第27話 素直になりたい
side常磐御空
夕焼けが部屋に差し込んでくるころ、千歳と助の声が下から聞こえてきた。夕飯を作る時間にはまだ早いからもう少し作業を進めましょうかと思っていると、部屋のドアがノックされた。
「はい?」
「千歳だ、仕事中にすまない。まだサクラが帰っていないようだから、迎えに行ってくる」
引き戸越しに聞こえた千歳のくぐもった声。仕事の邪魔をしないように気を遣ってくれてありがたいけれど、不安で針が進まなくなって俺の方から引き戸を開けた。すると開くと思っていなかったのか、千歳が目を見開いて固まっていました。
「サクラ、まだ戻っていないのですか?」
「あ、ああ。寝ているだけかもしれないが、それでもこれから冷え込むからな。迎えに行こうと思ったんだが」
落ち着きを取り戻した千歳は途中で言葉を切ると、俺の顔を真顔でじっと見つめた。材料の糸くずでも付いているのかと思って顔をペタペタ触ってみるけど、特に何かついているわけでもない。
「千歳?」
声をかけられるとハッとした様子で視線を彷徨わせて、眉を下げて笑った。
「悪いな。いや、御空のそんなに不安そうな顔は久しぶりに見たから驚いたというか、懐かしくなったというか、な」
部屋に置いてある鏡を振り返る。確かに泣きそうになって縋るような目をしている。自分のこんな顔は見たことがない。
「御空がこの村に来たとき、そんな顔をしていたな」
俺がこの村に来たとき。あのときのことを思い出すと心がザワつく。サクラに本心を見抜かれてから、当時から感じている気持ちだったり今感じている気持ちだったりがぐちゃぐちゃに混ざりあって変な気分です。
思考の沼に引きずり込まれそうになって思わず身震いをすると、急に千歳がパンッと手を打ち鳴らした。
「よし、準備しろ?」
「え?」
なんのことやら分からずにぽかんとする俺に、千歳はいつもの大人びた微笑みを浮かべて俺の頭に手を置いた。俺はこれが昔から好きです。照れくさいので本人には言わないですけど。
千歳は俺が昔から見上げ続けた真っ直ぐな黒目を俺と同じ高さに下げて目を合わせてくれた。
「サクラの迎え、一緒に行くぞ」
「でも、夕飯の用意とか」
「それなら助六がキッチンを占領しているからどうせ作れないぞ。さっきカフェで聞いてきたレシピを改良して、畑で採れた野菜を使ったレシピを作るって意気込んで試作をしているところだからな。今日の夕飯はそれで済ませよう」
「あいつは、また無断で……」
試作を作るときはご飯を作るときに量を調整したり、もしくは作らなくていいときもあるから事前に相談するように、と随分昔に約束したのだけれど。守られたのは片手で数えられるほどしかありませんね。はぁ、とため息を吐く俺を見て面白そうに笑う千歳に苦笑いを見せて、俺は部屋の入口近くに掛けている肩掛けのカバンを手に取った。
この中には常に救急セットと称した傷の手当や看病ができる簡単なセットを入れている。寝ているだけならいいけれど、もし怪我をしたり体調が悪く動けなくなったりしてボタンを押すことができないような状態だったときに応急処置ができるように。
「行きましょう」
「よし。いざ出発だ」
千歳に今度はぽふぽふと弾むように軽く頭を叩かれてほっとする。少しずつでも、自分の気持ちに素直に生きられるようになりたい。かつての千歳がそうだったように。そして、これからサクラがそうなれるように。
家を出る前にリビングに下りてキッチンに顔を出すと、俺と目が合った助の肩がビクリと跳ねた。
「御空! えっと、あの、これは……」
あからさまに挙動不審になった助の様子は毎度のことで、俺もやっぱりため息を吐いた。
助がわざと無断で始めているわけじゃないことは俺も理解している。千歳と同じように熱中すると周りが見えなくなりがちなところも、悪いところだとは思っていない。だけど今日みたいに明日の夕飯にする予定だった鶏むね肉が使われていると、また献立を考え直さなくてはいけなくなる。それは俺にとって不利益がある。
「食材は好きに使っていいですから、夕飯の用意は任せますね」
「へ? あ、うん! え、いいの?」
「おい、危ないから包丁一旦置け」
俺がそんなことを言うとは思わなかったのか、助は手に持っていた包丁を落としかけた。千歳に注意されてあわあわしながらまな板の上に包丁を置いた助は、不思議そうに俺を見た。
「いいですよ。その代わり、俺はこれから千歳と一緒にサクラの迎えに行ってきますから」
「えっ、俺も……」
行きたいとは言わせないように、ニッコリ笑う。きっと黒いオーラを背負っているだろう俺の笑顔を見た助は、身をすくめる。ひと回り小さくなったように見えますけど、そんなに怖いのでしょうかね?
「助、交換条件だ。また家中の掃除を一人でやるよりはマシだろ?」
そういえば、そんなことをさせたこともありましたね。
俺が受ける不利益に対しての補償として、いつもなら俺がやっている家事を一日任せることがある。一度冷蔵庫の中身を使い切られたとき、家の天井から床、窓やドアレールも含めた本当に家中の全ての掃除を任せたことがあった。さすがに一日じゃ終わらなくて二日間ひたすら掃除をし続けた助は、終わってしばらくは悟りの境地にいたほどだった。俺も日を分けているとはいえ、よく一人でこんなことをしているな、と苦笑いするしかなかった。
「分かった。サクちゃんのことお願いね」
しゅんとして頷いた助。このテンションで調理して怪我でもしたらたまったもんじゃない。
「昨日サクラに、自分が作るご飯を楽しみにしているように言っていませんでしたか?」
「えっと……言った。うん、言ったね。よし! サクちゃんに喜んでもらえるものを作るぞ!」
「おお、頑張れ」
一気に気合いが入った助はまた包丁を握り直した。単純というか素直というか。助の勢いに圧倒された千歳は苦笑いしている。
「怪我だけ気をつけてくださいね。じゃあ、いってきます」
助に若干の心配はありつつも、サクラの方も心配だ。千歳と俺は社に向けて出発した。
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