第19話 初仕事
琥珀さんが照れくさそうな笑みを浮かべて千歳さんを見ると千歳さんは少し嫌がるように振り払う素振りをしたけれど、その顔にはやっぱり照れくさそうな様子が溢れ出ていた。琥珀さんもそれがいつもだというように気にせず笑う。
助さんがニヤニヤしながらその様子を見ていることに気が付いた千歳さんは眉間に皺を寄せて咳ばらいをした。
「それで、そのときに琥珀に撮った写真を見せたんだよ」
「そうそう。俺が見せてってせがんだんだよな」
「ああ。私はかなり渋々だったけどな。まあ、そのときに琥珀が綺麗って言ってくれたんだ。単にそれが嬉しかったから、それ以来琥珀にだけは写真が好きなことを打ち明けて写真も見せるようになったんだ。もちろん他の人には言わないでもらっていたから、私は毎日朝早くから杜に入って写真を撮ってはその日の夜に琥珀に見せていた」
「そうそう、二人だけの秘密って思って俺はめちゃくちゃ嬉しかったんだよな」
「琥珀は一緒に撮りに行ったりしなかったの?」
助さんが聞くと、琥珀さんは頷いて胸を張った。千歳さんはそれを見て呆れながら耳の後ろを掻いた。
「知ってるだろう? 琥珀の寝起きの悪さを。だから俺は朝なら絶対にばれないと思ったわけだし」
「あー、うん。そうだね」
「なんだ、その反応」
助さんが微妙な反応を返すと、琥珀さんは下唇を突き出して不貞腐れたふりをした。千歳さんと御空さんは顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。
「話を戻すぞ」
千歳さんの声にみんなは少し真面目な顔で千歳さんを見た。
「琥珀と秘密を共有したあとしばらくして、私は杜で倒れた。あまりにも綺麗な朝焼けだったから、つい熱中してしまったんだな。昼近くになって琥珀が探しに来てくれたときに見つけてもらったらしくて、目が覚めたらここにいた。怖かったよ、また取り上げられるって。でも私が起きてすぐ、琥珀は私が撮った写真を見ながら、こんな綺麗な写真を俺しか見られないなんてもったいないよなって。それだけ言ったんだ。倒れても泣かれることもなく受け入れてもらえたのは初めてで、嬉しかった。誰が何といっても琥珀だけは私の味方だって思えたんだ。だからコンテストにも挑戦して、今の写真家としての地位と村の中での確かな居場所を得ることができたんだ」
それがいつから変わってしまったのだろうか。いつから千歳さんらしさが受け入れられなくなってしまったのだろうか。ボクが琥珀さんを見ると、琥珀さんはきまりが悪そうな様子で視線を泳がせた。そして、千歳さんと無言のまま見つめ合う。しばらく見つめ合ったあと、千歳さんが頭を下げた。
「すまない」
突然のことに驚くボクたちをよそに、琥珀さんは首を振って自分も頭を下げた。
「俺が悪いよ。ごめん」
「いや、今の言い方では琥珀の考え方が変わったことを責めてしまっている。琥珀は一番の先輩として私にはない責任と、私より多くの守るべきものを持っているんだ。私も大人なのに、いつまでも琥珀の言葉に甘えようとしていたのがいけなかったんだと思う。すまなかった」
「そんな、違う。俺が、俺が千歳のことを縛り付けた。心配してるとか言って、本当は余裕がなくなっただけだ。千歳が心配されるのが得意じゃないこと、俺は知っていたのに」
悔しそうに俯いた琥珀さんが握りしめたこぶしにポタリとしょっぱい水が零れる。隣に座っている助さんがその手を包み込むように自分の手を重ねた。そして唇を噛みしめながらその手を見つめていた顔を上げると、千歳さんと琥珀さんを交互に見た。
「僕、何も知らないでいじったりとか、ひどいことした。千歳、ごめん。琥珀も、琥珀の余裕がないこと、なんとなく分かってた。でも、仕事に託けて知らないふりをしてた。本当は動画の撮りためがあるのにないことにして本業の方をさぼったりとか、してた。ごめんなさい」
琥珀さんは頭を下げた助さんの頭を泣きながら雑に撫でた。そして優しく慈しむ眼差しを向けると息を吐くように笑った。
「馬鹿だなあ。そんなの知ってたよ」
「え?」
「毎日一緒にいるんだぞ? 服装でいつ撮ったものかぐらい分かるって。でもまあ、俺も役場とか消防団の仕事の方が楽しくて世話役の仕事をさぼったことぐらいあるからな。気持ちは分かる。おじさんたちだってさぼってたことあったしな。千歳だってあるぞ、な?」
「ああ。さぼって富士山登って写真撮ってきたな。さすがに山頂で倒れるわけにいかないから緩く撮ったものだったし、あの日の写真はコンクールにも出さなかった」
「さぼったことがないのって御空くらいだよ」
「まあ、俺はね。世話係の仕事で掃除とかすると気分転換にもいい運動にもなるから」
御空さんはそう言いながらちらりとボクに目配せをしていたずらっぽく笑う。本当はよそ者なんだから役目を全うしないと、とか思っていたんだろうな。
また話が脱線した。みんなが少しだけ本音をぶつけたことですっきりした顔をしているけれど、これでは解決にはなっていない。
「さて、それでは今後はどうしていきますか?」
ボクの声に千歳さんは、一見分かりずらく、でもボクには分かるくらいには眉を下げた。
「私は、自分の個性を大切にしていこうと思う。でも、それではみんなに迷惑をかけることが増えるだけだろう? そう考えると、結局セーブするほかないのではないかとも思う」
寂し気に笑った千歳さん。みんながその姿に黙り込む。
「どこに行くかを言ってから出かけてくれれば、これからはボクが迎えに行きますよ。細かくなくても、ざっくりこの辺りと言ってもらえれば迎えに行きます。ボクにとっては知らない場所を見に行くいい機会になりますから。時間を言ってもらえればその時間に帰ってこなかったとき、時間を言わずに出かけたときはご飯の時間を目安にでもしましょうか」
ボクが笑いかけると千歳さんは目を見開いて、それから戸惑うように視線を彷徨わせる。
「ボクは迷惑とは思いませんよ。お使いの仕事の一環として、とでも捉えてもらって構いません。ただし、ボクも行きたくない日は行きませんよ?」
ボクがさっきの話を盾にとって冗談を言うと、千歳さんは今日一番の穏やかな笑顔を見せてくれた。その顔を見たからか、琥珀さんが勢いよく立ち上がった。
「俺も迎えに行く。迷惑なんて思わないから。千歳の写真のファン第一号として、支えたいから。まあ、一度悲しませた分、信じてもらえないかもしれないけどな」
涙が乾ききらない顔で笑った琥珀さんに、千歳さんは静かに首を振った。
「僕も行くよ。もちろん迷惑なんて思わない。いつもおせわになってるし、これからは僕も世話役としてもこの家の住人としても支え合える存在になっていきたいから」
助さんの言葉に、千歳さんは腕を伸ばして助さんの頭を優しく撫でた。
「ありがとう。でもな、もう十分支えてもらってるからな。助六の元気さだったり実は頭いいところだったり、いつも助けられてる。まあ、余計なこと言ってイラっとさせられることもあるけど、信頼はしているから」
助さんはついに泣き出した。その様子を見ていた御空さんは、やっぱり一歩引いてその様子を見ている。ボクに本音を言えたからといって、そう簡単に深く根付いた引け目が拭われるわけではない。それでも今回のことで、御空さんにも彼らを信じて一歩踏み込む勇気が少しだけ湧いているのが見えた。
そう、見えた。実体はないけれど、確かにその小さな芽が見えている。ボクが自分が何を見ているのか分からずに戸惑う中、御空さんが口を開いた。
「では俺は、誰も行かないときだけ行きますかね。ここで美味しいご飯を用意しておきますから、無事に帰ってきてください」
「ああ、ありがとう」
御空さんの中の芽が風にそよぐと、御空さんは一歩引きながらも迷惑とは思っていないこと、支えたいと思っていることを思ったままに言葉にできた。少しずつ前に進もうとしている姿を応援しようと思いながら、ボクはまた不思議なものを見た。千歳さんの答えを聞いた途端、御空さんの中で芽生えた芽が少し大きくなった。
「ありがとう、私のために。これからも、よろしく頼む」
千歳さんの晴れ晴れとした表情を見る限り、ひとまず解決と言っていいのだろう。
ホッとした途端、それまで細かすぎるほどに見えていたみんなの感情や御空さんの中に見えていた芽が見えなくなった。
みんなの声を聞きながら視界が傾いて、視界が真っ暗になった。
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