第18話 千歳と琥珀
覚悟を決めても、いざ話そうとすると緊張で口の中が乾き始めて、少ししか出ない唾液を無理やり呑み込んだ。
「皆さんが千歳さんを心配するのは当然のことです。ボクでもさっき千歳さんが倒れたときは心配したのですから、ボクよりもずっと長く一緒にいる皆さんはもっと心配になるだろうとは思います」
ボクの言葉に御空さんが頷くのを確認して、今度は助さんに視線を向ける。
「千歳さんが変わりたいと、直したいと思っていることや迷惑をかけたくないと考えていることも確かなことでしょう。そして、皆さんが千歳さんを苦しませたくないこと、千歳さんに何かあったらと思うことも間違った感情ではないと思います。ただ、その全てが千歳さんを苦しめる原因になってはいませんか?」
「それはっ」
琥珀さんが何言おうと勢いよく腰を浮かせて、言葉を探すように視線を彷徨わせた。けれど、何も言うことができずに項垂れて座った。千歳さんはそんな様子には目もくれず、考え込むように腕を組んで顔を伏せている。
「ボクは自分に誇れるものがないからそう思うのかもしれませんが、千歳さんのようにそれしか見えないと言い切れるほど熱中できるものがあることは素晴らしいことだと思います。だから、その大切な個性は失われないでいて欲しいのです」
自分でも驚くほど言葉がするすると浮かんでは口をついて出ていく。ボクはずっと相手の顔色を窺って生きてきた。言うことといえば、自分の考えよりもごまかしたり欺いたりすることの方が多かった自覚はある。もしかするとこれは、ボクが思ったことではなくてお稲荷様の言葉なのかもしれない、そう思ってしまうほど不思議なことだった。
ボクの言葉を黙って聞いているみんながそれぞれ何を思っているのかは読み取れないけれど、千歳さんの表情が少し緩んだ気がした。ボクの感情だけで話を進めてはいけない。一番の当事者の気持ちを聞くことにした。
「千歳さんはどうしてその個性を直したいと思っているのか、教えてくれませんか?」
ボクが問いかけると、千歳さんは顔を上げた。その顔には無が映っていた。しかしその奥には、迷いが見える気がした。
「そうだな、一緒に考えてもらってもいいか?」
「もちろん。話しながら考えをまとめましょう」
ボクの言葉にほっとした様子を見せた千歳さんは、小さく口角を上げた。
「私は物心ついたころからファインダーを覗いてきた。父さんが持っていたカメラに私が興味を持ったことがきっかけだった。サクラが個性と言ってくれるものは、いつの日だったかは覚えていないが、ある日を境に始まったはずだ。さっきのように集中のしすぎが原因で倒れるようになった」
一度言葉を切った千歳さんは、組んでいた腕を解いて太ももに手をつくと何かを確認するようにみんなの目を順番に見て、最後に琥珀さんに微笑みかけた。
「私の両親は、私を心配してカメラを取り上げた。私は二度とカメラに触れられないのではないかと悔しかった。でも、高校生になって私が両親から眷属様の世話係の役目を引き継いで琥珀と一緒にここに住むようになったと同時に、両親はしきたりの通りに他の社に行った。私はそこでようやくまた自由にファインダーを覗けるようになった。でも人前で倒れてまた取り上げられることが怖くて、当時の仕事仲間だった常盤のおじさんたちや山吹のおじさんたちにはカメラが好きなことも言っていなかった。でも琥珀と一緒に暮らして始めてしばらくしたころ、琥珀に写真を撮っているところを見られてしまったんだ」
千歳さんが困ったように小さくため息を零すと、琥珀さんはハッとした顔で背もたれに預けていた身体を乗り出した。
「そっか、あのとき」
「そう。あの日私は、まだ村の誰も起きていないであろう時間を狙って社の周りの杜に写真を撮りに行ったんだ。でも、後ろの風景を撮ろうと思ってファインダーを覗きながら振り返ったらそこに琥珀がいたんだ」
懐かしむような目をした千歳さんに、琥珀さんも同じ時を辿って上を向いた。ボクと同じようにこの話を初めて聞くのだろう。御空さんと助さんは静かにその姿を見つめていた。
「あの日俺はなんとなく目が覚めて、もう一度寝ようにも寝付けなくてリビングに降りたんだ。そうしたらまだ薄暗い中で庭にきらきら光るものが見えたんだ。社の杜って野生の動物もたくさん暮らしているし、何か危険がある動物が山を下りて村に来たんじゃないかと思って確認のために後を追ったんだ。そうしたら、千歳がいた。カメラを覗いてすごく綺麗な顔をしていたから、俺は息をするのも忘れるくらい見惚れてた。急に声をかけられたときはびっくりしたのを覚えてるよ」
「そんなことを思っていたのか」
「ああ、今でも忘れられないくらい輝いて見えたよ。千歳は一学年下だったからほとんどずっと一緒に育って、幼馴染みたいなものだった。でも小さいころからずっと何かを隠しているみたいで、しかも俺より全然落ち着きがあって大人びていて、何だこいつって思っていたのが正直なところだった。そんな奴の違う一面を見て、単純にすごいって思った」
二人とも全員に向けて話しながら、時折二人だけの世界に入り込んで話をしている。同じ時間を共有できる存在が少し羨ましい。二人の間にずっとある無言の信頼と連携はその積み重ねが生みだしたものだったのだろう。
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