第20話 朝風呂


 気が付くと、部屋には陽の光が差し込んでいた。何とも言えないだるさを感じながら身体を起こすと、色守荘の部屋のどこからしいことは分かった。部屋の作りは琥珀さんと助さんの部屋と同じだけど、やけに殺風景だ。


 部屋を出て引き戸を閉めてその色を見ると、社にあるボクの部屋と同じ影に馴染むほど黒に近い濃い青色で塗られていた。他の部屋の戸も見てみると、そのどの色も影に馴染むほど黒に近い。それでも廊下の突き当りの小窓から差し込む陽射しに照らされると、それぞれが違う色を主張している。出て右隣は赤、左隣は緑、向かいの列の一番奥は紫、助さんの部屋は黄色。その中で助さんの部屋のもう片方の隣、階段の向かいの部屋だけは真っ黒に塗りつぶされていて、異質に感じる。


 階段を下りていくと途中から微かに味噌の香りがしてきて、心なしか足が速くなる。リビングのガラス戸を引き開けると、充満していた香りが溢れ出した。



「おはようございます」


「おはようございます。サクラ、身体は大丈夫ですか?」



 キッチンにいた御空さんがコンロの火を止めてボクの方に来た。他の人の姿は見えない。



「急に気を失ったので驚きましたよ。疲れが出たのでしょうか?」


「それがボクにもよく分からないのです。見えないはずのものが見えていると思っていたら、急にそれが見えなくなって意識が飛んだんです」


「そうですか」



 手を顎に当てて考え込んだ御空さんは、少しして首を振った。



「俺の知識では足りませんね。あとで三人にも聞いてみましょう。とりあえずサクラは朝ご飯までにお風呂に入ってきてください。昨日の夜はそのまま部屋に運んでしまったので」


「分かりました」


「服は、えっと、ああ、これです」



 御空さんは辺りを見回すと、ソファの上に置いてあった服を手に取った。



「昨日サクラが寝たあとにトモアキが何着かお古を持ってきてくれたんですよ」


「トモアキさん?」


「はい。トモアキは村の高校生なんですけど、助が勉強を見てあげているので昨日も学校帰りにここまで聞きに来て、そのときに。トモアキの弟のマナトがサクラを見つけたときにその場にいたから、いろいろ聞いたのでしょうね。成長期前の自分と体格が近そうだからって言っていました。それに千歳がしっぽ穴を開けてくれたんです。サクラのものは今度の週末、みんなで商店街に行くときにまとめて買うので、それまではこれでお願いします」


「分かりました」



 御空さんから服を受け取ってお風呂場に向かう。朝からお風呂に入るのは不思議な気分だ。


 何度見ても広すぎる脱衣所で服を脱いで浴室に入ろうとガラス戸をガラガラと引いた瞬間、中からガタンッと大きな音が鳴った。



「うわあっ! え、何?」



 ボクの声ではない声がした方を覗くと、シャワースペースに頭が泡まみれになっている助さんがいた。



「助さん」


「え、あ、サクちゃん? おはよう!」


「おはようございます。あの、大丈夫ですか?」


「あー、うん。ごめんね。お風呂で誰かと会うことあんまりないからびっくりしちゃった」


「昨日の夜入っていないから入ってくるようにって御空さんに言われたんですけど、入って大丈夫ですか?」


「なるほどね。全然問題なし! あ、ここおいでよ。身体洗いながら話そう。身体冷えちゃうから」



 助さんに促されるままに隣のスペースに置いてくれた椅子に座った。昨日のことがあったから助さんとのお風呂は心配になったけど、もう男同士と分かっているからか助さんも大丈夫らしい。


 助さんが頭のシャンプーの泡を流すのを視界に入れながらボクも毛を濡らしていく。耳の中に水が入るのは嫌だけど耳の周りにも、もふもふした毛が生えているからそれは洗いたい。だからここはなるべく丁寧に流すのがポイント。彩葉さんは上手にやってくれたけど、一度父さんがやってくれたときはすごく下手だった。


 シャンプーを流しきった助さんがトリートメントをしている横でボクはシャンプーで頭を洗う。



「サクラは研究所では夜にお風呂に入ってたの?」


「はい。他のキツネたちを庭で洗ってあげてから、ボクは研究所の中のお風呂に入っていました。小さいころはボクも外だったんですけど、少しでも人間らしくって言われて途中で変わったんです」


「なるほどね。僕もいつも夜に入るんだけど、朝一で野菜の収穫に行った日は朝もシャワーだけ浴びて汗を流すんだ。今日も行ってきたところでね、かぼちゃとサツマイモとジャガイモを掘ってきたから、夜ご飯のときにでも食べようね。昨日作ってあったかぼちゃプリン、サクちゃん寝ちゃったから冷蔵庫に残してあるから、おやつにでも食べてね」


「はい、ありがとうございます」



 ボクがシャンプーを流してトリートメントをする間に助さんは身体を洗い始めた。ボクもトリートメントをしたらボディーソープを泡立てる。


 二人揃って泡まみれになったまま、助さんはボクの方を向いた。



「ねえ、しっぽ、僕が洗ってもいいかな?」



 急な申し出に驚いたけれど、昨日の様子を思い出して助さんならいいかなと思った。



「お願いします」



 頷いた助さんに背中を向けてしっぽをそっとその手のひらに置いた。助さんは昨日と同じくそっと撫でるように毛を梳かしながら洗っていく。



「痒いところありませんかー」


「ふふっ、ありません」



 昔、彩葉さんも同じように言いながら洗ってくれたことを思い出す。美容院で髪を洗ってもらうときにはそう聞かれると教えてもらった。美容院だけじゃない。他のことでもそうだけど、彩葉さんが教えてくれたからボクは今この村におりてきても普通にご飯を食べることができているし、お手伝いも少しはできる。一日中研究室に籠ることが多かった父さんとの生活だけじゃ、こうはなっていないはずだ。


 これからはここで、みんなのために頑張りたい。ここで、必要とされるようにならないと。



「よし、洗えたよ。流すのは……自分でやろうか。僕も流さないと」



 二人並んでシャワーのお湯を頭から被る。泡が綺麗に流れ去ると、いつもよりしっぽの毛がツヤツヤして見える。いつも通り身震いをして軽く水気を飛ばすと、助さんがボクをじっと見ていた。



「いいな、それ。ほとんど乾いてるじゃん」


「タオルがなくてもある程度は乾きますよ。今日はお湯に浸かる気がないのでこのまま上がります」


「そっか、じゃあ出ようか。あ、でも僕はタオルで軽く拭くから先に行ってていいからね」



 言われた通り先に出て服を着る。助さんも出てくると、自分の服をボクが使っている場所の二つ隣の棚に移して着替え始めた。



「トモアキの服、サイズどう?」


「すごいです、ちょうどいいです」



 トモアキさんが何度も着たことが分かるくらいボクの身体にも柔らかく馴染むこの服は、手入れも丁寧にされていて大事にしていたのだろうと分かる。そんな大事な服をもらって、しかも加工までしてしまって良かったのだろうかと不安になる。



「トモアキね、サクちゃんに会いたがってたよ? トモアキは村に同級生がいないからね。高校生になって町に出て初めて同級生ができたんだけど、あまり馴染めてはいないみたいでさ。同い年だよって言ったら嬉しそうにしてた。今度また僕に勉強聞きに来るだろうから、そのときにでも話してみてあげてね」


「はい。ボクも会ってみたいです。お礼も言いたいですし」


「うん。友だちになれるといいな」



 助さんの言葉に、ドライヤーが置いてある洗面台に向けて歩いていた足を止めた。


 友だち、か。


 もしもトモアキさんと友だちになれたなら、ボクにとっては初めての友だちだ。気が早いけど少しソワソワしてきた。



「どうしたの?」


「楽しみだなと思って」


「そっか!」



 助さんはボクの返事に自分のことのように嬉しそうな顔をして鼻歌まで歌っている。それがすごくうれしくて、同じ視点に立ってくれる助さんの存在の大きさを実感した。

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