第25話 サクラの兄弟


 お昼ご飯は御空さんが作ってくれたワカメのおにぎりと、カヨさんに教えてもらった通りに淹れた粉のお茶。お菓子を食べたあとだったから食べられるかちょっと心配だったけど、ほんのりしょっぱくて美味しかったからぺろりと食べられた。多分今までで一番食べたと思う。だってお腹が膨らんじゃったから。ころんとその場で寝転がってお腹を擦る。



「これ、元に戻るのかな」



 ボクは昔からたくさんは食べないし、研究所のご飯も今日の朝ご飯の半分かそれよりは少し多いくらいだから、こんな状態になったことがない。キツネたちも研究所のご飯だけではお腹いっぱいにはならなくて、何日かに一度だけあった山で遊んでいい時間に、山の木の実を採ったりネズミとか鳥を捕まえたりして腹の足しにしていた。ボクは生肉が苦手だし、そもそも狩りもキツネたちほど得意ではないから、どうしようもなくお腹が空いたときには木の実を採って食べた。食べたことが父さんにバレると三日はご飯をもらえなくなっちゃうから本当にこっそりね。


 ご飯を食べてお腹が膨らむのはキツネのシロくんがよくなっていたから知ってはいた。シロくんは近くの山から父さんが連れてきた四六番目のボクの兄弟で、狩りが一番上手だった。彩葉さんが作ったご飯はほとんど食べたことがないくらいたくさん山の動物たちを狩っていた。ご飯をもらえなくて狩りもできない日は、こっそり蓄えていた木の実を食べている姿を見たことがある。ゲージの掃除はボクの担当だったから、研究室に連れていかれるときに藁の下とかに隠してしまえば全然バレない。一度健康調査のときに他のキツネが疑われてご飯を抜かれたときには、調査が終わってから食べれば翌日の調査のときにはもうお腹の中に残っていないからバレないってことも教えてくれた、すごく頭のいい子だった。


 シロくんは三年前に急にいなくなってしまった。シロくんは高くジャンプできたから、山の麓にぐるりと張られてボクたちを外の世界と切り離していた電気の網を超えて、山の外に出ることができたんじゃないかって小さい子たちは期待していたけど、年上のキツネたちは寿命か研究中に何かあって亡くなってしまったんじゃないかって言っていた。父さんも彩葉さんも、何も教えてくれなかったから本当のところは分からないけれど、元気だったらいいなって今でも願っている。


 シロくんのことを思い出したら、兄弟みんなの顔が浮かんできた。ボクの兄弟は研究所を追われた日までに全部で二百八十三匹。最後の日に一緒にいたのはその内の四十匹だけ。みんなどんどんいなくなって、お兄ちゃんたちは五歳のときには誰もいなかった。毎年兄弟が増える数もどんどん増えていったけど、それ以上にいなくなってしまう。生まれたての姿を見た翌日にはいなくなったこともあった。


 研究所にいたころはそれが当たり前だったから、みんなずっと心のどこかでは怖がりながら生活していた。次は自分じゃないのか、自分の子どもじゃないのかって。ボクは傷が早く治るし、父さんには貴重な研究材料だから大事に使わないとって言われていたし、きっと自分は長く研究所にいることになるんだろうなって思っていた。だけど、兄弟たちがボクとの比較のために怪我をして帰ってくるのを見るたびに早くいなくなりたいと思っていた。今は少し寂しいけど、ボクがいなくなったことでみんなが苦しまないでいてくれたら。悪い人たちが父さんの研究を止めてくれたら。そんなことを思っている。



「親不孝者だな」



 ずっと一緒にいた兄弟か、生み出して育ててくれた父さんか。ボクはどっちの幸せを願ったらいいんだろう。彩葉さんは、どっちを願ったら褒めてくれるんだろう。ボクはどっちを願いたいんだろう。


 いけない。ぼーっとしていると答えの出ないことをずっと考えてしまう。


 立ち上がっておにぎりを包んであったラップをごみ箱と書いてある箱に入れて、お茶を飲んだコップを洗った。お皿洗いはすごく好き。泡がもこもこして楽しいし、水も好きだから。


 コップを流しの横の水切りに置いたら、玄関に行って靴を持ってから向かいの部屋に入って横の大きい紙の引き戸、何だっけ、しょ、何とかを開けて窓も開ける。千歳さんが、縁側用の靴を用意するまでは何かあったときにすぐに動けるように玄関から靴を持ってきておくようにって言っていたから。そのときにしょ、何とかの名前も言っていたんだけど、忘れちゃった。靴は縁側の下に置いて、一番陽当りのいいところにぺたんと座ってみる。



「ふぁぅ」



 思わずあくびが出るくらい気持ちがいい。このまま寝てしまおうか。でも、誰か来たらどうしよう。それに、ここにみんなが来やすくするにはどうしたらいいかも考えたいし。


 さっきチヨさんとカヨさんに宣言したことを思い出して、何とか眠気と戦いながら考えることにした。


 みんなはここに何をしに来たいかな。みんなは何がなくて困っているのかな。うつらうつらしながら考えていたら、起きているのか寝ているのかはっきりしなくなってきた。じゃりっと砂利を踏む音が聞こえた気がしたけれど、眠気に抗いきれずに意識がプツンと途切れた。


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