第22話 いってきます


 ご飯を食べ終わると、琥珀さんは村役場に出勤して行った。助さんも村のカフェでアイチューブの撮影をする約束をしているからと言って出かけて行った。


 ボクも社に行こうと思って二人に声をかけてから玄関で昨日貸してもらった靴を履いていると、後ろから千歳さんと御空さんの足音が聞こえた。



「サクラ、私も行く」



 千歳さんのくぐもった声に首だけ振り返ると、足の生えた布団の塊がいた。驚いて身体の向きを変えてじっと見ていると、布団の横から千歳さんがひょっこり顔を出した。



「千歳さん!」


「すまない、驚かせたか?」


「い、いえ。大丈夫です」



 何をしているのか理解ができないでいると、千歳さんの後ろから御空さんが顔を出した。その手には巾着袋が握られていて、御空さんはそれをボクに差し出した。受け取るとずっしり重たい。



「おにぎりだけですけど、今日のお昼ご飯です。お腹が空いたら食べてくださいね」


「ありがとうございます」


「本当は送っていくつもりなら千歳に持って行ってもらおうかと思ったんですけど、布団を持っていくらしいので」



 そう言いながら御空さんは千歳さんが持っている布団をつんつんとつついた。



「それであの、これは?」



 ボクが聞くと、千歳さんは崩れかけた布団のバランスを保ちながらまた顔を横から出した。



「サクラが辛くなったら休めるように、というのと、非常食とかお菓子とか、あとは座布団とかは向こうに用意してあるんだが、まだ布団は用意していなかったことを思い出してな。琥珀か助六がいたら頼んでしまいたかったところだが、二人ともいないから私が行こうと思ったんだ」


「千歳も俺も、力仕事には不向きなんですよね」



 苦笑いしながら御空さんが頭を掻くと千歳さんも困ったように笑った。二人ともボクと比べれば力持ちな気がするけれど、筋トレをしていたり日ごろから筋肉を使っていたりする二人を引き合いに出したらそうなんだろう。



「俺はネット販売の方の在庫が少なくなっていたので在庫の補充をしていますから、一日家にいますからね。千歳も今日はお昼前には小学校との打ち合わせに行ってしまうので、何かあったらこれを押してください」



 そう言って御空さんがポケットから取り出したのは緑の丸いボタンがついた四角い薄い板にチェーンがついたもの。御空さんが首にかけてくれると胸の前で揺れるボタン。気になったからそれを押してみると、頭の上から楽しそうな音楽が降ってきた。



「これは?」


「吉津音村の村歌ですよ」



 楽しそうに口ずさんでいる御空さんには言いづらいけれど、そこが聞きたかったわけじゃない。


 でも、この曲が何かも聞きたい気持ちがなかったとは言い切れない。この曲を聞いてどこか懐かしい気がすると思ったら、彩葉さんがよく口ずさんでいた曲と似たようなメロディーなことに気が付いた。


 父さんは彩葉さんがボクに常識以外の外の世界の知識を教えることを嫌っていたから父さんがいないときだけだったけど、歌謡曲、というものをたまに教えてくれた。その中にはなかったけど、彩葉さんがよく口ずさむ曲だったから記憶に残っていた。何の曲か聞いても頑なに教えてくれなかったし、メロディーをきちんと教えてくれたこともなかった。でも一度だけ、ボクが研究所から出てからも普通に生きていける場所に行き着くことができたのなら知ることになるだろうね、と夢を語るように話していたことがあった。もしかして、彩葉さんはこの村のことを知っていたのだろうか。



「サクラ?」



 御空さんの心配そうな声に顔を上げると、いつの間にか布団を床に置いた千歳さんもボクの顔を覗き込んでいた。



「どうかしたか?」


「いえ、大丈夫です」


「そうか。なんかあったら言えよ?」



 千歳さんはそう言いながらボクの頭に手を置いて、親指だけ動かしてボクの眉間を撫でた。二人は納得してはいなそうな様子ではあったけど、深くは聞かないでくれた。


 ボクはまだ、彩葉さんのことを実は何も分かっていなかった事実が受け止めきれていない。いつか受け止めることができたら、みんなにボクの家族のことを話したい。みんなには、知っていて欲しい。



「よし、じゃあ行くか」



 布団があって気が付かなかったけれど、ずっと肩に掛けていたらしい斜めがけの少し大きいカバンをかけ直した千歳さんは、靴を履いてから布団をよっこいせ、と持ち上げた。



「千歳、おっさんくさいよ」


「おい、私もまだ二十七だぞ。御空とも三つしか変わらないだろ」


「行動の話ですよ」


「まったく、助六に似てきてないか?」



 二人の仲が良さそうな会話を聞きながらボクも靴を履いて立ち上がった。



「行けます」


「サクラ、何かあったらそのボタンを押すんですからね? そうしたらこの上についているチャイムから村歌が流れるので、それが流れたら俺は社に行きますから」


「なるほど、そういうことですか」



 やっと本来聞きたかったことを聞くことができた。電話とかは存在は知っているけれど使い方はイマイチよく分からないし、こういう分かりやすいものを渡してもらえるとほっとする。



「じゃあ、いってきます」


「はい、いってらっしゃい」


「ほら、サクラも」


「い、いってきます」



 言ってしまっていいのか迷っていたところを千歳さんに促されて、少したどたどしかったけど言うことができた。



「いってらっしゃい」



 御空さんがそう返してくれる。


 ここがボクが帰ってくる場所なんだ。


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