て」



 迷うことなくコクリと頷いたサクラがサラッと衝撃的なことを言うから、私以外の三人全員の口が揃った。どうしたんだと首を傾げているサクラの前でパクパクと口を開けたり閉じたり、金魚のような動きを繰り返した三人の口から次に溢れた、声と言っても良いのかすらも怪しい奇声。私とサクラは耳を塞いだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る