第24話 村のお母さん


 村中に響くような悲鳴から三十分後、ボクは自分の部屋の机の前に座布団を敷いてもらって、その上に座っている。目の前には薄っすら底が透けて見える澄んだ黄緑色のお茶が三つのコップに注がれていて、ボクの向かいに敷かれた座布団には二人の女性が座っている。


 なんとか落ち着いたボクの様子を見ながら安心したように微笑んだ二人に、どうしてあんなことになったのかを説明した。



「なるほどねえ。いやあ、びっくりしたわよ。琥珀くんにここにいるって聞いたから来たのにサクラちゃんが外にいないから、ここにいるかなーと思って覗いたら倒れているんだもんねえ」



 僕から見て右に座っているおばあさんは二宮千代子さん。チヨさんは村長の奥さんだと言う。村長からボクの話を聞いて、わざわざ村役場にいた琥珀さんにボクの居場所を聞いて尋ねて来てくれたらしい。



「熱でも出したのかと思ったら、まさかお茶の淹れ方失敗してたなんてね。あとで教えてあげるわよ」



 左に座っているおばあさんは十日市加代さん。チヨさんの同級生で、今コップに入っているお茶を淹れてくれたのはカヨさんだ。



「お二人とも、助けていただいてありがとうございました」


「助けるなんて、そんなねえ。ほら、頭を上げて。私たちの方が助けられてるんだから、気にしなくていいのよ。ねえ、カヨちゃん」


「そうそう。この村に最後に眷属様がいらっしゃったのはあたしたちが高校生のころだったかしらね。それ以来ずーっと待っていた眷属様が来たって聞いて来てみたら、こんなに可愛い子でねえ。サクラちゃん、来てくれてありがとう」



 ボクの手を取ってぽんぽんと優しく叩いて包み込んでくれたカヨさんの手が温かくて、ボクは素直に頷いた。



「そうそう、サクラちゃんのためにクッキー焼いてきたのよ」



 カヨさんがそう言ってカバンからお弁当箱を取り出すと、チヨさんも思い出したようにカバンの横に置いてあった包みを机の上に置いた。二人がそれぞれ蓋を開けると、カヨさんのお弁当箱の中には紫色と黄色、オレンジ色のカラフルなクッキーが、チヨさんの紙でできたお弁当箱の中には黄色くてコロコロ丸いボールと、それにテカリと焦げ目がついた少しだけ細長いものが入っていた。



「いい匂い」



 甘くて香ばしい匂いに思わずそう言うと、チヨさんとカヨさんの顔が嬉しそうにほころんだ。



「私のはちょっとしょっぱいジャガイモのチーズボールと、サツマイモのスイートポテト」


「チーズボールとスイートポテト、ですか?」


「そうそう。スイートポテトはちょっと甘くて滑らかなお菓子よ。ジャガイモもサツマイモもうちで作ったやつだからね。ちょっと食べてみてごらんよ」



 チヨさんがお弁当の蓋に一つずつ取ってくれてお箸も台所から持ってきてくれたから、まずはスイートポテトを食べてみる。


 少し温かくて、歯を少し立てただけでほろほろ崩れて優しい甘さが口の中に広がっていく。ほろほろしてはいるけれどボソボソしているわけではなくて、しっとり滑らかな口どけが癖になりそう。



「しっとり滑らかで美味しいです」


「でしょう?」



 自慢げに胸を張って笑ったチヨさんの肩を、カヨさんが笑いながらパシパシと叩く。チヨさんも楽しそうに叩きかえして、なんだか可愛らしい。



「こっちもいただきますね」


「どうぞどうぞ」



 もう一つ、一口サイズにころころされているチーズボールを口の中に放り込む。スイートポテトとは違ってほろほろ、というよりは少しもちっとした食感のジャガイモの中からチーズの塊がねっとり顔を出す。ジャガイモからほんのり感じるしょっぱさと濃厚なチーズの味が合わさってちょうどいいしょっぱさが心地いい。



「もちもちで美味しいです」


「ジャガイモにちょっと片栗粉を混ぜているのよ。前に御空くんが教えてくれてね。私もお気に入り」



 チヨさんはそう言ってうふふ、と微笑んだ。昨日村長さんが助さんの話はしていたけど、御空さんも村の人と料理の話をしているみたいだ。御空さんが思っているより、村の人たちにとって御空さんは大事な存在で、村の一員なのだろう。あとは御空さんが一歩踏み出すだけ。昨日見た御空さんの勇気の芽を思い出して、きっとそんなに遠い未来の話では無いと思った。



「次はこれ、食べてみてくれる?」



 空いたお皿にカヨさんがクッキーをそれぞれ一枚ずつ乗せてくれた。これは手づかみで大丈夫かな。



「紫はムラサキイモ、黄色は紅はるかっていう黄色いサツマイモで、オレンジはかぼちゃのクッキーなのよ。前に助六くんがお土産に持ってきてくれてね、あんまりにも美味しかったからレシピを聞いたのよ。あたしのお気に入り」



 助さんのかぼちゃのクッキーは昨日食べさせてもらったけど、確かに美味しかった。料理上手だったら自分でも作っていつでも食べたいと思っても不思議はない。



「じゃあ、かぼちゃからいただきます」


「はい、召し上がれ」



 かぼちゃのクッキーを一口齧ると、助さんのクッキーと同じくサクサクほろほろで、かぼちゃの甘みが口の中に広がる。バターの塩味は感じないけど、濃厚な風味が深みを増して美味しい。



「甘くて美味しいです」


「よかった。助六くんのとは違って無塩バターを使っているからね、甘さとしょっぱさのメリハリはないんだけど、大丈夫かしら」


「はい、濃厚な風味が際立って美味しいですよ」


「そう? それならよかったわ」



 ほっとしたようで、カヨさんは胸を撫で下ろした。


 次に黄色いクッキーを齧ると、ねっとりとした甘さが広がる。 チヨさんのスイートポテトと同じくらい甘いと思う。かぼちゃのクッキーよりも外がカリカリで、中はほろほろ感は控えめでしっとりしている。



「外のカリカリいいですね。中もしっとりしていて美味しいです」


「紅はるかのしっとりを活かしたくてね、助六くんにも意見を聞きながら作ったのよ」


「助さんって野菜の調理のプロなんですか?」



 ボクの言葉に一瞬キョトンとしたチヨさんとカヨさんは、顔を見合わせると吹き出した。今度はボクがキョトンとしていると、二人は手招きするみたいに手をパタパタさせてまた笑った。



「ごめんねえ。助六くんが野菜の調理のプロっていうのは確かだと思うわよ」



 カヨさんがそう言ってチヨさんを見ると、チヨさんも視線を合わせてうんうんと頷いた。



「なんだかね、サクラちゃんが助六くんのことを助さんって呼んでいるのが嬉しかったのよ。昨日来たばかりだし、あの子たちと仲良くできているのか心配していたの。まあ、あの子たちだから大丈夫だとは思っていたけどね」


「面倒見がいい子たちだものね」


「そうそう、私たちも子どもたちもみんなお世話になってるわよ」



 自分のことみたいに嬉しそうにしてくれたり、色守荘のみんなを大切に思っているのが伝わる口ぶりで話したりする二人は、村長が言っていた通り村の子どもは自分の子どものように思っているのだろうと感じる。色守荘の四人とは違う温かみがあって、父さんや彩葉さんとは全く違う人たちなのに懐かしさを感じてほっと落ち着く。



「ありがとうございます」


「ふふ、いいのよ。おばちゃんのお節介なんだから」


「おばちゃんって言うより、私たちもうおばあちゃんよ?」


「あら! チヨちゃんってばもう! 心はいつまでも乙女ですよお」


「きゃっ、もう、カヨちゃんも言うわねえ」



 ボクは今まで彩葉さん以外の女性と接する機会はなかったし、その彩葉さんも落ち着きがあってあまりはしゃいでいる姿は見たことがなかったから、きゃっきゃとはしゃいでいる二人がすごく新鮮に見える。ほんわかした気分のまま、何の気もなしにお皿の上の最後のクッキーに手を伸ばした。


 口の中でサクッと音が鳴ってほろほろに崩れていくと、さっきの紅はるかとかかぼちゃのクッキーと比べるとかなり甘さは控えめだと感じた。だけど、他のクッキーと一緒に食べているから物足りなさよりも落ち着きを感じる。スイートポテトのあとのチーズボールみたいなハッキリしたメリハリではないけれど、口の中に落ち着きをくれる。



「いいバランスですね、これ。味の違いがハッキリあるからどんどん食べたくなっちゃいます」


「やっぱりいいわねえ、サクラちゃん。すっごく美味しそうに食べてくれるからまた作ってあげたくなっちゃう」



 カヨさんがうっとりした顔でボクを見ると、チヨさんは頷きながらため息を吐いた。



「そうよねえ。うちの人なんて甘い物食べても表情変わらないもの」


「村長の場合、眉毛と髭で顔が見えづらいですよね」


「そうなのよ! 剃ってほしいんだけどねえ」


「チヨちゃんそれずーっと言ってるわよね」


「そうよ、校長先生してたころからずーっと言ってるの。なのに整える程度に短くするだけ!」


「今となってはトレードマークよね」


「そうねえ。この歳になってようやく諦めもついてきたわ」



 ボクが聞いていていい話なのかすごく不安ではあるけれど、二人とも生き生きとしているから、これでいいのかな。


 村の人の悩みを聞いて解決に導くという目的のためにも、ここを憩いの場にしてそもそもここに来やすいようにしていくこともボクにできることなのかな。



「ボク、これから頑張ります」



 自分の中で考えていただけで、なんの脈絡もなく言ってしまった。それに気がついて慌てるボクに、最初は不思議そうな顔をしていた二人が優しい顔でにっこりと笑った。



「うん、頑張りなね。私も力になるからね」


「あたしもだよ。お互いに頑張っていこうね」


「はい!」



 ボクにお母さんはいないけれど、彩葉さんとはまた違う、こんなお母さんがそばにいてくれたら幸せだろうな。


 お昼時になって家に帰っていくチヨさんとカヨさんの背中を見送りながら、そんなことを思ってしまった。

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