第29話 違和感


side常磐御空



 社に着いて縁側を覗くと誰の気配もなくて千歳と顔を見合わせた。



「部屋の方にいるんでしょうか」


「そうかもしれないな」



 千歳が社の裏手にあるドアに手をかけると鍵はかかっていなくて、建て付けが良いとは言い難い引き戸が千歳のゆっくりとした動きに合わせてガラ、ガラ、と音を立てた。普段は話しながら歩いていたから気にならなかったけれど、古くなった床板がミシミシ、ギシギシと音を響かせる。



「サクラ、いるか?」



 千歳が声を掛けながら鉄紺色の襖をノックしたけれど応答はない。千歳が俺に視線を送ってから丸い引手に手をかけてゆっくりと開けた。



「サクラ?」



 千歳が声を掛けながら開けると、ちょうど俺が立っていた位置からサクラの履いていた白い靴下だけが見えた。血の気が引いた感覚がして慌てて駆け寄ってみると、朝千歳に運んでもらった掛け布団の上で白いしっぽを抱きかかえて横向きに倒れるサクラがいた。動けなくなった俺をよそに、サクラの傍に膝をついてその肩に触れた千歳。俺が激しく動く心臓を押さえ込もうと目を閉じて胸を抑えていると、急に肩に手が置かれた。



「御空、サクラは寝ているだけだ。安心しろ」



 小さい子どもを宥めるような優しい声に安心してゆっくり目を開けると、いつの間にか立ち上がっていた千歳が俺の肩に手を置いていた。


 よく見ると確かにサクラの胸は規則的に上下して、スースーと呼吸音も聞こえる。



「そうですか、良かった……」



 膝の力が抜けた俺が座り込んでしまうと、千歳はその背中を摩ってくれる。何度か深呼吸を繰り返したあとグッと目を閉じた俺は、そっと目を開けてサクラの気持ちよさそうな寝顔を見て、自然と笑みが零れた。



「サクラ、ご飯の時間ですよ」


「んんっ」



 肩をポンポンと軽く叩いて揺さぶると、小さく声を漏らしたサクラはクルッと寝返りを打った。置いていかれたしっぽは布団からはみ出してパタパタと畳を叩く。しっぽを手放してしまった手は抱きかかえるものを探すようにフラフラと彷徨っている。その手に触れてみるとキュッと握られた。



「サクラ?」


「何か握っていないと落ち着かないのかもな」



 千歳がサクラの頭を撫でると、うっすらとサクラの目が開いてキョロキョロと俺たちの顔を往復した。耳元で聞こえたクスクスという笑い声に振り返ると、千歳が穏やかな目で微笑んでいた。



「サクラ、おはよう。身体は大丈夫か?」


「んーと、はい、だいじょぶれす」



 頭をフラフラと左右に揺らしながら答える姿に、俺と千歳は顔を見合わせて苦笑した。昨日家で目が覚めたときの警戒心の塊だった姿からは考えられないような無防備な顔は可愛らしくて、頬の緩みを抑えがたくて困りますね。


 ただ、どこか違和感を感じる。無防備なことではなくて、ほかに何か、微かで不確かな違和感。形容しがたいそれを千歳に伝えることはできなくて口を噤んだ。あてずっぽうなことは言えないですし、あとでそれとなく聞いてみましょうか。



「サクラ、しっかりしてください。帰ったらご飯の用意ができているはずですよ」


「ごはん……ご飯っ!」



 パッと目を開けたサクラはピクピクと白い耳を動かして、しっぽでパタパタと畳を叩く。はたと動きを止めたサクラはくるっとしっぽを振り返ると、何年ぶりの再会かと思わせるような表情でしっぽを抱きしめた。幸せそうにしっぽにすりすりすると、しっぽから手を放して立ち上がった。


 俺と千歳も立ち上がると、覚醒してはいるけど少しふらついているサクラを壁に寄りかからせてから二人で布団を畳んだ。俺が押入れに布団を仕舞い終わって振り返ると、千歳がサクラをおぶろうと声をかけていた。ふらついてるみたいだし、そうした方がいいはずですよね。俺も千歳もサクラをおぶったまま家に戻れるような持久力はないけど、途中で交代すれば何とかなります。そう思ったけど、サクラはブンブンと首を振った。



「大丈夫です! 歩けます!」



 フンスと気合を入れたサクラは、俺たちの前を歩き始めた。その背中を見送りながら呆気にとられた俺たちは顔を見合わせて首を傾げた。



「何か、おかしくないか?」


「千歳もそう思いますか?」


「ああ。さっき目を合わせたとき、サクラはどこか違うところを見ていた気がするんだ」


「違うところ、ですか?」



 千歳の言うことも気になったけど、今はもう部屋を出て行ってしまったサクラを追いかけないと。千歳に譲ってもらって先に部屋を出ると、玄関で靴ひもと格闘していたサクラと目が合った。



「御空さんっ」



 何とも情けない顔をしているサクラに寄って行って手元を見ると、靴ひもがどうしたらそんなことになるのか分からないほどに絡まっていた。



「はぁ、朝は結べていたじゃないですか」



 俺の言葉にサクラがビクリと肩を跳ねさせたのを見てハッとする。驚きすぎてもはや笑えてきてしまって、声を出そうとしたタイミングで深いため息のような息を吐いてしまった。サクラに誤解を与えてしまったかもしれない。そう思って俺が焦っていると、俺を見上げてじっと何かを見つめたサクラはふわりと笑った。まるで、俺の気持ちを見透かしているかのような表情。その顔を見た瞬間、背筋に冷や汗がつたった。


 動けなくなった俺を見つめて眉を下げたサクラに俺の固まってしまった口は何も言葉が出なくて、足が震える。後ろから来た千歳に腕を引かれてよろめく。サッと自分の靴を履いてサクラの前にしゃがみ込んだ千歳に靴ひもを解いてもらっているサクラの背中を見ながら、さっき感じた恐怖を反芻してどうしようもない気持ち悪さに身震いした。



「サクラ」


「はい?」



 靴ひもを結びながらサクラの名前を呼んだ千歳の声は見えていなくても分かるほど真剣そのもので、サクラの肩が跳ねた。



「帰ったら、みんなに今日ここで何があったか教えてくれ」


「何があったか、ですか?」



 拍子抜けたような声を出したサクラに一瞬だけ視線を送った千歳は、リボン結びの仕上げにキュッと紐を強く引っ張ってからサクラにきちんと向き直った。



「ああ。誰が来て、どんな話をしたのか。それが必ずしも人間じゃないかもしれないがな」



 そう言ってサクラの頭に千歳の大きな手が置かれると、サクラは黙ってこくりと頷いた。


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