第23話 お茶を飲もう
社に着くと、千歳さんは布団をボクの部屋に置いた。そして時計を確認すると慌ただしく杜を下りて行った。思ったよりも布団を持って坂を登るのは大変で、時々ボクも支えながらなんとか運び込んだ。だけど時間は意外とかかってしまったから、千歳さんの約束に間に合うギリギリの時間になってしまった。
一人残されたボクは社のキッチン、というよりは台所の方が似合う木の香りが満ちた場所で取り合えずお湯を沸かした。現代的ではない台所には似合わない電気ケトルが立てるぐつぐつという音を聞きながら、引き出しや戸棚を一つ一つ開けて中に何があるのか確認した。お湯を沸かしてみたけれど、コップとか味が付くものがあるのかは分からない。
「何か飲めるものはないかな」
最初に外から中が見えたガラスの引き戸の奥からお皿やお箸と一緒にコップを見つけた。誰のものか分からないけれど、カラフルなコップの中から深い青のコップを選んだ。ボクの部屋のドアと同じ色で、綺麗だったから。
ガラス戸の下の戸棚には思っていたよりも長期保存ができるものがたくさん置かれていて、その内の一箇所にはお茶の葉っぱとそれが粉になっているものだったり紅茶だったり、あとはよく分からない粉末が何種類か入っていた。紅茶よりはお茶が飲みたくて、ティーパックは見つけられなかったから粉のお茶に挑戦することにした。彩葉さんの教えの通りにとりあえず裏返して説明を読んでみる。説明を読めば大抵のことは何とかなる、と言われていたのだけれど。
「ティースプーン一杯って書いてあるけど、ティースプーンって何?」
さっき引き出しの中にあった大量のスプーンの中からそれっぽいものを探してみるけれど、さっぱり分からない。ティーカップは研究所にも彩葉さん用にあったから知っていただけで、ティーにそれ専用のスプーンがあるなんて聞いたこともない。
「五グラムって言っても、どう計ればいいの」
括弧の中に書いてあるグラム数を見たところで計り方も分からない。
悩んだ末に入っていた大小二種類あるスプーンの中で小さい方一杯にすることにした。あのサイズのカップに合わせるなら小さい方が可愛いかな、と思っただけのことだけど、薄かったら後で追加したらいいかな。粉を袋からなるべく平らになるように一掬いしてコップに入れると、底が綺麗に埋まった。こんなに入れて大丈夫なのかは心配になったけれど、一応スプーン一杯だ。
カチッと音が鳴ってケトルが動きを止めると、お湯を飛ばさないように慎重にコップにお湯を注いでいく。コップの中のお茶の色が見たことがないくらい深い色になった。それどころか、何か得体の知れない濃い緑の塊がぷかぷか浮いてきた。試しにスプーンの先でつついてみるとそれはあっさり壊れて、中から粉が大量に出てきた。
「どうしたものか」
とりあえずスプーンでお湯が変わり果てた緑の液体を掬って浮いている粉にかけてみた。また浮いてくるものには何回かかけていると、何とか全部の粉が消えた。
「できた、のかな」
飲むのは少し怖いけれど、とりあえず零さないようにそろそろと自分の部屋の机に運んだ。膝の高さくらいしかない机は物珍しくて、どうやって座ればいいのか悩む。だけど椅子があってもこの高さでは邪魔になりそうだと思って、結局畳の上に直接正座した。フローリングの上に座るよりは冷たくないし柔らかい。ましてや研究室の真っ白の硬いベットとか銀色のぐにゃぐにゃした鏡みたいにボクの顔が映るベット、あとは研究所のコンクリートの床なんて比べ物にならないくらい温かくて柔らかい。
杜の方から聞こえるムクドリやメジロたち、鳥の声も近すぎず遠すぎない距離から聞こえてきて、思っていたよりもすごく居心地が良くてほっとする。誰も見ていないしいいかなと思って、足を崩してコップに口をつけた。
「にっ、ぐぁ、うぁっ」
人の声ともキツネの声とも言えないような声が喉から絞り出されて、何とかコップを机の上に置いて自分はその場に倒れ込んだ。口の中が苦さと渋さに占領されて水分がどんどんどこかに消えていく。まとわりつく渋さを流し込もうとして唾が出てくるけれど、なす術なく消えていってしまう。口の中を流したい、水が飲みたいと思うのに、あまりの衝撃に身体が思うように動かなくて台所まで辿り着ける気がしないし、そもそも立ち上がることができない。
その場で倒れたまましっぽを抱き込んで苦みと渋みに耐える。耐えることには慣れているんだ。大丈夫、大丈夫。
心の中で何度もそう唱えながら、なかなか消えない口の中の不快感が少しでも薄まるのを待つ。初めてのことに怖くて震える身体。震えを止めようとしてしっぽをもっときつく抱き込んだ。耳も垂れて、何も聞こえない。
無音と暗闇。余計に口の中に意識が行ってしまって苦さが強くなってしまった気がする。口で呼吸もできなくて、鼻から浅い呼吸を繰り返していたとき、しっぽが何か硬いものに触れた。
丸めた身体を少し伸ばして硬いものに手で触れると、御空さんが渡してくれたボタンだった。
何かあった。でも、こんなことで忙しそうな御空さんの迷惑になるようなことはしたくない。ボタンがついたチェーンを握りしめたまま悩んでいると、外から知らない声が聞こえた。
初めての状況でどうしたらいいかも分からないのに、知らない人が来た。もうどうしたらいいか分からなくて、勝手に涙がぽろぽろ零れる。身体も頭も動きを止めて、流れる涙に抵抗もできないでいると、村中に聞こえそうなくらい大きな悲鳴が部屋に響いた。
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